陰謀Ⅱ
昨晩の凶報から、半日。
届いた複数の早馬と、私とバルド殿が独自に放った連絡網から入る断片的な情報を突き合わせるうち、私の中で一つの輪郭が浮かび上がってきていた。
――これは、明らかに我が男爵領の混乱を狙った、周到な策略である。
正面からの戦場で戦神の如き勇名を馳せるアントニウス様を亡き者にするなど、並大抵の手段で成せるはずがない。毒という卑劣な手口とはいえ、歴戦の将であるあのお方の警戒を潜り抜け、確実に仕留めてみせるなど、相当に手練れの刺客か、あるいは綿密に練られた計画が背後にあったに違いない。
そればかりか、あろうことかその大逆の嫌疑が、現場にいた嫡男ライモンド様へ向けられ、そのまま公都へ連行されるという展開。
当主を奪い、第一継承者を縛る。男爵家の首脳陣を同時に機能不全へ陥れようとする、悪意に満ちた盤面作りだ。
ふと机の向こうへ目を向ける。
執務机の革椅子に腰掛けるロメロ様は、深く息を吐き、静かに視線を前へと据え直しておられた。
(……ロメロ様は、もう大丈夫そうだ)
昨夜、父上の訃報に床へ膝をつき、絶望に打ちひしがれていた青年の姿はそこにはない。摂政としての責任を自らの内に据え直し、現実と戦う覚悟をその瞳に宿しておいでだ。
そして――円卓の脇に立つ、三男のレオナルド様。
この場にいる誰よりも若く、まだ十二歳の少年に過ぎないというのに、この状況を最も冷徹に整理し、把握しておられるのは紛れもなくこの方だった。
若君は、隣の椅子に腰掛ける老臣へ、穏やかな声音で語りかけていた。
「バルド老。昨夜から一睡もしておられないでしょう。控室に寝所を用意させましたから、少しだけでも横になって体を休めてきてはどうですか」
自らも父を失い、家が未曾有の危機に瀕している最中に、真っ先に老いた家臣の身を気遣うその器量。
本当に、底知れぬお方だ。
だが、気遣われたバルド殿は、自慢の豊かな白い顎髭をきゅっと引き締め、気丈に首を横に振った。
「お気遣い感謝いたします。されど、眠ってなどいられるものですか。わしは大丈夫じゃ。ここでお役に立たねば、先代にもアントニウス様にも顔向けができん」
バルド殿の頑なな忠義の返答を聞くと、レオナルド様はそれ以上無理強いはせず、小さく頷かれた。
そして、執務室にいる私たち全員を見渡すようにして、凛とした声を室内に響かせた。
「では、バルド老の気概に甘えましょう。――現在の情報を精査し、我々の認識を共有しましょう」
少年の双眸が、鋭い光を宿す。
「昨日夕刻、食事の前に、遠征軍の天幕にて、父上は水差しの水に紛れ込まされた毒によって落命された。そして、その時、天幕の中にいたのは兄上だけだった。……これが、父上が亡くなられた際の状況です」
「……左様にございます」
「ならば、疑問は自ずと絞られます。――そもそも、その水差しに水を用意したのは誰なのか? そして、その水差しに近づくことができた人物は、本当に兄上以外にいなかったのか?」
淡々と、だが的確に事件の急所を突くレオナルド様の言葉に、私は息を呑んだ。 少年の分析は止まらない。
「宰相の見立て通り、兄上を少しでも知る者なら、兄上が毒を用いるなど『あり得ない』と考えるでしょう。にもかかわらず、このような筋書きが作られた。……敵は兄上の人物像など問題にしていないのか、あるいは兄上に疑いが向きさえすれば十分だと考えているのかもしれません」
はっと胸を突かれた。
そうだ。ライモンド様という武人を少しでも知る者であれば、毒殺の濡れ衣などあまりにお粗末な筋書きだと失笑する。だが、敵はそれを平然と実行した。
「父上を疎ましく思う者。そして、兄上の性格をよく知らない者。――それだけでも、候補はだいぶ絞れるはずです」
わずかな情報から、霧の彼方に隠れていた犯行の構図を鮮明に浮き彫りにしていく。
(やはり……このお方は、恐ろしいほどの切れ者だ)
かつて審問会で法解釈の隙間を突き、大人たちをことごとく沈黙させたあの異能が、いまこの危機の只中で凄まじい冴えを見せている。
私は姿勢を正し、若君の思考の一助になればと、公国内における大局的な政治状況を付け加えるべく口を開いた。
「……レオナルド様。その見取り図に、公国内におけるアントニウス様の立場を補足させていただけますでしょうか」
「ええ、お願いします、ゲオルグ」
少年の促しを受け、私は頭の中で公国の権力構造を組み立てながら語り始めた。
「ノルテン公国は、長らく平和を享受してまいりました。北のアルヴァ王国とはここ百五十年、目立った軍事衝突は起きておりません。また、五公国と最も敵対的なグウィネス王国からも我が国は最も遠く離れており、直接的な被害を受けることもなかった。さらに先代、そして当代のヴァイシス公爵様はいずれも賢人と謳われる名君でございます。……結果として現在、公国内では公爵家の統治権と中央の力が極めて強まっております」
「中央集権化が進んでいる、ということですね」
「左様でございます。……となれば、面白くないのは古くからの特権を守ろうとする貴族、いわゆる『分権派閥』の者たちです。今回の国境での小競り合いの原因を作ったモンターニャ伯セルジオ卿は、まさにその分権派の旗頭とも言える大貴族」
私は執務机の上の地図に視線を落とし、言葉を重ねる。
「つまり、今回の出征そのものが、少しでも公爵家の軍権や発言力を削ぎ落としたいという分権派の思惑を孕んでいたのです。そして……我が主アントニウス様は、貴族の家格としては『男爵』に過ぎず、領地を与えられている貴族としては最も低い身分でございます。しかし武功と実直さから公爵様の信任は極めて厚く、公国軍の将軍の一人にまで抜擢されていた。……これを快く思わない分権派の貴族は、公国内に山ほど存在いたします」
身分の低い男爵でありながら、公爵の右腕として重用される武将。
それが、公爵の力を削ぎたい守旧派の大貴族たちにとって、どれほど目障りな楔であったか。
私の説明を静かに聞き届けたレオナルド様は、右手の指を顎に添え、深い思索の海へと潜り込んだ。 そして――何かの符号が頭の中で完全に一致したかのように、瞳に冷たく昏い光を宿し、低く呟いた。
「……なるほど」




