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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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屈辱

 秋の澄んだ午前の光が、小さなガラス窓から差し込み、部屋を穏やかに照らしていた。

 冷気を防ぐため、壁には分厚いウールのタペストリーが掛けられている。そこに描かれた鳳の紋章が、暖炉の炎を受けて揺らめいている。

 部屋の一角に置かれた木製の小さなベッドには、毛布にくるまれた生後半年ほどの赤子が横たわっている。

 ベッドの傍らに置かれた木製の椅子に腰掛けているのは、豊かな栗色の髪を後ろで緩くまとめた、メイド姿の若い女性。彼女は膝の上に置いた羊毛の糸玉からすっと糸を引くと、静かに編み針を動かしていた。

 カチ、カチと木製の針が触れ合う微かな音が、暖炉の爆ぜる音と溶け合い、部屋の静寂を優しく満たしている。

 女性は編み物の手を止め、優しげな眼差しでベッドの中へ視線を落とした。


 昨日から、レオナルド様は泣かない。

 私は十の頃からこの館に仕え、自分の三人の子だけでなく、カタリナ奥様のお子様方もお世話してきた。赤子の扱いには慣れているつもりだ。

 だからこそ分かる。

 生後半年の赤子が、突然まったく泣かなくなるなど普通ではない。

 あれだけ元気よく泣き、乳を飲んでいたレオナルド様が、昨日目覚めてから泣かなくなったのだ。

 なにか重大な病気を抱えているのでは?

 そんな不安が頭をよぎる。

 カタリナ奥様も、昨日報告を受けてからひどくご心配されている様子だった。

 何事もなければよいのだけれど……。

 私はそう祈らずにいられなかった。


 小さなベッドの中で、レオナルド様はまだ眠っているように見えた。

 私は桶に湯を張り、清潔な布を用意してから、ベッドを覗き込んだ。


「……!」


 思わず息を呑む。

 レオナルド様は眠ってはいなかった。ぱっちりと目を開き、まるで大人が何かを吟味するかのように、じっと私を見ていたのだ。

 だが、体調が悪いようには見えなかった。

 私はお目覚めになられたレオナルド様のオムツの交換に取り掛かる。

 なぜかレオナルド様は羞恥に顔を赤らめたように見え、視線を泳がせ、「あーうー」と嫌がるような素振りを見せる。

 オムツを外してみれば、いつもと変わった様子はない。それを見ても、身体に問題があるようには思えなかった。

 いつもならオムツの交換時にはあれだけ大泣きしていたレオナルド様が、今日もお泣きになられないことに、私は大きな不安を募らせた。

 奥様になんと報告すればいいのだろう。

 オムツを交換し、授乳の準備をする。


 ◇


 この小さな体で二度目の目覚めを迎えたが、何ひとつ状況は変わっていない。どうやら夢ではないようだ。

 中世風の佇まいの部屋に、メイド服を着た栗色の髪の若い女性が、私を優しげな目で覗いてくる。

 何か言葉を発しているが、何を言っているのかまるで分からない。やはり考えても、自分の知るどの言語にも当てはまらない。

 ここは現代ではなく、過去という可能性も考慮しなければいかんらしい。

 女性は不安そうな顔で私を見つめている。何がそんなに不安なのだ?

 少なくとも、この小さな赤子の中に押し込められている以外は、特におかしなところはないように思う。

 思い通りには動かん。だが、手足は思いのほか動く。声帯が発達していないせいで言葉にはならないが、「あー」「うー」と声は出せる。少なくとも身体に異常は見当たらない。


 下腹部に違和感がある。

 瞬間、ゾッとした。

 やらかしている。

 たしかに過去にもやらかしたことはあった。遊説先で忙しくトイレを我慢したが間に合わず、秘書に下着を買いに行かせたことはあった。

 目が泳ぐ。日本人ではない若い女の目を凝視できない。

 何たる羞恥だ、これは!

 し、死にたい。

 たしかに私はジジイだが、断じてオムツなどしていなかった。

 ましてや若い女性に介護、いや、この場合はお世話か。お世話されるなど認められるものか!

 しかし、悔しいがこの体だ。自由が利かぬ。手足も思うように動かず、言葉も発することはできない。

 受け入れるしかないのか……この屈辱を。


 下半身を綺麗にお湯で拭いたあと、女性は新しい清潔な布をまた私に巻いた。なんとか終わったらしい。


 待て。何をするつもりだ?

 おもむろに女性はエプロンを外し、ドレスの胸元を大きく開いて私を抱きかかえる。

 ハッと気がついた。

 授乳か!

 そうか。私は赤ちゃんなので授乳が必要なのだ。

 しかし、心の準備ができていない。

 いや、もちろん男として若い女性の胸は好きだ。

 いや、そういうことじゃない。

 そもそも、この体のせいか、そういう感情は少しも湧いてこない。

 体は乳を求めている。だが、理性がそれを拒む。

 プイと横を向いたが、女性は私の頭を持って乳房に押し当てた。

 私は、いや、体は待っていたかのようにそれを受け入れ、無我夢中で吸い始める。


「やめろ、やめろ扇源次郎!」


 心の中で叫ぶ。

 これは、これは、私の意思じゃないんだ!

 叫ぶように心の中でもがくが、体は食欲から抗えないようだ。

 こうして私は、生まれて初めて授乳という食事を経験した。


 -----人物紹介-----

 ロザリンダ・ペルノー

 人族・24歳

 グレリオ男爵家に仕える乳母

 十歳より同家に奉公し、のちに家臣騎士パウロ・ペルノーと婚姻。三児の母

 男爵夫人カタリナとは長年の主従関係にあり、その信任は厚い

 穏やかな物腰と面倒見の良さから、男爵家の子供たちの世話を任されてきた

 現在は三男レオナルドの養育を主に任されている

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