出征Ⅱ
リオネル城砦の正面広場は、早朝の冷気を吹き飛ばすほどの凄まじい熱気に包まれていた。
整列する甲冑の擦れ合う金属音、軍馬の荒い鼻息、そして林立する長槍掲げる兵たちのざわめき。
磨き上げられた鉄の鎧を纏った男爵家の騎士たち、手勢を率いる従士たち、そして弓や長槍を手にした屈強な民兵たち。遠征の準備を整え終えた数百の兵が広場を埋め尽くし、これから戦場へと向かう独特の昂揚感が、陽光を浴びた砂埃と共に渦を巻いていた。
父から初陣を命じられた私もまた、新調された甲冑に身を包み、愛馬の手綱を握りしめてその場に立っていた。
武門を誇るグレリオ家の長男として生まれた以上、初陣とは避けて通ることのできない、真の意味での「成人の儀式」に等しい。全身の血が激しく沸き立つような感覚に、私は抑えきれない身震いを覚えていた。
「若、初陣こそ思わぬ落とし穴があるものですぞ。努々、油断なされますな」
幼い頃から私の剣術と騎馬の教育係を務めてくれた古参の騎士が、馬を寄せて低く釘を刺してきた。
だが、滾る熱気の中にいた私は、兜の奥で笑みを浮かべ、
「分かっている!」
と、ただ息巻いて短く応えるだけだった。我が身に宿る力と技を戦場で試したくてたまらず、周囲の忠告など右から左へと抜けてしまっていたのだ。
その時、城砦の大扉が開き、父上が広場へと姿を現した。
歴戦の傷が刻まれた重厚な全身鎧。何十度となく死線をくぐり抜けてきた男だけが纏う、静かで圧倒的な威圧感。私のような新米の鎧姿とはまるで違う、皮膚の一部のように鎧を着こなしたその立ち姿は、紛れもなく公国軍将軍の風格そのものだった。
父上は真っ直ぐに私の前へと歩み寄ると、私の顔をじっと見据え、小さく何度か頷いた。 そして――。
バン、バン!
鎧越しに、私の肩を力強く叩いた。鈍い衝撃が肩から全身へと突き抜ける。
「まずは落ち着くのだ、ライモンド」
低く、だが腹の底に染み入るような父の声。
その一言と重い衝撃によって、私は自分がどれほど浮足立ち、血気にはやっていたのかを痛烈に自覚させられた。背筋に冷汗が伝うのを感じながら、私は深く息を吸い込み、冷たい肺腑を満たした。
荒ぶる心臓を鎮め、今度は落ち着きを取り戻した瞳で、「大丈夫です」と言わんばかりに父へ強く頷き返した。
冷静さを取り戻して初めて、父の背後に見送りの家族たちが控えていることに気がついた。
まず目に留まったのは、双子の弟だ。内政にも魔法にも類稀な才を持ち、常に理知的な男であるはずだが、軍勢が放つ殺伐とした熱気に当てられたのか、どこか気圧され、臆しているように見えた。能力は申し分ないのに、いざ血生臭い武の場となると少し気弱な面が顔を出す――この弟の昔からの悪癖だなと、私は内心で小さく苦笑した。
その隣に立つ末弟は、十二歳という年齢を感じさせない完璧な所作で、目上に対する礼を微塵も崩さずにいた。
「兄上、ご武運を」
相変わらず子供らしからぬ落ち着き払った挨拶を返してくる。この聡明すぎる弟を守るためにも、長男たる私が戦場で不甲斐ない姿を見せるわけにはいかない。
そして、成長するにつれて、その面影は亡き母上にますます似てきていた妹。けれど、その碧い瞳は悲哀に沈むことなく、戦場へ向かう兄を鼓舞するように爛々と輝いている。力強く私へ頷いてみせる妹に対し、私は「任せておけ」と胸を張って頷き返した。
家族との視線の交わし合いを終えると、父上が軍勢の前へと歩み出て、全軍へ向けて右腕を高々と掲げた。
「――全軍、集合!」
父の号令が木霊した瞬間、兵たちは自らの士気を誇示するかのように、地鳴りのごとき雄叫びを轟かせた。 城砦を揺るがすほどの歓声が天を衝き、父の腕が振り下ろされる。
「出陣せよ!」
号令一下、数列に整列した騎兵と歩兵の隊列が、重厚な足音を響かせて公都へ通じる街道へと動き出した。
軍勢が動き出す中、父上はふと足を止め、見送りの列にいたロメロを振り返った。
そして、広場中に響き渡る厳格な声で告げたのだ。
「ロメロ! そなたを、私が帰還するまでの間、男爵領の『摂政』に任ずる!……立派に務め上げよ!」
「……っ!?」
あまりの抜擢に、ロメロは目を丸くして息を呑んだ。
だが、次の瞬間には背筋を伸ばし、
「ハッ……! 謹んで、お引き受けいたします!」
と、弾かれたように承知の敬礼を返した。
その覚悟に満ちた返答を背中で受け止めながら、父上は満足げに馬へと跨がり、行進する兵たちの中段へと列を交じらせた。
私もまた愛馬の腹を蹴り、父の背を追って街道へと馬首を向けた。
故郷を背にし、遥かなる戦場へ。
私の初陣の幕が、いま静かに上がろうとしていた。




