我が儘Ⅱ
ライモンドとアンソニー嬢の婚約合意を伝えたことで、張り詰めていた食卓には久方ぶりに温かな歓声と笑顔が満ちた。
昨今、領内ではレオナルドの推し進める性急な改革と、既得権益を脅かされた騎士階級との間に抜き差しならぬ軋轢が生じている。その不穏な影は知らず知らずのうちに我が家の空気をも強張らせていたが、この慶事によって少しは家族の心も解きほぐれてくれるのではないか――そんな淡い期待を抱きながら、私は手元の葡萄酒を飲み干し、次なる話題へと水を向けた。
「さて、ロメロ」
矛先を向けられた次男が、行儀よくスープ用のスプーンを置いて顔を上げる。
「兄の婚約も無事に内定したことだ。……お前もそろそろ、妻を娶ることを考えてはどうだ?」
その言葉を口にした瞬間、普段はいかなる事態にも眉一つ動かさぬ怜悧な次男が、あからさまに息を呑んで硬直した。動揺を隠しきれぬまま、整った眉を激しく寄せて言葉を紡ぐ。
「父上、何を仰るのですか……! 兄上が正式にご結婚されるのは、アンソニー嬢が十六歳になられてからです。まだ四年以上も先の話ではありませんか。長男である兄上を差し置いて、弟である私が先に婚姻を結ぶなど……礼を失します。私は、兄上のご成婚をしかと見届けた後に、改めて考えさせていただきます」
もっともらしい殊勝な理由を並べ立て、必死に話題を逸らそうとする姿は、知性派で通るロメロにしてはひどく拙いものだった。
(……やれやれ。嘘が下手な男だ)
私は内心で小さく息を吐いた。
理由を取り繕うロメロだが、その本心を私は知っていた。
私とて領主であり、この家の家長だ。子供たちの動向にそこまで鈍感ではない。
ロメロが密かに想いを寄せている少女がいることなど、とうに把握していた。
執政官見習いとして赴任した村で出会った、あの娘だ。
――そして、あろうことかその少女は、頭部に湾曲した羊の角を戴くファウン族の娘だった。
人族社会では、古くから「魔族」と呼ばれ忌み嫌われてきた亜人種の一つである。
それが貴族の嫡子として決して許されぬ禁忌であると痛いほど弁えているからこそ、聡明なロメロは誰にも悟られぬよう、その情熱を心の奥底深くにひた隠しにしているのだ。
貴族と平民のロマンスなど、婦人向けの社交話でも手垢がつくほどありふれた話だ。現に私の知人の貴族にも、平民の娘を娶った者は何人もいる。
だが――相手が「魔族」となれば、次元がまるで違う。
人族社会には、人魔大戦以来の歴史に根ざした「魔族」への忌避感が今なお根深く残っている。
いくら寛容な気風のあるアルビオンとはいえ、魔族を正妻や側室に迎えた貴族など、私の知る限り一人も聞いたことがない。
父としては、息子の純粋な初恋を踏みにじって頭ごなしに叱りつけたいわけではない。人を愛する心そのものを罪だと断じるほど、私は無情な男にはなりきれない。
しかし同時に、私はグレリオ男爵家の存続と領民の安寧を背負う領主でもある。ここで感情に任せた愚行を許せば、ロメロ自身が貴族社会から抹殺されかねないのだ。
私はわざと重々しく咳払いをし、懐から数通の書状を取り出して食卓に置いた。
「兄に遠慮する必要などない。実はな、ロメロ。すでにお前にも、いくつか正式な婚姻の打診が届いているのだ」
「……えっ?」
困惑するロメロの前に、書状を滑らせる。
「先方の家名を言おう。……いずれも、領内の有力な騎士家からだ。代々我が家に忠義を尽くしてきた武門の娘たちばかりだぞ」
その家名を聞いた瞬間、ロメロの顔から完全に血の気が引いた。
聡明な次男の頭脳なら、この縁談が意味する政治的意図を瞬時に察知したはずだ。
いま、レオナルドの改革に反発を強める騎士層は、自らの権益を守るために主家との繋がりを喉から手が出るほど欲している。ライモンドがシエル伯爵家という外部の巨大な後ろ盾を得た今、彼らが次に縋り付くべき対象として、内政と魔法に秀でた次男のロメロに目をつけたのだ。
「父上、それは……」
言葉を詰まらせ、狼狽の極みにあるロメロを、私は静かに見据えた。
断ることはできる。
だが、いつまでも全てを断り続けるわけにはいかない。
心に秘めた許されぬ想い人と、貴族の義務として突きつけられる現実の縁談。
その板挟みに苦しむ息子の青ざめた横顔を前に、私は親としての痛痒を覚えつつも、領主としての冷徹な仮面を崩すことはできなかった。




