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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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鬼姫

夏の盛り、リオネル領都は三十度近い暑さに包まれ、強い日差しが石畳と砂利の混じる中央広場へと向かう道を白く焼きつけていた。

丘陵地の傾斜に沿って広がるこの町は、千五百人ほどが暮らす男爵領都リオネルだ。アルヴァ王国との境まで馬を走らせれば半日ほどの距離にあり、森や草原、湿地に囲まれた広大な領内の中でも、領内やアルヴァから運ばれる鉱山資源を背景に金属加工で古くから栄えてきた。北の異種族国家に近い土地柄ゆえ、人族に混じって獣人や亜人の姿も珍しくなく、通りには行商人や職人が開く露店が軒を連ねている。


マナーハウスや城砦がそびえる高台から、町の中心にある広場へと続く一本の下り坂。

昼食を終えたあとの陽光を浴びながら、幼い子供がひとり、のんびりと坂道を下っていた。

グレリオ男爵家の三男、レオナルドだ。

母譲りの淡い栗色の髪を風になびかせ、父譲りの灰色の瞳で前方の町並みを眺めている。その小さな体躯で、短い足を一歩一歩進める歩みには、まだ幼児特有のたどたどしさが残っていた。


館を取り囲む丸木柵の敷地を離れ、石積みの商家や露店が並ぶ通りへと差し掛かったあたりのことだ。

前方の路地から、騒がしい足音とともに数人の子供たちが駆け出してきた。

四歳ほどの幼子から八歳くらいまでの、町民や下級従士の子供たちだ。彼らは一本道の中央に立ちふさがるように広がり、レオナルドの顔を指さして勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「おい、見ろよ! 泣かずの子だ!」

「おーい、悪魔憑き! お前泣かないんだってな!」


先頭の少年が声を張り上げると、周りの子供たちも調子を合わせて囃し立て、口々に野次を飛ばし始める。

かつて男爵館から漏れ聞こえた不穏な噂や、大人たちが酒場や井戸端で囁き合っていた話を、子供特有の無邪気さと残酷さでそのまま真似てぶつけているのだ。

揶揄われた少年はその場に足を止め、騒ぎ立てる子供たちを灰色の瞳で少し呆れたように見つめ返していた。


◇


正午を回ったばかりの広場近くの通りには、夏の熱気が最高潮といった様子だ。

照りつける日差しの中、私は短い足でゆっくりと歩みを進めていた。

背丈が低いせいか、地面からの照り返しをまともに受けて汗がにじむ。四歳児の身体というものは、思うように進まないものだ。


広場へ抜ける手前、数人の子供たちが道を塞ぐように立ちはだかった。

この街に暮らす子供たちらしい。


「おい、見ろよ! 泣かずの子だ!」

「やーい、悪魔憑き! お前泣かないんだってな!」


(やれやれ、子供というのはどの世界でもある意味残酷なものだな)


私は足を止め、彼らを静かに見つめ返した。

怒りも恐怖も湧いてこない。前世で浴びてきた野次や批判に比べれば、他愛もないものだ。


(さて……どう切り抜けるか)


相手は子供だ。理屈で言い負かしたところで角が立つだけだし、今の腕力では押し通すこともできない。

変に相手をせずに横をすり抜けるのが一番無難だろう。

そう判断し、歩調を崩さず通り抜けようとした――その時だった。


「――何をしているのです!!」


背後から、通りに響き渡る凛とした鋭い怒声が飛んできた。

子供たちの顔から一気に血の気が引いていくのが見えた。 背後からの声だけで、それが誰なのかはすぐに分かった。


(……やれやれ)


私は内心で小さくため息を漏らした。

背後から響いたその声は、まだ七歳という幼さを残しながらも、戦場の一角を一喝するような鋭さと威厳を帯びていた。

振り返るまでもない。私の三つ年上の姉、レティーシャだ。

母カタリナ譲りの淡い栗色の髪を夏の陽光にきらめかせ、同じく母譲りの涼やかな碧い瞳を怒りに燃え上がらせて立っていた。

その可憐な顔立ちと柔らかな佇まいは、将来社交界に出れば幾多の貴族男子が列をなして求婚するであろう美貌をすでに予感させる。

――だが、その天使のような外見に騙されてはならない。

この姉の本質は……苛烈極まりない「武闘派」なのだ。 グレリオ家の誇りと身内の名誉を汚す者を、彼女は絶対に許さない。


「ひ、ひぃっ……!」

「鬼姫だ……! レティーシャが出たぞ!!」


さっきまで威勢よく私を囃し立てていた子供たちが、見る見るうちに顔面を蒼白に染めて後ずさった。

町民や下級従士の子供たちの間でも、彼女の武勇伝――いや、苛烈な制裁の噂はすでに知れ渡っているらしい。

しかも、その華奢な右手に握られているのは、普段の稽古で使い込まれた樫の木剣だった。


「我がグレリオの誇りを、路傍の小蠅風情が面罵するなど……万死に値します!!」

「いや、姉様待って!? 話を聞――」


私の制止など、耳に入りすらしない。

レティーシャは地面を蹴るやいなや、七歳児とは思えない鋭い踏み込みで悪童たちへ肉薄した。

ヒュンッ、と乾いた風切り音が響く。


「ぎゃあっ!?」


先頭で私を指さしていた少年の尻に、容赦のない木剣の薙ぎ払いが叩き込まれた。

少年が泥の上をごろごろと転がる。返す刃で、レティーシャは逃げ遅れた別の子供の足を引っ掛けて鮮やかに薙ぎ倒した。


(えー……)


私は目の前の光景に思わず額を押さえた。

まさに電光石火。貴族令嬢らしい優雅さなどどこにもない、容赦のない制圧劇だった。


「ひ、ぎゃあああ! た、助けてくれーっ!」

「お、鬼姫だーーーっ!!」


阿鼻叫喚の悲鳴を上げ、無事だった子供たちが尻尾を巻いて蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


「逃げるな、腰抜けども! グレリオの名を口にした落とし前をつけなさい!!」


木剣を振り上げ、逃げる子供たちを追いかけようとするレティーシャ。


(……やりすぎ!やりすぎだよ!これだから血気盛んな武闘派は困る……!)


私は慌てて駆け寄ると、前へ突進しようとするレティーシャの細い腰に、両腕を回して必死にしがみついた。


「姉様! もういいですから! 止まってください、姉様!」

「離しなさい、レオ! あの無礼者たちに、男爵家の血統を侮辱した報いを受けさせねば気が済みません!」

「もう十分です! ほら、前を見てください、残された子が泣いてますから!」


私の必死の制止と体重をかけた引き止めに、レティーシャはようやく足を止め、荒い息を吐きながら木剣を下ろした。

足元には、尻を強打されて泥だらけになり、わんわんと涙を流してうずくまっている八歳ほどの少年が一人。

私は姉の腰から手を離すと、しゃがみ込んでその少年の肩をそっと叩いた。


「……ほら、立てるかい? 動けるなら、今のうちに家へ帰るといいよ」

「う、うわぁぁぁん! ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ!」


少年は立ち上がるなり、鼻水を垂らしながら一目散に路地の向こうへ逃げていった。

遠ざかる少年の背中を見送りながら、私は深く、深くため息を吐いた。


「……姉様。子供のやることに、いちいち本気にならないでください」


呆れ果てた私の苦言に、レティーシャはキッと碧い瞳をつり上げ、木剣を握り直して私を睨み据えた。


「何を言うのです、レオ! あなたは我がグレリオ家の男なのですよ! あの程度の愚民の戯言に、甘い顔をして黙って耐えるなど言語道断です! もっと誇りを持ちなさい!」


(……誇り、ねぇ)


ここはあまり口答えをしない方が得策だな。


「……はい。お心遣い、感謝いたします、姉様」


私が乾いた調子で曖昧に頭を下げると、レティーシャはフンと誇らしげに胸を張り、ようやく満足そうに木剣を腰へと戻したのだった。


夏の強い陽射しは石畳の通りを白く照らし続けていた。

夏特有の匂いと、少し離れた広場から流れてくる喧騒がとてもリアルに感じられた。


(……貴族、か)


ふと、歩きながら思考が深いところへと沈んでいく。

八十年の生涯を永田町という泥沼の権力闘争に捧げ、心筋梗塞で倒れて幕を閉じた前世。 そして今、私はこの見知らぬ異世界で、リオネル男爵家の三男「レオナルド」として生きている。

胸を締めつける激痛とともに途切れたはずの人生の、まさかの続き。

元の世界へ戻る術などどこにもない。ここは夢でも幻覚でもなく、血が通い、理不尽と偏見が渦巻く、厳然たる現実だ。


(私は……この二度目の人生で、一体何をすべきなのだろうな)


家柄と血筋を何よりも誇り、家族を傷つける者を決して許さない姉の姿は、この世界の貴族としては正しく、そして危ういほどに純粋だ。

父も、兄たちも、この国境の地で男爵家を守るためにそれぞれの義務を果たしている。

翻って、自分はどうだ。

前世で背負い続けた国家の重責や政権維持のプレッシャーから解放され、国境警備だの領政だのは父や兄たちに任せ、私はそこそこ余裕のある田舎貴族の三男坊という気楽な立場を手に入れた。

適当に本を読み、美味いものを食い、のんびりと緩く、平穏なスローライフを送ることこそが、神から与えられた退職金への一番の感謝だと考えていた。


――だが、それは本当に正しい選択なのだろうか。


未熟なインフラ、限られた知識、身分や種族によって人の生き方が大きく左右される社会。それらを目の当たりにするたび、かつて政治家として国を動かしてきたがゆえに考えてしまう。

目の前の理不尽をただ「不便な世界だ」と冷笑して見過ごし、自分だけ平穏に暮らしていいのか。


「レオ? どうしたの、足が止まっているわよ?」


前を行くレティーシャが振り返り、母譲りの涼やかな碧い瞳で不思議そうに私を覗き込んだ。 その顔には、先ほどの苛烈な表情など微塵もなく、ただ幼い弟を慈しむ純粋な情愛だけが浮かんでいる。


「……なんでもありません、姉様。少し、考え事をしていただけです」

「もう、四歳の子が難しい顔をして。ほら、広場が見えてきましたよ」


姉に手を引かれ、私は再び歩き出した。

青空の下、照りつける夏の光が、前を行く姉の淡い栗色の髪をきらきらと輝かせている。

答えは、まだ出ない。

ただ、繋いだ手の温もりだけが、私がいま確かにここに生きているという事実を、静かに伝えていた。


-----人物紹介-----

レティーシャ・グレリオ

人族・7歳

グレリオ男爵家の長女

ライモンド、ロメロとは三歳違いの妹で、レオナルドから見て三歳年上の姉にあたる

母カタリナ譲りの淡い栗色の髪と碧い瞳を持ち、可憐な容姿とは対照的に気性は激しく、幼い頃から武芸を好む

武門の家に生まれたことへの誇りが強く、家名や家族を侮辱されることを何よりも嫌う

特に弟レオナルドを可愛がっており、彼に危害を加えようとする者には容赦がない

その苛烈な性格と腕っ節から、領都の子供たちからは密かに「鬼姫」と呼ばれ恐れられている

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