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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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密会

初夏の陽光が、リオネル城砦の武骨な石壁を白く照らし出していた。午後も半ばを過ぎ、西へと傾き始めた太陽が落とす影は、城砦の巨大な輪郭を東側の斜面へと長く引き延ばしている。城壁の隙間を吹き抜ける風には、野原の草花が放つ青く爽やかな香りと、乾いた土の匂いが混じり合っていた。

マナーハウスの裏手、来客を迎えるための整えられた庭園とは反対の方向――城砦の側面を回り込むように伸びる緩やかな小径を、十歳の少年が一人、足早に歩いていく。

男爵家の次男、ロメロだ。

武芸の稽古に励む双子の兄ライモンドとは異なり、どこか物静かで線の細さを残す少年は、母譲りの淡い栗色の髪を風になびかせ、同じく母譲りの透き通った碧い瞳を落ち着きなく左右へ泳がせていた。周囲に従士や使用人の姿がないことを確かめるその手には、小さな革袋が大事そうに握り締められている。

周囲を警戒しながら城砦の死角へと消えていくその背中を、少し離れた建物の陰から、じっと見つめる小さな人影があった。

四歳となった三男、レオナルドだ。

母譲りの淡い栗色の髪の下、父譲りの灰色の瞳を細めた幼子は、二歳で歩き始めてから、もう二年。足取りはすっかり安定している。灌木や石垣の陰を選びながら、見失わない程度の距離を取って後を追う。四歳児の短い脚では、ロメロが足を速めるたびに小走りになる羽目になった。

城砦の脇を抜けると、人通りの途絶えた小さな雑木林が広がっていた。木々の隙間から木漏れ日がまだら模様に落ちる薄暗がりの中、ロメロは迷うことなく奥まった開けた場所へと足を進める。

木々の枝が天然の天幕のように広がるその木陰の中央には、すでに先客がいた。

大きな木の根元に腰掛け、膝を抱えて待っていたのは、八歳ほどの少女だった。

陽光を浴びて透き通るような白い肌と、頭の両脇から緩やかな曲線を描いて生える小さな巻き角――羊角族、ファウン族の少女だった。

ファウン族そのものは、エルフやドワーフと同じ亜人種にすぎない。だが、かつて人魔大戦で人族と敵対した側に属した種族は、今なお一括して「魔族」と蔑まれることがある。

多くの種族が暮らすアルビオンでも、その古い偏見は完全には消えていなかった。

少年の近づく足音に気づいた彼女は、ピクリと頭上の角を揺らし、パッと顔を上げて柔らかい笑みを浮かべた。


◇


「……フェリシア」


私の呼びかけに、大木の根元に座っていた少女が、ピクリと頭を揺らし柔らかく微笑んだ。

立ち上がった彼女は、同い年の人族の子供と比べても頭ひとつ分背が低く、粗末なチュニックの上からでも分かるほど痩せている。艶のある黒い髪と、感情をあまり表に出さない澄んだ黒い瞳。目鼻立ちは陶器のように整っているが、その眼差しには常に周囲を警戒するような孤独の色が滲んでいる。

口数の極端に少ない彼女が、私の前でだけ、かすかに口元を緩めた。


「……ロメロ様」


短く私の名を呼ぶ。それだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。執政官見習いとして視察に赴いた村で出会った時、彼女は身を寄せ合って生きるファウン族の子供だった。今は領都に移り住んでいるが、人族からの冷たい視線に晒され、彼女を引き取った人族の家族以外には決して心を開かない。

男爵家の次男である私と、忌み嫌われる魔族の少女。交わるはずのない身分差だ。いつか別れが来ることも、この関係が許されないことも、痛いほど分かっている。それでも――私は、彼女に会わずにはいられなかった。


「昨日の続き、お願いできるかい?」

「……うん」


フェリシアは短く頷くと、小さく華奢な手をすっと前へ掲げた。呪文の詠唱はない。体内のマナをその手に持ったワンドに循環させ、虚空をなぞる。それだけで青白い幾何学のルーン文字が空間に編み上げられていった。


「……遮音結界」


わずか数秒で展開された不可視の防壁。木々の擦れ合う音すら遮断され、周囲の音が波のように消えていく。古代にルーン魔法を編み出したとされるファウン族。無駄のない、あまりに美しく高密度な結界魔法だ。


「……ロメロ様の番」


黒い瞳が、私をじっと見つめる。私は緊張で強張る喉を鳴らし、腰から取り出した樫のワンドをぎゅっと握り締めた。ルーン魔法は金属との親和性が極めて悪いため、杖も金具のない純粋な木製だ。

武芸の稽古において、双子の兄ライモンドのような才はないにせよ、私も決して剣術が苦手なわけではない。成長すれば騎士となるのが男爵家であるグレリオ家の道筋だろう。だが、父上が何より高く評価し、認めてくれているのは、私の内に眠る『ルーン魔法の才』だった。中でも、対象に魔力を宿して強化する『エンチャント魔法』の適性は高い。

それも執政官見習い時にフェリシアに教えてもらったおかげだった。


「……魔力探知」


自身の内にあるマナを指先からワンドへと通し、周囲のマナの動きを捉えようとする。だが、頭に描いた感覚がうまく魔法へ変換されない。


「くっ……うまくマナが循環しない……」


焦る私の手首に、ひんやりとした小さな指先がそっと触れた。


「……力、入れすぎ」


フェリシアが至近距離から私の瞳を見上げている。黒い瞳に、私の困惑した顔が映る。


「……無理に押し込む、よくない」


短く、的確な指示。彼女の手から伝わる魔力の脈動が、私の荒削りなマナの乱れを優しく整えていく。触れ合う手の温もりに、耳の奥までカッと熱くなった。心臓が跳ね上がるのを悟られないよう、私は必死に呼吸を整え、周囲のマナの流れに意識を集中する。

やがて周囲を流れるマナが、自分の感覚と重なり始めた。目に見えるわけではない。それでも、揺らめく光の軌跡を追うように、その動きが少しずつ捉えられる。


「……できた」


フェリシアが小さく呟き、満足そうに目を細めた。


「ありがとう、フェリシア。君の教え方は本当に分かりやすいよ」


私が笑いかけると、彼女は照れたように視線を落とし、そっと私の手首から手を離した。その指先が離れる瞬間、胸の中に冷たい寂しさが過る。

これ以上、距離を縮めてはいけない。私はグレリオ男爵家の血を引く騎士の息子であり、彼女は魔族だ。好意を抱くことすら、彼女を危険に晒す火種になりかねない。彼女に会うことを父や母に知られてはいけない。それくらいは、私にも分かっていた。

だからこの気持ちが何なのか、深く考えないようにしていた。


「……ロメロ様、筋がいい」

「そうかな」

「……ロメロ様は、丁寧。……好き」

「えっ……」


不意に紡がれた言葉に、息が止まった。フェリシアは表情を変えず、ただ首を傾げていたが、その小さな耳の先がほんのりと赤く染まっていた。


「……魔法の、質が」

「あ、ああ……そういうことか……!」


慌てて取り繕いながら、私は赤面を隠すように天を仰いだ。切なく、どこまでも愛おしい、二人だけの秘密の時間。

フェリシアの角がぴくりと動いた。


「……待って」


ワンドの先に淡いルーンが浮かぶ。


「……魔力探知」

「……だれか、いる」


彼女の表情が強張った。

彼女の黒い瞳が、木陰の茂みへと向けられた。その警告に、私の心臓が激しく跳ね上がる。

城砦の巡回兵か、それとも館の従士か。もし男爵家の次男である私が魔族の少女と二人きりで密会しているところを見られれば、何と思われるだろうか。私自身の立場などどうでもいい。何より、彼女と彼女の家族に迷惑がかかるかもしれない。


(フェリシアだけは、絶対に守らなければ……!)


私は咄嗟にフェリシアの前に立ちはだかり、彼女を背中に隠すように両手を広げた。冷や汗が背中を伝う中、身構えて茂みを見据える。


「そこにいるのは誰だ!」


私は意を決し、潜む陰に叫んだ。

ガサリ、と落ち葉を踏む小さな音が響き、木陰から姿を現したのは――。


「……こんにちは、ロメロ兄様。気づかれないと思ったのですが、それは魔法ですか」


母譲りの淡い栗色の髪に、父譲りの灰色の瞳。今年四歳となった私の弟――レオナルドだった。


「レ、レオ……っ!?」


顔を出した意外な人物に、私は安堵と困惑を覚える。


「な、なんでお前がここに……!?」

「散歩ですよ。兄様が落ち着かない様子で館を出ていくのが見えたので」


平然と答える幼い弟の姿に、私の混乱は頂点に達した。

四歳の子供が、人気のない城砦裏の雑木林まで一人で尾行してきたというのか?

だが、そんな疑問を抱く余裕すら今の私にはなかった。


(レオに見られるなんて……!)


周囲から「泣かずの子」と噂され、少し変わったところはあるが驚くほど達観した聡い弟。もしレオが父上や母上にこのことを話してしまえば、すべてが終わる。

パニックに突き動かされるように、私は無我夢中で弟の前へと詰め寄った。


「頼む、レオ! お願いだから、父上や母上……館の誰にも言わないでくれ! 彼女は決して怪しい者じゃないんだ! 僕が、どうしてもルーン魔法が知りたくて、無理を言って教えてもらっているだけで……!」


支離滅裂な言い訳が口から溢れ出た。四歳の弟相手に、十歳の兄が懇願している。背後では、フェリシアが小さな角を強張らせ、不安そうに私の服の裾をぎゅっと握り締めていた。

しかし――。

懇願する私を見上げるレオナルドの丸い顔には、驚きも、糾弾の色も、子供特有の意地悪さも一切なかった。ただ静かに深い諦観をたたえて、ふっと小さく息を吐き出しただけだった。


「……ロメロ兄様はそちらの方を好いておいでなのですね」

「いや、そうではない。彼女はあくまで魔法を教えてくれただけであって……」


核心を突かれた。

頭が真っ白になり、もう何を言っているのか自分でも分からない。


「好きな相手も自由に選べないとは、貴族というのもずいぶんと不便なものですね」

「……え?」


思わず間の抜けた声が出た。

私にとっては息苦しいほど重い身分と種族の壁を、レオはただ「不便」の一言で片づけてしまった。

呆然とする私に向かって、レオナルドは小さく肩をすくめてみせる。


「安心してください。言いつけるような野暮な真似はしませんよ」

「ほ、本当か……!?」


張り詰めていた糸が切れ、私はその場にへたり込んでしまった。胸を押さえ、震える息を吐き出す。


「助かった……ありがとう、レオ……」


フェリシアもおずおずと私の背中から身を乗り出し、レオナルドへ向かって小さく頭を下げた。


「……ありがとう、小さな若様」


レオナルドは「兄様がお世話になっています」と丁重に頭を下げ返すと、何事もなかったかのように小さく手を振って、来た道へと歩き去っていった。

私とフェリシアの間には、身分と種族というどうしようもない壁がある。

けれど、あの小さな弟だけは、その壁をまるで気にしていなかった。

初夏の木漏れ日の中、小さくなっていく弟の背中を、私はしばらく見つめていた。


「……不思議な方」

隣でフェリシアがぽつりと言った。

私は思わず笑った。

「うん。本当に変な弟だ」


けれど、その言葉とは裏腹に、胸の奥には安堵が残っていた。

世界中が私たちを否定したとしても――。

あの弟だけは、たぶん違う。

今は、それだけで十分だった。


-----人物紹介-----

ロメロ・グレリオ

人族・10歳

グレリオ男爵家の次男

ライモンドとは双子の兄弟で、レオナルドから見て六歳年上の次兄にあたる

物静かで思慮深い性格

武芸にも一定の適性を持つが、特にルーン魔法への高い素質を父アントニウスから評価されている

ノルテン貴族の教育制度に従い、七歳から執政官見習いとして領内の視察にも同行している

視察先で知り合ったファウン族の少女フェリシアとは密かに交流を続けており、彼女からルーン魔法を学んでいる

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