焦りⅠ
初夏の陽射しが注ぐリオネル城砦の訓練場は、騎士たちの打ち合う刃の音で満ちていた。
だが、その活気とは裏腹に、私の胸中には重い澱のようなものが溜まり続けている。
訓練を終え、汗を拭いながら引き揚げようとしたその時、背後から荒々しい足音が近づいてきた。
「――ライモンド様、少々お時間を」
振り返る間もなく、四、五名の騎士たちに促されるようにして、私は城砦の分厚い城壁の陰へと誘い込まれた。 人目を避けるようなその薄暗がりの中、先頭に立つ騎士ゼノス。
リオネル領でも有数の上級騎士だ。
その彼が、堪えきれないといった風情で眉間を寄せて私に詰め寄ってきた。
他の騎士たちも、殺気にも似た険しい表情で私を取り囲んでいる。
「ライモンド様、単刀直入にお伺いいたします。……あの、先日発足した自衛隊などと称する組織、一体何なのですか!」
吐き捨てるような言葉に、周囲の騎士たちが低く唸るように頷く。
「軍とは本来、名誉ある家名と血統を受け継ぐ我ら騎士が、主君への忠義のもとに命を懸けて務めるもの! それを……あろうことか他領から流れ着いた卑しい流民どもに武器を持たせるなど、言語道断にございます!」
「左様です! 聞けば、隊員の多くは獣人や亜人だとか。どこの馬の骨とも知れぬ獣どもに、まともな忠誠などあるはずがありません! あのような者たちを兵として囲うなど、騎士の誇りを踏みにじるにもほどがある。……ライモンド様は、この暴挙をどうお考えなのですか!」
向けられる憤りと詰問の刃。
彼らの苛立ちの根底にあるのは、武門の矜持と、新設された組織への剥き出しの拒絶だった。
私は息を整え、努めて穏やかな声音で彼らを宥めるように口を開いた。
「皆、誤解しないでほしい。あの自衛隊は、決して騎士団に取って代わるような軍隊ではない」
「……取って代わらぬと?」
「ああ。あの組織は、あくまで『領内の防衛』にのみ用途を限定された部隊だ。我ら騎士団が公国の命で遠征に出ている間、手薄になるリオネルの留守を守るためだけに編成された。それに――手合わせをしてみて分かったが、亜人や獣人たちの身体能力は侮れん。人族にはない俊敏さや筋力は、城や村を守る防衛戦において間違いなく確かな盾となる」
バウンドやウカンとの立ち合いで感じた手応えを交え、戦力としての実利を説こうとした。
だが、ゼノスは吐き捨てるように首を横に振った。
「我らは、そのような実利の話をしているのではございませぬ!」
壁を背負う私の眼前へ、ゼノスが一歩踏み込んでくる。その眼光は血走り、焦燥に濁っていた。
「形はどうあれ、領主家が平民や獣人を取り立てて軍を握らせたという事実そのものが問題なのです! ……だいたい、腑に落ちぬことばかりだ。亡きアントニウス閣下の葬儀からこっち、主家はどうなっているのですか!」
話がそこへ及んだ瞬間、陰の空気が一段と張り詰めた。
「公都での濡れ衣が晴れ、ライモンド様が無事にお戻りになられたというのに、なぜ男爵位を継承なさらぬのです? 相続を保留とし、いつまでロメロ様が『領主代理』などという腰掛けに居座られるおつもりか!」
「ま、まさか……三男レオナルド様を、本当に次期領主に据えるおつもりではあるまいな」
別の若い騎士が、怯えと怒りの混じった声を漏らす。
「あのレオナルド様は異常だ。商人の真似事をして金を集め、今度は流民を兵に仕立てて騎士の領地や権益を削り取ろうとしている……! かつては泣かずの子と呼ばれ、悪魔憑きと疑われた子ですぞ!」
「滅多なことを言うな!」
私は思わず声を鋭く尖らせ、騎士たちを一喝した。
だが、彼らは怯むどころか、さらに身を乗り出して声を潜めた。その瞳に宿るのは、疑心暗鬼が生み出した暗い熱情だった。
「ライモンド様、お気づきになられないのですか!? 正統なる嫡男である貴方様の権利を、弟君たちが結託して簒奪しようとしているのではございませぬか!?」
「ロメロ様を神輿にして時間を稼ぎ、その間にあの三男が独自の私兵を組織して実権を完全に奪い取る腹づもりだ! このままでは、ライモンド様のみならず、我ら騎士団すらこの領地から追い出されてしまいますぞ!」
(簒奪、だと……?)
あまりに不穏で、身勝手な言葉の数々に、私の背筋に冷たい汗が伝った。
ロメロもレオナルドも、シエル伯の魔の手からこの家と私を守るために、必死で泥を被り、知恵を絞っているのだ。
家督を惜しいと思ったことなど一度もない。次期当主にはレオナルドこそが相応しいと、心からそう納得している。
だが――その真意や裏の政治的意図を、目の前の騎士たちに明かすわけにはいかなかった。シエル伯への警戒を軽々しく口にすれば、公国内の混乱を招き、義叔父の陰謀に油を注ぐことになりかねない。
「……皆のグレリオ家への忠誠は嬉しく思う。だが、それ以上の妄言は慎め」
私は木剣を強く握り直し、騎士たちを射すくめるように見据えた。
「弟たちが私を裏切るような真似をするはずがない。家督の保留も自衛隊の設立も、我が家の未来を見据えた苦渋の決断だ。私を信じるのであれば、今は騒ぎ立てず、己の務めを果たしてくれ」
私の頑なな態度に、ゼノスらは悔しげに唇を噛み、押し黙った。
「……御意にございます。しかし、我らにも我慢の限界はございます」
絞り出すようにそう答えて一礼し、立ち去っていく騎士たちの背中には、納得など微塵も感じられなかった。 彼らの胸中に燻る焦りと不信の火種は、消えるどころか、より深く、暗く燃え広がっている。
遠ざかる足音を聞きながら、私は深く重いため息を吐き出した。
外からの脅威に備えようとすればするほど、足元の亀裂が音を立てて広がっていく。
家族を守るための盾が、身内を引き裂く凶器になろうとしている――その底知れぬ危うさに、初夏の風がいやに冷たく感じられた。




