縁談Ⅱ
その日の夕食も終わりに近づき、給仕たちが食事が終わった空いた食器を静かに下げ始めた頃、私は手にした葡萄酒のグラスを置き、食卓を見渡した。
カトラリーを置く微かな音だけが響く食堂。
訓練を終えたばかりのライモンドとロメロの肌にはまだ火照りが残り、レティーシャは満足そうにナプキンで口元を拭っている。末席には、いつものように控えめに控えるマティルダとマルチェロ、そして十歳となり執政官見習いを見事な成果で凱旋した三男のレオナルドがいた。
「――皆に、話がある」
私の重い切り出しに、子供たちの視線が一斉にこちらへ集まる。
私は姿勢を正し、長男のライモンドを見据えて本題を口にした。
「今日、我がグレリオ家に公式な婚姻の打診があった。……相手はシエル伯領主、リオン・ベルトレ伯だ。伯爵の姪にあたる、アンソニー・ベルトレ嬢とライモンドの婚約の申し出だ」
その名が出た瞬間、食卓の空気がわずかにざわめいた。
驚きに目を瞬かせたのはロメロだった。思慮深い瞳をしばし泳がせ、記憶を手繰り寄せるように口を開く。
「アンソニー嬢……先日の公都ノルデンのパーティーでお見かけしました。燃えるような見事な赤髪が印象的な、大変美しい令嬢でしたね」
「あ、私も覚えているわ」
レティーシャがロメロの言葉に頷き、碧い瞳を瞬かせる。
「壁際で所在なさそうに立っていた、あの子でしょう? 確かに綺麗な赤髪で目を引いたけれど、活発なお嬢様って聞いてたけど、どこか元気がなさそうというか……少し近寄りがたい雰囲気だったわ」
その記憶を補強するように、手元の果実水に視線を落としていたレオナルドが事実を突いてきた。
「シエル伯爵家といえば……確か昨年、大きな代替わりがありましたね。前伯爵の嫡流の後継者の方々が相次いで不審死を遂げ、結果として庶子であった現領主リオン卿が家督を継承したはずです」
淡々とした十歳の三男の指摘に、私は思わず眉根を寄せた。
すると、レティーシャがレオナルドの言葉にはっと息を呑み、記憶を完全に繋ぎ合わせたように目を見開いた。
「……そうよ! 思い出したわ。あの赤髪、前の伯爵様の長男と同じ色だわ。アンソニー嬢って、本来なら領地を継ぐはずだった亡き嫡男の娘……正統な嫡流の姫君じゃない?」
食卓に冷たい緊張が走る。
子供たちから次々と飛び出す的確な情報に、私は知らず知らずのうちに難しい顔を崩せなくなっていた。
だが、当のライモンドだけは、周囲の張り詰めた空気が呑み込めていない様子だった。
彼は裏表のない澄んだ瞳を私に向け、誇らしげに背筋を伸ばして頭を下げた。
「父上、過分な御配慮、心より感謝申し上げます。我が家のような辺境の男爵家に、格上である伯爵家から直々に縁談をいただけるなど、願ってもない名誉なこと。私のような若輩に、そのような素晴らしいお話をまとめてくださり、ありがとうございます」
一点の曇りもない、素直な感謝の言葉。
武人として廉潔で、曲がったことが嫌いなライモンドらしい反応だった。彼にとって、この縁談は家格を引き上げる好機であり、純粋な慶事としか映っていないのだ。
その真っ直ぐな兄の姿を横目で見ながら、ロメロが静かに私へ問いかけてきた。
「……父上。何か裏がありそうだと、そうお考えなのですね?」
次男の鋭い視線が私を射抜く。
私は深く息を吸い、重い口を開いた。
「……そうだ。格上の伯爵家が、かつての正統な血筋である嫡流の令嬢を、わざわざ格下の辺境男爵家に降嫁させる。これで何一つ裏がないと考えるほど、私もおめでたくはない」
リオン伯にとって、前伯爵の直系であるアンソニー嬢は、自らの権力基盤を揺るがしかねない「目の上のたんこぶ」である可能性が高い。手元に置いておくのは危険だが、殺せば更なる悪評を呼ぶ。ならば、他領の、それも口を挟む力のない格下の男爵家へ厄介払いとして押し付け、その発言権を奪ってしまいたい――そう画策していると考えるのが自然だった。最悪の場合、シエル伯領のお家騒動の火種を、そのまま我が家に持ち込まれることすらあり得る。
「では、お断りするのですか?」
レティーシャが心配そうに眉をひそめる。
「……それができれば苦労はせん」
私は苦々しく呟き、眉間を指先で揉んだ。
「相手は力を持つ伯爵家だ。明確な理由や大義名分もなしに突っぱねれば、我が家がシエル伯の面子を泥で塗りたくったと取られかねん。格上からの好意を装った打診を無下に跳ね除けられるほど、この貴族社会は甘くはないのだ」
受けても毒、断れば禍根。
あまりにも厄介な火の粉が、次代を担う長男の頭上に降りかかろうとしているのかもしれない。
皆の意見に不安そうな表情を浮かべるライモンドと、事の深刻さを察して押し黙るロメロやレオナルド。
子供たちの前で、私は領主として、そして父親として、出口の見えない重い葛藤に苛まれていた。




