怪物Ⅱ
静かな銀食器の音が響く中、その沈黙を破ったのは長男のライモンドだった。
彼は背筋をすっと正し、丁寧にナプキンで口元を拭ってから、私に向き直る。
「父上、ウェルマ村の話は城下の騎士や家臣たちの間でも持ちきりです。なんでも、川の流水を利用した大型水車でふいごを動かし、村単独での製鉄に挑んでいるとか。さらに、自警団を鍛え上げ、種族を問わず人々を配置して働かせる手腕も見事なものだと聞きます。……私には、あのような発想も、人をまとめ上げる細やかな統御もとても真似できません。弟ながら、心から感服いたします」
ライモンドの口調は実に穏やかで、言葉遣いも立ち居振る舞いも、次期当主として申し分のない品格に満ちていた。
卓越した剣才を持ちながら、決して力に驕らず、高圧的な態度を見せることもない。私を憧れの対象とし、いずれは公爵家の軍を率いる立派な将軍たらんと日々励んでいるこの息子は、曲がったことを何より嫌う廉潔な男だった。
武芸一辺倒かといえば決してそうではなく、座学もそつなく修めているからこそ、レオナルドがウェルマ村で行っている改革の難度と異質さを正確に理解できているのだろう。
かつて周囲から不遇な目を向けられていた弟が、いまや領内を揺るがすほどの功績を挙げている――そのことが純粋に誇らしく、嬉しくてたまらないといったように、ライモンドの双眸は澄み切った光を湛えていた。
すると、その向かいに座る次男のロメロが、静かにグラスを置き、思慮深げに口を開いた。
「兄上の仰る通りです。……レオナルドの成していることは、単なる才覚という言葉では片付けられません。農地を休ませぬ新農法にせよ、緻密な人口と物資の管理にせよ、これまでの貴族社会が信じ込んできた『常識』そのものを根底から覆している。……あの子の頭の中には、我々の誰も見たことがない、新しい世界の理が描かれているかのようです」
ロメロの理知的な横顔を見つめながら、私は胸の内で小さく息を漏らした。
物静かで思慮深いこの次男は、どこか本心を覗かせないところがある。男爵家の男として恥じぬよう、愚直に剣の修練も重ねてはいるが、本質的には学究肌の気質だ。そんなロメロが、レオナルドの型破りな改革の話になると、こうして瞳の奥に熱い光を宿す。今の堅苦しい貴族のあり方に窮屈さを感じているのか、それとも単に知的好奇心を刺激されているのか――親である私にも読み切れない部分はあるが、あの子がレオナルドの「常識に囚われない統治の才」に強い関心を寄せていることだけは確かだった。
「ちょっと、二人とも! そうやってレオの頭の良さばかり持ち上げるのはどうかと思うわ!」
二人の話に割って入ったのは、レティーシャだった。
フォークをカチャリと皿に置き、亡き母カタリナの面影を残す碧色の瞳をきりりと吊り上げる。
「グレリオの家の者たるもの、武門の誇りを忘れてもらっては困るのよ。あの子は昔から本ばかり読んで、部屋に閉じこもって……軟弱にもほどがあるわ! 男ならもっと泥にまみれて剣を握り、身体を鍛えるべきよ。騎士になるにしても代官になるにしても、あんなヒョロヒョロの身体でどうするつもりかしら。今度屋敷に戻ってきたら、私が直々に中庭へ引きずり出して、基礎の素振りと走り込みから徹底的に叩き直してやるんだから!」
「おいおい、レティーシャ。レオナルドはまだ九歳だぞ。それに騎士パウロが剣術も教えているし。レオも剣術にまじめに取り組んでいると聞いているよ」
ライモンドが苦笑しながら宥めるが、レティーシャはふんと小鼻を鳴らし、納得いかないようにそっぽを向いた。
「……だいたい、あの子は昔からそうよ。周囲から『泣かずの子』だの何だのと心無いことを言われていた時だって、悔しがりもせず、ただじっと大人しく耐えているだけだったじゃない。私はそれが歯がゆくてたまらなかったのよ」
語気こそ荒いが、その頬が微かに赤らんでいるのが見えた。
武門の気風にかぶれて男勝りな口を叩き、弟の軟弱さを責めてみせるが、要するに不遇だった弟が心配でたまらないのだ。かつて陰口を叩かれていたレオナルドが、いまや自らの力で領内に名を轟かせていることが、本当は嬉しくて誇らしいのだろう。素直に喜びを表に出せないあたり、いかにもこの年頃らしい不器用さだった。
「あの子は昔から、感情を表に出すのが苦手だったな」
私が思わず呟くと、子供たちからクスクスと温かな笑みがこぼれた。
「ええ。本当に手のかからない、不思議なくらい静かな子でしたね」
ロメロが懐かしむように目を細め、レティーシャも「そうよ、私が転んで泣いていた時だって、大人のような顔をして布を置いていったんだから」と唇を尖らせつつ、その表情には柔らかな笑みが滲んでいる。
(……良いものだな)
かつて、感情を見せない三男を持て余し、どう接してよいか分からず距離を置いていた頃を思えば、夢のような光景だ。
レオナルドがウェルマ村で積み上げた確かな功績が、知らず知らずのうちに、この食卓にいる子供たちの心を一つに結びつけている。
会話は途切れることがないかのように、あの時はこうだった、こういうこともあった。と小さな笑い声がこぼれて、いかにあの子が愛されているのかが伝わってきた。
ふと目をやると、食卓の端で静かに耳を傾けていたマティルダが、伏せていた顔をわずかに上げ、兄姉たちの会話に誘われるようにして小さく微笑んでいた。
その隣のマルチェロもまた、規格外の功績をあげる腹違いの弟の話に目を輝かせ、嬉しそうにフォークを動かしている。
二人とも自ら口を挟むことはないが、その表情には、同じ屋敷で育った風変わりな弟への確かな好意が見て取れた。
不在の三男の話題で温まる食卓。 葡萄酒のグラスを傾けながら、私は父親として、静かな満足感に浸っていた。




