召喚命令Ⅳ
男爵邸の大ホールに差し込む初夏の光は、磨き抜かれた石床に冷たい影を落としていた。
壇上の上座には、厳格な面持ちを崩さぬ当主アントニウス様。その脇には、不安げに白い髭を指先でいじりながら落ち着かない様子を見せる家令バルド殿。そして広間を取り囲むように、男爵領の防衛を担う重鎮たる上級騎士たちが威風堂々と居並んでいた。
重苦しい沈黙の中、男爵家の「宰相」たる私は、壇の下に立ち、手元の羊皮紙を強く握りしめていた。
ギィィ……と、分厚い樫の木の大扉が音を立てて開く。
集まった騎士たちの鋭い視線が一斉に入り口へと注がれた。
姿を現したのは、護衛の騎士パウロを従えた、三男レオナルド様だった。
畏縮する様子など微塵もない。
齢九歳の小さな体躯に、汚れ一つない瀟洒な上着を纏い、背筋をすっと伸ばして大理石の床を踏みしめてくる。後ろに控えるパウロの揺るぎない足取りも相まって、罪を問われに出頭してきた罪人どころか、凱旋した将軍のごとき堂々たる威厳を漂わせていた。
壇の数歩手前で足を止めると、少年の淡い灰色の瞳が真っ直ぐに私たちを見据える。その研ぎ澄まされた佇まいに、上級騎士たちの間から微かな息を呑む気配が漏れた。
私は呼吸を整え、声を張り上げた。
「――これより、ウェルマ村執政官見習い、レオナルド・グレリオに対する審問会を執り行う!」
張り詰めた空気の中、私の宣言が大ホールの高い天井に反響する。
羊皮紙を広げ、用意してきた嫌疑の事実確認の文面を、一言一言噛み締めるように読み上げた。
「レオナルド様。貴殿には、領主の許可なく独断専行を行った嫌疑がかけられております。……我が男爵家が仕える主君、ヴァイシス公爵閣下より下された『アルヴァ難民の受け入れ停止令』。貴殿はこれを破り、北の国境関所より独断で越境者を引き入れ、ウェルマ村に匿い入植させた。これは事実か否か!」
問い質しながら、私自身、背筋に冷たい震えが走るのを覚えざるを得なかった。
私とて、血縁であるこの才気ある少年を破滅させたいわけではないのだ。
公爵閣下の命に背いたという外務上の危機を回避するためには、形だけでも筋を通さねばならない。レオナルド様がここで素直に非を認め、若気の至りとして頭を下げてくれさえすれば――。「当人も深く反省している」と私が公爵家へ直訴し、寛大な処置を願う手はずを整えるつもりだったのだ。
だからこそ、頼むから謝ってくれ、と私は内心で祈るように少年を見つめていた。
だが。 九歳の少年は、眉一つ動かさずに口を開いた。
「いいえ。身に覚えのない嫌疑です」
冷や水でも浴びせられたように、大ホールの空気が凍りついた。
否定した?
現にドワーフや獣人たちを村に引き入れている動かぬ証拠があるというのに、何を言い出すのだ。
混乱する一同を前に、レオナルド様は透き通った声で、堂々と宣言した。
「働く意思と技術があり、働く場所があるのであれば、それは難民ではありません。『移民』です。――私は独断で難民の受け入れなど、ただの一度も行ったことはございません」
「……」
絶句した。
私だけでなく、居並ぶ騎士たちも、壇上の大人たちも、言葉を失って口を半開きにしている。
難民ではなく、移民……だと?
あからさまな詭弁だった。言葉の定義をすり替えた、屁理屈の極みだ。
公爵閣下が出されたのは『難民受け入れ停止令』であって、『技術移民の招聘』を禁じたものではない――そう言い張るつもりなのだ。
普通ならば一喝して切り捨てるべき出鱈目だ。
しかし、この場の誰も、その詭弁を即座に口にしてこの少年と議論をぶつけ合える者はいなかった。
なぜなら、連れてこられた者たちは飢えに任せて暴れる浮浪民ではなく、実際に村の農地を広げ、羊毛を加工し、前代未聞の製鉄まで成功させつつある「本物の職人たち」なのだ。結果を出してしまっている以上、彼らが単なる「施しを求める難民」ではないという事実を、誰も論理的に否定できないのだ。
さらにレオナルド様は続ける。
「公爵閣下の命は、『アルヴァの民を一人たりとも領内へ入れるな』というものでしたか?」
「……何?」
「私が承知している公爵閣下の命は、『アルヴァ難民の無秩序な受け入れを停止せよ』というものです」
レオナルド様は一度言葉を切った。
「そもそも私は、彼らを難民ではなく移民として受け入れております。ですが仮に、彼らを難民と断じる者がいたとしても、私は受け入れる者の技能を確認し、働く場所を定め、住居を用意し、身元引受人となり、ウェルマ村で監督しております。これを『無秩序な受け入れ』と呼ぶのであれば、どの部分が無秩序であるのか、ご教示いただきたい」
私は反論しようと口を開き――言葉に詰まった。
無論、詭弁だ。公爵閣下の命の趣旨が難民流入の抑制にあることなど、この少年自身が最もよく理解しているはずだった。
だが、「無秩序」の二文字を突かれれば、今この場で違反を断定するには根拠が足りない。技能を確認し、職を与え、住居を定め、自ら監督責任まで負っている。
少なくとも、何の管理もなく流民を流入させたとは言えなかった。
(……最初から、ここまで考えていたのか?)
視線を壇上へと向けると、当主アントニウス様は驚きのあまり目を丸くし、言葉を失って固まっていた。
その隣のバルド殿にいたっては、「これは愉快」とでも言わんばかりに肩を揺らし、今にも噴き出しそうな笑みを必死に噛み殺している。
全身から一気に力が抜け落ち、まるで戦場で一合戦を終えた後のような、鉛のように重い疲労がどっと私の身体を襲った。
三十代半ばを過ぎ、男爵家の外務を一手に背負ってきたこの私が、九歳の子供の理屈の前に手も足も出ず、九歳の子供を問い詰めるつもりだったはずが、いつの間にかこちらが命令文の解釈を問われる側に回っていた。
「……本件についての議論は、持ち越しといたします。本日の審問はこれにて閉会とする!」
絞り出すようにそう告げるのが、私にできる精一杯の抵抗だった。
やがて人々は足早に退出していき、大ホールには誰もいなくなった。 静けさを取り戻した広大な空間に、初夏の西日が長く影を伸ばしている。
耳鳴りがするほど静まり返ったその静寂が、私にはやけに冷たく、そして生々しい現実として肌に染み入るようだった。
-----人物紹介-----
バルド・クラウゼ
人族・55歳
グレリオ男爵家に仕える家令
現当主アントニウスの母方の叔父にあたり、先代男爵の時代から家中に仕えている古参の内政官
長年にわたり男爵領の財務を預かり、税収や領内の収支管理を中心にグレリオ家の領政を支えてきた
白髪に禿げ上がった頭と、豊かな白い顎髭が特徴
堅実な実務家である一方、身内への情は深い
自身に子がいないこともあり、アントニウスの子供たちを実の孫のように可愛がっている
とりわけ幼少期から周囲に疎まれることの多かった三男レオナルドには、強い愛着と庇護の念を抱いている




