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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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帰還Ⅱ

ノルテン公国の主城、ノルデン城の奥深くに設えられた小客間。

公的な儀礼や謁見を避けた、ごく内密な折衝のために使われるその一室は、決して広いとは言えない間取りながらも、訪れる者に公爵家の威光を無言で知らしめる静謐な重厚感に満ちていた。壁面には丹念に織り上げられた神話のタペストリーが掲げられ、足元には毛足の深い豪奢な絨毯が敷き詰められている。卓上に置かれた細工銀器や、控えめに灯る燭台の光さえもが、ここが公国の頂点たる者の私的な空間であることを物語っていた。


部屋の中央、黒檀のローテーブルを挟むようにして、二人の男が対面の革張りソファーに腰掛けていた。

上座に身を沈めているのは、流れるような金髪と澄んだ碧眼をたたえた青年。線の細い優美な貴公子然とした容貌でありながら、その瞳の奥には一国を統べる者特有の冷徹な知性を湛えている。ノルテン公爵領の主、ヴァイシス公その人であった。

対する下座には、やがて四十の坂を迎えようとする、険しい表情の男が座している。旅塵を払う間もなく公都へと駆けつけ、張り詰めた面持ちでヴァイシスを仰ぎ見るその人物は、リオネル男爵領を預かるグレリオ家の宰相、ゲオルグであった。


アントニウス将軍の訃報を耳にした時は、私とて驚きと動揺を覚えた。

武功に優れ、実直で、公爵軍の軍事面における中核を担ってくれた掛け替えのない柱石。いずれ機会を見ては男爵から子爵への昇爵すら視野に入れていたほど、信頼に足る男だった。

そして何より――あの「麒麟児」、類稀なる才覚で領地を急速に富ませているレオナルドの父親でもあった。

その将軍を、陣中の暗殺という不可解な手口で失ったばかりだというのに。

目の前の忠臣が早馬を飛ばして直訴してきた提言を聞き、私は内心で小さく舌を巻いていた。


「……将軍殿の子らは、随分と面白い手を打ってくるものだ」


私は紅茶のカップをソーサーに戻し、微かに目を細めながらゲオルグを見据えた。


(この申し入れは、あの子……レオナルドの差し金か?)


あえて意味深な色を乗せて問うてみる。

法を盾に先手を打ち、盤面を膠着させて時間を稼ぐ。あの麒麟児の知謀であれば、あるいは考えつきそうな一手に見えたからだ。

だが、ゲオルグは眉ひとつ動かさず、深々と頭を垂れて応じた。


「滅相もございません。これはあくまで、亡きアントニウス閣下の生前の御意志にございます。閣下は常々、長男ライモンド様と三男レオナルド様のいずれに家を託すべきか、深く苦悶しておられました。その御意志を尊重し、レオナルド様が成人されるまで家督の決定を保留とし、それまでの間、閣下より指名を受けていた次男ロメロ様を正式な『領主代理』として公爵様に公認していただきたく存じます」


あくまでアントニウスの意志だと押し通すか。

だが、その言葉に嘘はないのだろう。以前、茶の席でアントニウスに「後継はどちらにするのだ」と軽く水を向けた際、あの歴戦の猛将が困り果てたように苦笑いを浮かべていたのを、私もよく覚えている。


「一つ聞こう、ゲオルグ」


私はカップを置いた。


「そなたらは、ライモンドを廃嫡したいのか?」

「断じて、そのような意図はございません」


ゲオルグは即座に答えた。


「平時であれば、我らとてライモンド様の継承に異を唱える理由はございません。ですが今は、アントニウス閣下の死の真相すら明らかではなく、そのライモンド様の釈放にシエル伯が介入しております。この状況で家督を確定させることだけは避けたいのです」

「つまり、欲しいのはレオナルドではなく――時間か」

「御意にございます」


ゲオルグの眼光の奥にある切迫感を読み解くうち、彼らの真意が見えてきた。


(まさか……暗殺にシエル伯の関与をグレリオは疑っておるのか、可能性は……なくはないか……)


釈放された長男ライモンドがそのまま家督を継げば、救出の恩と婚姻関係を盾に、あのリオン卿がグレリオ男爵領の後見人として実権を侵食してくる。それを防ぐため、長男の継承そのものを法的に凍結し、ロメロを代理に立てて時間稼ぎを図ろうというわけだ。

なかなか先が見通せている男だ。男爵家の家老としては上出来すぎる動きと言える。

異例ではある。だが、法に反するわけでもない。

そして何より――もしもあのアントニウスの暗殺に、シエル伯リオンが何らかの形で関与しているのだとすれば、主家たる私とて到底これを静観するわけにはいかない。あやつがこの混乱に乗じて勢力を広げれば、公国内の均衡を崩しかねん。

暗殺に関与があったかは不明だが、シエル伯がこの状況を見過ごすとも思えん。


(アントニウスを失っただけでも痛い。その上、グレリオまでシエル伯の影響下に入れば、公爵派の北部に大きな穴が開く)


ここはグレリオ家の打ってきた策に乗り、承認を与えれば、シエル伯への牽制にもなり都合が良いか。


(ふむ、悪くない。ライモンドの継承権を剥奪するわけではない。ただ決定を保留するだけだ。レオナルドにも請求権は残り、ロメロには統治のみを預ける。少なくとも表向き、公爵家がグレリオの家督に介入して後継者を選んだことにはならぬ……それに)


ふと、あの聡明な少年の顔が脳裏をよぎる。

この難局、他家からの露骨な政治的圧力に対し、あの麒麟児がどう動き、盤面をどう覆して見せるのか――その才覚の底を、試してみたいという興味も確かにあった。


「よかろう」


私は静かに口を開いた。

身を強張らせるゲオルグへ、穏やかな笑みを向けながら言葉を続ける。


「私も生前、アントニウスから後継の件について迷っていると直接聞いていた。家臣たるそなたらがそう証言するのであれば、疑う余地はない」


安堵の息を押し殺す宰相を前に、私は執務机から羊皮紙を引き寄せると、羽ペンをインクに浸した。


「グレリオ家の家督については、レオナルドが成人するまでその決定を保留する。それまでの間、アントニウスの次男ロメロを、グレリオ男爵領の暫定的な領主代理として公爵家の名において承認する」


さらさらと羊皮紙の上に公爵家の署名を走らせ、真紅の封蝋に公爵印を力強く押し当てた。

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