疑念Ⅱ
港町リンクスを後にした私は、予定通り領内の巡回視察へと歩みを進めた。
鉄や銅を産出する鉱山に立ち寄って採掘量の推移と作業員の安全対策を確認し、アルヴァとの境界に位置する国境関所では警備兵の配置状況と密貿易の取り締まり記録に目を通す。さらに、新農法を導入したいくつかの村々を巡り、春の作付けの進捗や水路の維持管理の状況を丹念に検分していった。
現地で直接足を動かし、帳簿と現場の乖離を埋めていく作業は極めて順調だった。領民たちの顔には確実な実りへの期待が宿っている。
だが――馬車の揺れに身を任せながら次の視察地へと向かう道中、ふと、奇妙な疑念が頭をよぎった。
(……私のような存在は、この世界に他にいないのだろうか?)
なぜ、これほど単純で重大な可能性に今まで思い至らなかったのか。
考えてみれば、当然の疑問だった。
私はこれまで、この世界で生きることそのものに追われ、自分が「なぜここにいるのか」を深く掘り下げることを後回しにしてきた。
この世界に、前世の記憶や別世界の知識を持った存在が「自分一人だけ」であるなどと、一体誰が保証できるというのか。もしも自分と同じように、近代社会の記憶を保持したまま生まれ落ちた人間がどこかに存在していたとしたら――その者は、この世界でどう動くだろうか。
思考を巡らせるうち、不意に前世の記憶の片隅にいた男の顔が浮かんできた。
私の第一秘書を務めていた、高坂だ。
高坂は、筋金入りのオタクだった。国会対策や選挙地盤の調整といった激務の合間、暇を見つけては「いま若者の間ではこういう話が流行っていましてね」と、嬉々としてサブカルチャーの話を聞かせてきたものだった。
政治家の秘書などという、権謀術数と妥協が渦巻くリアリズムの塊のような職業に身を置いていれば、プライベートくらいは非現実的なフィクションを楽しみたいと願うのは、案外ごく普通のことだったのかもしれない。
事実、私自身も前世のしがらみから解放され、開拓と統治に知恵を絞るこの世界での生活を、何だかんだでかなり気に入っているのだから。
(知識を使って、一攫千金の金儲け……か)
高坂が語っていた物語の主人公たちなら、真っ先に考えそうな手筋だ。
しかし、現実ベースに落とし込んで考えてみれば、それは口で言うほど簡単なことではない。
例えば、化粧品が女性貴族や富裕層に高く売れる市場性があることくらい、誰だって分かる。
だが現実問題として、基礎化粧品や口紅の正確な化学成分や精製手順、安定した乳化の方法まで完璧に理解している素人が、元の世界に一体何人いただろうか。
車が極めて便利な乗り物だと知っていても、鉄を鍛鉄し、エンジンを設計し、ゴムを加工して車輪を作る。それらすべてを一人で行える人間など、現代社会ですらほとんど存在しない。
「知っている」ということと、「作れる」ということの間には、絶望的な技術と工程の壁が存在している。
現代知識があれば何でも簡単に再現できるというのは、ただの都合の良い幻想に過ぎないのだ。
私とて同じことだ。
私は前世において政治家であって、農家でも職人でもない。
四圃式農法の概念や輪作のサイクル、灌漑の重要性は知識として知っていても、土壌の良し悪しを手で触って見分ける術も、痩せた畑の耕し方も、羊の育て方すら専門的には知らないのだ。
私にできることは、ただ一つ。
利益と発展に至る合理的な道筋を敷き、現場で土を弄り、槌を振るう技術を持った者たちを適材適所で集め、彼らの努力が正当な富として還元されるシステムを示すことだけなのだから。
もしも転生者だけが、何者かから山をも穿つような強大なチート能力を授けられているなら話は別だが――いや、それもあり得ないだろう。
人智を超える規格外の存在が実在するなら、この世界の歴史がこれほど地道に、泥臭く歩みを進めてくるはずがないのだ。そんな天災じみた化け物が跋扈する世界で、国家がわざわざ膨大な財政を割いて軍隊を整備し、国境警備や防衛に心血を注ぐことなど無意味になってしまう。
パンチ一発で大地にクレーターを穿つような怪物がリングに上がってくる世界で、ボクシング選手が汗水流してまともにジャブの練習などするわけがないのと同じ理屈だ。
この世界には強者はいる。英雄と呼んでもいいだろう。
兄ライモンドのような存在だ。
だが、どれほど強大であろうと、人は人だ。矢が急所を穿てば死ぬし、眠らず、食わず、たった一人で軍勢と戦い続けることなどできない。
もし一人の人間が軍隊そのものを無意味にできるほどの力を持つなら、国家が莫大な財を投じて城壁を築き、兵を訓練し、国境を守る現在の歴史は成立していない。
そういえば、異世界とグルメを掛け合わせた物語も、高坂から聞いたことがある。
現代日本の料理を持ち込んで喝采を浴びる――なるほど、物語としては分かりやすい。
だが、この世界の人間とて、昨日今日になって火を使い始めたわけではない。
何千年もの間、煮て、焼いて、干して、漬け、限られた食材と香辛料の中で少しでも美味く食べる方法を試してきたはずだ。
私が前世の料理を幾つか知っているからといって、その長い積み重ねを一足飛びに超えられるなどと考えるのは、あまりに傲慢というものだ。
(多くはここに至る歴史が存在することを考えれば否定できる……他に何かないか?)




