焦りⅡ
男爵執務室の空気は、張り詰めた弓の弦のようにきしんでいた。
執務机の奥に座る領主代理ロメロ様の正面には、四名の上級騎士が威圧感を放ちながら立ち並んでいる。
いずれも亡きアントニウス閣下の時代からリオネルの軍事面を支えてきた古参であり、騎士団内でも強い発言力を持つ重鎮ばかりだ。
彼らがここへ乗り込んできた理由は明白であった。
先日発足した「自衛隊」なる新組織の実態への詰問、そして何より、長男ライモンド様への男爵位継承がいつ執り行われるのかという、核心への追及である。
(……厄介なことになった)
私は騎士たちが囲む執務机からやや離れたところで、冷たい汗が背を伝うのを意識しながら彼らの様子を窺っていた。
訓練場でもライモンド様と何やら悶着があったと聞いた。
彼らの焦りと危機感は、こちらの想定以上に膨れ上がっている。
その時、執務室の重い扉が静かに開いた。
入ってきたのは、連れ立って歩いてきたライモンド様とレオナルド様であった。
(チッ……今はまずい!)
私は即座に目線を鋭く走らせ、ライモンド様へ無言の合図を送った。
だが、時すでに遅し。振り返った上級騎士たちの険しい視線と、お二方の視線が真正面から交錯してしまった。ここで踵を返せば、かえって疑念を深めることになる。
ライモンド様はわずかに顎を引き、レオナルド様を引き連れるようにして室内へと足を進めた。
大柄な武人たちが詰めかけた執務室は、急激に手狭な圧迫感に包まれる。
上級騎士たちは、グレリオの継承権を持つ三兄弟が一堂に会したこの場においても、一切臆する色を見せなかった。
先頭に立つ筋骨隆々の騎士が、低く地を這うような声で口火を切る。
「ちょうど良いところへおいでになられた。ロメロ様、そしてライモンド様、レオナルド様。我らが聞きたいことは二つにございます。一つは、平民や獣人を集めて組織された『自衛隊』とやらの真意。そしてもう一つは、正統なる嫡男たるライモンド様への家督継承は、一体いつ執り行われるのか……その期限にございます」
直截な刃のような問いかけに、ロメロ様は酷く困惑した表情を浮かべられた。
気性の穏やかなロメロ様にとって、歴戦の騎士たちの放つ威圧感は耐え難いものがあるはずだ。
それでも、この若き領主代理は逃げ出すことなく、事前に定めた方針を必死に貫こうと言葉を紡いだ。
「騎士たちの懸念は理解しています。しかし、自衛隊はあくまで他領からの侵攻を警戒し、リオネル領内の留守を専守するための防衛軍に過ぎません。皆の誇りを軽んじる意図など毛頭ないのです。そして……家督の継承については、主家たるヴァイシス公爵閣下より『レオナルドの成人を待って家内で最終決定せよ』とのお達しを賜っております。これは公爵家の命であり、我らの一存で勝手に変えられるものではありません」
誠意を込めた説明であった。公爵家の権威を盾にした、これ以上ない正論でもある。
だが、古参の騎士たちがそれで矛を収めるはずもなかった。
「公爵閣下の命、それは聞いております。しかし、それはグレリオ家の内情を慮っての一時的な保留に過ぎぬはず。なぜ今、正統なる嫡男がおられるのに成人を待たねばならぬのですか!」
別の騎士が吐き捨てるように叫び、その鋭利な視線がロメロ様を素通りし、ドアの側に控える三男レオナルド様へと突き刺さった。
「商人まがいの新法で領内を引っ掻き回し、得体の知れぬ私兵を雇い入れ、あまつさえ幼き身で家督を狙っておられるのではないか……! レオナルド様、貴方はいったい何を企んでおいでだ!」
剥き出しの敵意が、少年の身へと殺到する。その刺々しい空気を切り裂くように、力強い足音が床を踏み鳴らした。
「そこまでだ!騎士ゼノス!」
割って入ったのは、ライモンド様だった。
長男たる頑健な背中でレオナルド様をすっぽりと覆い隠し、上級騎士たちの前に仁王立ちとなる。
その眼光には、弟を守ろうとする武人の気迫が宿っていた。
そして、息を呑む騎士たちへ向けて、ライモンド様は堂々と宣言されたのだ。
「家内で争ってまで、私は男爵位を継承したいとは思わない!」
執務室の空気が凍りついた。騎士たちばかりか、机のロメロ様までもが息を止める。
ライモンド様は迷いのない澄んだ声で、一気に言葉を重ねた。
「父上が遺してくださったこのリオネルで、民の暮らしは確実に良くなっている。土地は富み、皆が明日を恐れずに生きられるようになっているのだ。……この家と領民が守られるのであれば、私が男爵であるか否かなど、些細な問題に過ぎん!」
(……ライモンド様……っ!)
私は内心で頭を抱え、奥歯を強く噛み締めた。
実直で私欲のない、あまりにもこの方らしい崇高な言葉だ。
だが――いま、この極限状態の席で口にするには、あまりに拙すぎる。
「私が男爵であるか否かなど些細な問題」という発言は、騎士たちにとって「正統な主君として立つ気概を捨てた」と受け取られかねない。
それどころか、「三男に家督を譲る気満々ではないか」という騎士たちの最悪の猜疑心に、火に油を注ぐ形で確信を与えてしまうのだ。
戦慄を覚えながら、私はライモンド様の背後へそっと視線を走らせた。
視線が、私と重なる。
怜悧な頭脳を持つその少年もまた、兄の純粋すぎる言葉がもたらす致命的な失策に気がついたのだろう。
困った表情で、私に向けて小さく、小さく首を横に振っていた。
騎士たちの表情を見れば、ライモンド様の言葉に納得するどころか、ますます険しく、暗い炎を瞳に宿し始めていた。
(内輪の結束を守るための言葉が、騎士たちとの亀裂を決定的なものにしてしまった……)
冷え切った執務室の中で、私は訪れるであろう破局の予感に、ただ冷や汗を流すしかなかった。




