自衛隊Ⅱ
とんでもねえ化け物だぜ、こいつは。
練兵場の乾いた土埃の向こう、木剣を構える若様の兄貴ライモンド様と対峙しながら、俺は喉の奥がカラカラに渇いていくのを感じていた。
先刻行われた俺との手合わせは、手も足も出ない一方的なものだった。
相手を追い詰めるような場面など、十回立ち会ってただの一度も作れやしない。
かといって、力任せに瞬殺されるわけでもないのが逆に恐ろしかった。
狼人族特有の勘と敏捷さを活かしてどれほど慎重に間合いを測ろうと、こちらのわずかな重心のブレや呼吸の乱れを、まるで針の穴を通すようにじわりじわりと突かれ、逃げ場を塞がれて確実に仕留められる。
堅実で、重厚で、一切の隙がない。
機を窺う俺の戦い方とは、最悪な意味で相性が悪すぎた。
だが――ウカンはどうだ。
木剣を乱暴に構え直し、爛々と目を輝かせているあいつの背中を、俺は息を詰めて見つめていた。
普段の鍛錬で俺とあいつがやり合えば、十回やって俺が負け越すことはまずない。
だが、もしこの圧倒的な格上の男に万に一つの一撃を叩き込めるとしたら、それは確実に俺ではなくウカンだ。
猿人族特有の、関節の柔らかさと変則的な身のこなし。
あいつの放つ太刀筋や動きは、正統な武術の理屈で予想してどうにかなる代物じゃない。
足場が崩れようが体勢が歪もうが、どんな体勢からでも予測不能の角度から何かを繰り出してくる。
型を外れたその動きは、時として己の負けを早める致命的な悪手にもなるが――逆に、絶望的な実力差のある格上から、奇跡のような勝利をもぎ取る刃にも化ける。
十回立ち会って一回勝てるとはとても言えない。だが、百回やったらどうだ?
全部負けるとは、絶対に言い切れないはずだ。
「――ッらぁぁ!」
ウカンが低く吠え、地を蹴った。
直線的な踏み込みと見せかけ、直前で奇妙なステップを踏んで右へ身体を沈める。
そこから跳ね上がるような、下段からの不規則な斬り上げ。
その瞬間――ウカンの一撃は、完全にライモンド様の不意を突いたように見えた。
(行けるか……!?)
だが、男は眉一つ動かさず、左腕の丸盾をわずかに傾けて間一髪のところでその刃を滑らせ、弾いた。
鈍い打撃音が響く。
しかし、それすらもウカンの計算の内だった。
弾かれた木剣の勢いを殺さず、あいつは右手の武器をくるりと内側へ巻き込むように反転させると、ガラ空きになった相手の側頭部へ向けて、電光石火の裏拳のような変則的な軌道で叩き込みにいった。
さらに、それすらもフェイント――!
木剣を囮にして相手の視線を上へと吊り上げ、軸足をコマのように旋回させながら、強烈な回し蹴りをライモンド様の胴へと薙ぎ払ったのだ。
うまい!
見守る俺の掌に、思わず爪が食い込むほど力がこもる。
これは入った――そう確信した、刹那だった。
「……おっと」
短く息を吐いたライモンド様の身体が、ウカンの蹴りの軌道の下へ、信じがたい速度ですっと沈み込んだ。
頭上を猛烈な風切り音とともに木剣と足が空を切る。
男は躱しただけでは終わらなかった。深くかがみ込んだ体勢のまま、相手の蹴りの反動――宙に浮いたウカンの軸足の足首めがけて、地面すれすれを薙ぐような鋭い足払いを一閃させたのだ。
ドカン、と鈍い音が響き、ウカンは受け身を取る暇もなく地面へ尻もちをつかされていた。
あいつが目を丸くした次の瞬間には、喉元わずか数ミリのところに、ピタリと静止した木剣の切っ先が突きつけられていた。
「…………っ」
観戦していた俺の喉から、重い唾を呑み込む音だけが漏れた。
この男――。
立ち上がりの手堅い構えを見て、てっきり貴族や騎士特有の「基本的な型にはまった優等生」かと思っていた。
だが、違う。
最後の足払いだ。型に忠実な騎士があんな泥臭く、実戦的なカウンターを咄嗟に繰り出せるはずがない。
あの足払いは、即興にしてはあまりに切れ味が鋭すぎた。
この男の本来のスタイルは、正統派の剣術ではなく、戦場で泥をすすりながら培った実戦の殺法そのものだ。
底がまるで見えない。
少なくとも、いまの俺たちが束になってかかったところで、かすり傷一つつけられないことだけは間違いなかった。
「……参った! 完全に読まれてたぜ!」
へたり込んだまま頭を掻くウカンへ、ライモンド様はふっと木剣を引き、差し伸べた大きな手で乱暴にあいつを引っ張り上げた。
「いや、素晴らしい身のこなしだ。センスの塊だな、お前は」
ライモンド様は相好を崩し、本当に嬉しそうに白い歯を見せて笑った。
「これなら、鍛え甲斐がある。大いに期待できそうだ」
その晴れやかな笑顔を見上げながら、俺は背筋に冷たい汗が伝うのを拭うことも忘れていた。
若様の底知れない頭脳も恐ろしいが、この長男も大概だ。
全く、世の中には考えられない化け物がいるもんだぜ――と、俺は小さく息を吐き出すしかなかった。




