亀裂Ⅳ
「――言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ!」
城砦の廊下、石造りの冷たい壁に私の怒声が反響した。
私の顔を見るなり、数名で徒党を組んで小声で譏り、当て擦りのような小言を漏らしていた同僚の騎士たちへ、苛立ちを抑えきれずに投げつけた言葉だった。
しかし、彼らは私の気迫に気圧されたように一瞬口を噤んだものの、まともに向き合おうとはせず、侮蔑を含んだ冷笑を浮かべながら背を向けて足早に去っていった。
(……まったく、やりきれない)
私は奥歯を噛み締め、一人残された廊下で重いため息を吐き出した。
私とて騎士だ。
幼い頃から剣を握り、主家のために血を流すことこそ誉れだと教えられてきた。
村人たちが槍を持ち、自分たちで魔物を退ける姿を初めて見た時、胸のどこかに言葉にしがたい寂しさを覚えなかったと言えば嘘になる。
先祖伝来の誇りある騎士の家柄でありながら、手にする俸給は決して多くなく、痩せた小さな荘園をやりくりして糊口をしのいできた下級騎士たち。
彼らにとって、昨今の領内の急激な変化は、己の存在基盤を揺るがす恐怖そのものに映っているのだろう。
だが――だからといって、そのやり口があまりにも浅ましく、見苦しい。
しばらくして、先ほど背を向けた騎士たちは、さらに数名の仲間を伴って戻ってきた。多勢に無勢と見るや、嵩にかかって私を取り囲み、堰を切ったように現状への不満をぶちまけてきた。
「おいパウロ、貴様は気にならないのか! このままでは我ら騎士の立場がなくなるぞ!」
「そうだ! 平民や、あんな得体の知れぬ獣人や亜人の寄せ集めで、本当にこの領地が守れるとでも思っているのか!」
「泥を這い回る平民どもに武器を持たせるなど、狂気の沙汰だ!」
耳に胼胝ができるほど聞かされた、お決まりの不満と愚痴の羅列。
かつてウェルマ村に派遣され、あのレオナルド様が血の滲むような思考と努力で村を建て直す姿を間近で見てきた私にとって、彼らの言葉はただの甘えと僻みにしか聞こえなかった。
「我らが富を寄越せと言っているのではない!父も祖父も、この家のために剣を振るってきた!それを村人に槍を持たせれば我らなど不要だと言わんばかりではないか!」
中には問題を的確に捉える冷静な騎士もいる。
「確かに、その気持ちは分からなくもない 。だからといって御兄弟を争わせてよい理由にはならない!」
怒気を孕んだ低い声で騎士たちを見据えた。
「――貴公らは、一体誰に仕えているのだ?」
私の問いかけに、騎士たちの喚き声がピタリと止まる。
「不満があるのなら、正々堂々と当主であるアントニウス様に直接問えばいいではないか。主君の目の前で意見を述べる度胸もないくせに、陰でレオナルド様を貶め、あまつさえ御兄弟の仲を裂くようにライモンド様を頼ろうなど、騎士として恥を知れ! もってのほかだ!」
私が畳み掛けると、何人かの騎士が気まずそうに目を逸らす。だが、彼らの胸の奥にある嫉妬の炎は消えなかった。
「レオナルド様の推し進める改革は、間違いなく領内を、そして皆を豊かにしている。麦の収量が増え、特産の流通が整い、治安が安定したことで、我ら騎士も少なからずその恩恵を受けているはずだ! それを貴公らは認めようともしない!」
もちろん、彼らが何も失っていないわけではない。
だが、怒りをさらに燃え上がらせているのは、自分たちより下にいるはずだった平民や新参者が、己を追い越して豊かになっていくという現実なのだ。
「自分たちは過去の慣習にあぐらをかき、何の成長の努力もせぬまま、今まで通りの特権と恩恵だけを受け続けたいと甘えているだけではないか!今、豊かさを享受している者たちは、血の滲むような工夫と相応の努力をしているのだぞ!それを、主家に仕える誇りあるべき騎士が、己の怠惰を棚に上げて改革の足を引っ張ろうなど――言語道断だ!」
肚の底からの私の怒号が、廊下の空気を震わせた。
だが―― 私の魂の叫びは、凝り固まった彼らの頑なな心には、何一つ届かなかった。
騎士たちを束ねる男が、忌々しそうに舌打ちをし、私をあざ笑うように吐き捨てた。
「……ふん、言ってくれるではないか。レオナルド様に尻尾を振って重用され、甘い汁を吸っている犬の騎士様は、気楽なことで結構だな」
「行こう。こいつと話しても時間の無駄だ」
嘲笑を交わしながら、彼らは踵を返して去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は拳を強く握りしめ、爪が手のひらに食い込む痛みに耐えていた。
(……救いようがない)
領地は確かに豊かになった。倉には麦が満ち、民の顔には活気が宿り、リオネル領は見違えるほどの発展を遂げている。
だが、その急激な光が強くなればなるほど、足元に落ちる影は濃く、暗くなっていく。
静まり返った石造りの廊下で、私は、豊かさを謳歌する男爵家の水面下で、パキリと深い亀裂が走る不穏な音を聞いた気がした。
-----設定紹介-----
グレリオ男爵家の騎士
グレリオ男爵家に仕える武装身分
当主への軍役を負い、戦時には男爵軍の中核として出陣する
多くは小規模な荘園や俸給を与えられ、その収入によって武具や馬を維持している
家柄を代々受け継ぐ者もいれば、武功によって一代で騎士に取り立てられる者もいる
国境を守る武門の家であるグレリオ家では、騎士の地位と名誉は特に重く、領民を守ることと主家のために剣を振るうことを最大の誇りとしてきた
一方、近年は各地に自警団が整備され、直轄領を中心とした急速な改革が進んだことで、従来の騎士の役割や経済的立場にも変化が生じ始めている




