火種Ⅰ
「……全く、使えん小娘だ」
執務机の上に放り出された報告書を一瞥し、私は苛立ち任せに舌打ちを漏らした。
先代の嫡流長男が遺した一人娘であり、我が姪でもあるアンソニー。
先日、葬儀の混乱に乗じ、少しでも男爵領枢要の内情を探り出してこいと命じて送り出したというのに、戻ってきたあやつがもたらした成果といえば「次男ロメロが暫定的な領主代理に就いた」という、公都の触れ役でも知っているような表層の事実のみ。
なぜ長男ライモンドが差し置かれたのか、背後で誰が糸を引いているのか、その肝心な問いには「分かりません」と自分の仕事ではないかのようにあっけらかんと答える。
聡明で気骨のある娘と買い被っていたが、所詮は世間知らずの小娘に過ぎぬということか。
父を失った混乱で家中が大きく乱れ、若き新当主が泣きついてくる手はずだった。
しかし、届く報せによれば、リオネル領は表向き驚くほど穏やかに推移している。
かの地を揺るぎなく支えているのは、ここ数年で叩き出されている未曾有の経済成長だ。新農法による圧倒的な増産、鉱山と港の物流改革――男爵家という末端の小領主でありながら、生み出す富の勢いは我が伯爵領すら脅かしかねない。
そして――何よりも私の頭を痛めつけているのが、我がシエル伯爵領の無様な惨状だった。
(忌々しい……我が領の民どもが、次々とリオネルへ流れ込んでおる)
豊かな実りと職を求め、夜陰に乗じて境を越える農民や職人の流出が後を絶たない。
その歪みはすでに領政を直撃していた。今年の収穫見込みは、深刻な人手不足も祟って例年を大きく下回る凶作同然と報告を受けた。早急に逃散を取り締まり、手を打たねば、領の財政はさらに悪化の一途を辿るだろう。
しかも、領内における私の足場はあまりに脆い。
先代伯の庶子から伯爵位を継ぎ、こうして統治を進めているというのに、古参の家臣どもはいまだ私に心服しておらんのだ。
隙あらば、先代嫡流の生き残りであるアンソニーを担ぎ上げ、私を引きずり落とそうと虎視眈々と目を光らせている連中が領内に巣食っている。
あの生意気な姪が私の指示に素直に従わぬのも、背後にそうした旧臣どもの影があるからに他ならない。
(内も外も、苛立たしい手詰まりばかりだ……)
だが――私に差し込む光がないわけではなかった。
あの強固に見えるグレリオ男爵領とて、決して一枚岩の盤石というわけではないのだ。
送り込んだ間者からもたらされた情報によれば、リオネルでは近年の急速な改革を快く思わぬ騎士も少なくないという。
土地や旧来の権益に手を付けられ、男爵家中枢への不満を口にする者もいるらしい。
そこへ来て、武人として人望の厚い長男ライモンドが家督を継がず、温和な次男ロメロが領主代理となった。
領主と、軍事力を握る騎士との諍い――。
それは封建領主にとって、容易に内乱へと発展しかねない最も致命的な猛毒だ。
「……ふっ、くく」
私は背もたれに深く寄りかかり、口元に冷たい嘲笑を浮かべた。
表面をどれほど豊かな富で飾ろうと、内輪の武力が割れれば脆く崩れ去る。
くすぶり始めたその火種に油を注ぎ、煽り立ててやればどうなるか。
リオネルの富も、あの生意気な姪の処遇も、すべてはこの私の手の平の上で転がしてやればよいのだ。




