始動Ⅱ
何ということじゃ。
戦場にあっては、戦神グルザインの如き苛烈な威容を放つアントニウス様を、正面から討ち破るのではなく、暗殺などという卑劣極まりない手段で亡き者にするとは。
胸の奥底で、煮えくり返るような怒りが渦を巻いていた。
先代の戦死により、弱冠十八歳にして男爵位を継承したアントニウス様。その若武者を血縁として、家令として支え、共にこのリオネル領を守り抜いてきた日々が脳裏を駆け巡る。あの方は、己の得手を、そして器量を誰よりもよく理解している領主であった。決して傲慢にならず、家臣の言に耳を傾け、分を越えた無理な政策など決して行わぬ。派手さはなくとも、堅実に一つひとつ積み上げた領地経営は、緩やかでありながらも確実に前へと進んでいた。
その歩みを脇で手伝い、領地が健やかに育つ様を見届けてこられたことに、わしは深い誇りを抱いておったのだ。
それほどの主君を、あんな汚らわしい謀殺の刃で奪われたという理不尽。
湧き上がる怒りの濁流が、老いたわしの理性を呑み込み、支配していくのが分かった。
――だが、その怒りの霧を鋭く裂いて、冷徹な声が響いた。
「……暗殺者は、捕らえられたのでしょうか?」
床に落ちた羊皮紙を見つめたまま、顎に手を当てていたレオナルド様が口を開いたのだ。その静かな問いに、青ざめたゲオルグが首を横に振る。
「……分かりませぬ」
「では、誰の差し金だったのでしょうか?」
「……分かりませぬ」
重ねて問う末弟に、宰相は力なく同じ言葉を返すことしかできぬ。
そのやり取りの最中、レオナルド様はすっと背筋を伸ばし、濁りのない双眸で我々を見据えた。
「そうです。……分からないことばかりなのです。いま確実に分かっているのは、父上が亡くなったということだけです。暗殺されたという話さえ、まだ確たる裏付けがあるわけではない」
少年の唇から、矢継ぎ早に現実的な問いが紡ぎ出される。
「実行犯は誰なのか? 殺害方法は毒か刃か? 背後で糸を引いた黒幕は誰なのか? そもそも、父上は本当に暗殺されたのですか?」
「……分かり、ません……」
矢のような問いの前に、ゲオルグは擦り切れたような小声で、ただ項垂れるしかなかった。
動転する宰相を責める気など起きまい。だが、この十二歳の少年は、父親を殺されたという底知れぬ絶望の直中にありながら、感傷の一切を削ぎ落として冷酷な現実を見つめていた。
「まずは、情報を集めましょう」
レオナルド様は、視線を逸らさず、真っ直ぐに宰相を見据えてそう言い放った。
(……この子は、やはり底が知れん)
わしとアントニウス様が、血の汗を流して何十年もかけて育ててきたリオネル領を、この子はあっという間に飛び越えていった。わしの補佐として政務に関わり始めてからわずか数年のうちに成し遂げた数々の改革は、わしらの地道な努力の積み重ねが何だったのかと眩暈を覚えるほどの偉業ばかりだった。
かといって、わしらの歩みが愚かだったとは思わん。この子の方が、規格から外れておるのだ。
だが――その神童が、主君を失い崩れかけたこの土壇場で、誰よりも早く前を向いた。背筋を伸ばし、敵を見据え、戦う意思を示したのだ。
ならば。
この家の古株たるわしらが、いつまでも床に伏して涙を流している場合などあろうはずがない。この子が踏み出した一歩を、泥水を啜ってでも支えることこそが、わしらに残された唯一の務めではないか。
「――宰相!」
わしは溢れそうになる激情を飲み込み、重く、力強い声で静寂を破った。まだ狼狽と混迷の中に立ちすくんでいるゲオルグの目を、正面から射抜く。
「早馬の凶報をただ待つような、受け身の情報収集では後手を踏むだけじゃ。我らからも人を放ち、国境へ、公都へ、あらゆる筋へ手を伸ばして情報を集めるのだ! ……こういう時こそ、我ら大人が背骨となり、若君らを支えねばならんのじゃ!」
主君を失った悲嘆に暮れるのは、すべてを片づけた後でよい。わしの叱咤を受け止めたゲオルグの瞳に、ようやく宰相としての光が、微かな正気が戻りつつあるのが見えた。
摂政ロメロも、ゆっくりと床から立ち上がった。
まだ顔色は青い。目元には涙の跡さえ残っている。
それでも、震える拳を強く握り締めると、ゲオルグを見た。
「……頼む。父上に何が起きたのか、調べてくれ」
「はっ」
今度のゲオルグの返事には、わずかながら力が戻っていた。
(もう大丈夫じゃろう)
わしは、立ち上がったロメロ様とレオナルド様を見つめた。
アントニウス様が遺されたものは、まだここにある。
ふと執務室の窓へと視線をやれば、いつの間にか外の空には朝陽が昇り始めていた。
昨夜、世界を滅ぼさんばかりに吹き荒れていた暴風雨が嘘のように引いていき、どこかで澄み渡った春の青空が、静かに領都の街並みを照らし出していた。
-----人物紹介-----
レオナルド・グレリオ
人族・12歳
グレリオ男爵アントニウスと、その妻カタリナの三男
幼少期より年齢に似合わぬ聡明さを見せ、語学、領政、制度設計などに非凡な才覚を示す
幼くして家令バルドの補佐として領政に関わり、貧困に苦しんでいたウェルマ村の改革を皮切りに、農政や税制、領内の産業振興など数々の改革を主導
港湾都市リンクスの整備にも深く関与し、グレリオ男爵領の発展に大きな役割を果たしている
その才覚は領内のみならず、主家であるノルテン公爵ヴァイシスからも高く評価され、「麒麟児」と評されている
武芸や魔法には特筆すべき才能を持たない一方、人の話を聞き、異なる利害を調整し、それを制度として形にすることを得意とする
長兄ライモンド、次兄ロメロに次ぐ男爵家第三の嫡男であり、グレリオ家の爵位と領地に対する請求権を持つ




