雷鳴Ⅲ
領内視察の報告が一段落すると、食卓の空気はようやく柔らかく解けていった。
大人三人は赤葡萄酒の杯を重ね、自然と世間話に花を咲かせ始めた。
父上の近況、初陣へと赴いた兄ライモンドのこと、そして今回のマルケン国境への出征の行方――。
話が家族や戦の行く末に及ぶ中、末弟のレオナルドは酒には手をつけず、子供らしからぬ落ち着きで湯気の立つハーブティーをゆっくりと口に運んでいた。大人たちのやり取りに口を挟むこともなく、どこか楽しそうに耳を傾けている。
その時、ふと思い出したかのように、レオナルドがふっと視線を上げて話題を変えた。
「そういえば――広間の談話室に置かれている、あの遊戯盤があるではないですか」
唐突な問いかけに、グラスを傾けていたゲオルグ様が「ああ、あの白と黒の石を挟む遊戯ですかな?」と問い返す。
「そうです」と小さく頷いた末弟は、首を傾げて奇妙な質問を口にした。
「あれは、一体いつ頃からあるものなのですか?」
「いつ頃、と言われてもな……」
私は記憶を手繰り寄せながら答えた。
「私や兄上が幼い頃には、すでにマナーハウスに置いてあったはずだよ。父上やゲオルグ様が暇潰しに打っていたのを覚えているが」
すると、レオナルドは小さくかぶりを振った。
「いいえ、我が家にいつからあるかではなく――『この世界』に、いつ頃現れたものなのでしょうか」
「……この世界、に?」
私は思わず眉を寄せた。
何とも奇妙で、浮世離れした言い回しだった。まるで自分たちが暮らすこの大陸や歴史を、外側の遥か遠くから俯瞰して眺めているような、どこか底知れぬ違和感を覚える言葉の選び方だった。
見れば、向かいに座るバルド老も、深く刻まれた眉間にわずかな怪訝の色を浮かべていた。
だが、バルド老は白髭を擦りながら、記憶を探るように言葉を継いだ。
「ふむ……わしとて起源までは詳しく知らんが、少なくともわしが子供だった半世紀以上も前には、すでに貴族の間では遊ばれておった気がするぞ。伝統的な古くからの盤上遊戯というわけでもなさそうだが、いつの間にか広まっていたものじゃな」
「……そうですか」
レオナルドは何かを深く思案するように、わずかに視線を落として呟いた。
そして、すぐに愛らしい笑みを取り戻すと、
「話の腰を折ってしまってすみませんでした。どうぞ続けてください」
と小さく頭を下げ、再び私たちの会話に耳を傾ける側へと静かに戻った。
あの底知れぬ末弟が何を気にしてあのような質問をしたのか、私には測りかねた。だが、酒の心地よい酔いも手伝い、その小さな疑問はすぐに再び盛り上がった家族の昔話の波に押し流されていった。
それから一時間ほど語り合い、夜も更けてそろそろ各自の部屋へ引き揚げようかという頃合いだった。
――ドタドタと、雨音を切り裂いて階下の玄関ホールからただならぬ足音が響いてきた。
窓を覗くと風雨の唸る外の門先から、ずぶ濡れの騎手が小間使いの手によって慌ただしく屋敷の中へ招き入れられている。
何かが起きたのか――?
先刻までの穏やかな空気は一瞬にして霧散し、円卓を囲む四人の間に冷たい緊張が走った。
バタバタと廊下を駆けてくる足音に続き、激しく執務室の扉がノックされる。
「ロメロ様! 夜分に失礼いたします! 遠征軍より、至急の早馬にございます!」
普段は冷静な執事の声が、切迫のあまり上ずっていた。
「……入れ!」
私の返答と同時に扉が勢いよく開け放たれた。肩で息をする執事が、水滴の滴る革筒から一通の書状を取り出し、震える手で私の前へと差し出す。
ただ事ではない。ゲオルグ様もバルド老も、そしてレオナルドまでもが無言のまま立ち上がり、私の手元を鋭く凝視していた。
胸の鼓動が耳の奥で早鐘を打つ。 私は震える指先で封蝋を強引に引き剥がし、湿った羊皮紙を荒々しく開いた。
そこに走り書きされた文字を目で追う。
遠征先において――。
アントニウス・グレリオ、死亡を確認。
カッ――と。
開かれたカーテンの向こうで、青白い稲光が夜の闇を引き裂いた。
一拍遅れて、凄まじい雷鳴が城砦全体を震わせる。
私の指から、羊皮紙が滑り落ちた。
「父が……亡くなった……」
-----設定紹介-----
嫡子相続法と請求権
アルビオンをはじめ、ガルディアや中央帝国など多くの国では、貴族家の爵位と領地の継承に「男子優先の嫡子相続法」が採用されている
領主が後継者を指定する遺言を残していない場合、原則として正室から生まれた長男が爵位と領地を継承する
庶子の男子が年長であっても、正室との間に男子が存在する場合は嫡流男子が優先される
一方、嫡流男子が存在しない場合には、庶子の男子にも継承権が生じる
領主は生前の遺言によって、本来の継承順位とは異なる人物を後継者として指定することもできる
しかし、嫡流男子には「請求権」と呼ばれる固有の権利が認められている
これは、他の人物が後継者に指定されていた場合であっても、自らこそ正当な継承者であると主張し、爵位と領地の継承を争う権利である
請求権に基づく争いによって継承者が決定した場合、主家であってもその結果を覆すことはできない
現在のグレリオ男爵家では、長男ライモンドが第一継承者となる
しかし同じく正室カタリナを母とするロメロとレオナルドにも請求権が存在する
一方、庶子であるマルチェロには、嫡流男子が存在する現在、この請求権は認められていない




