招かれざる少年Ⅲ
村の木柵をくぐり、街道から集落の中心へと足を進めながら、私は手綱を握る両手越しに周囲の光景を冷静に観察していた。
(……なるほど。これがウェルマ村か)
見渡す限りの畑地は、どこか白っぽく砂利が混ざっており、地力はお世辞にも高そうには見えない。
だが、北の山裾から引き込まれた水路には、春の澄んだ水が豊富に、かつ緩やかに湛えられている。川の流れも穏やかで、氾濫を起こすような危険な高低差は見当たらない。
水利に恵まれ、土壌が痩せている。そして東側の林の向こうには、細々と煙を上げる小規模な鉱山の掘っ立て小屋が見える。
農業のポテンシャル自体は、決して低くないように思う。
水はある。だが、土は痩せている。
それだけなら改善の余地はいくつも思いつく。
だが――何を植えればよいのか、どの肥料が効くのか、どの程度の水が適切なのか。そんなことは、この土地で何十年も土を触ってきた農民の方が遥かによく知っている。
(……まずは聞くことだな)
出迎えに出てきた村長の顔色を窺う。
禿げ上がった頭を撫で下ろし、揉み手をしながら愛想笑いを浮かべているが、その濁った瞳の奥には、張り詰めたような「警戒心」が露骨にへばりついていた。
(無理もないな)
七歳の、しかも「泣かずの子」「悪魔憑き」などと不穏な噂の立つ領主の三男坊が、いきなり『執政官見習い』として乗り込んできたのだ。
現場を知らぬ世間知らずの貴族が、思いつきの道楽で畑を引っ掻き回し、村の生産を崩壊させて逃げ帰る――前世の歴史でも、地方創生事業の失敗例でも、耳にタコができるほど転がっていた構図である。
彼らにとって私は、願わくば客間に閉じこもり、何一つ余計な口出しをせず、三年後に無傷で帰ってほしい「厄介者」そのものなのだろう。
村長宅の質素な母屋に通され、手狭な居間で村の戸数や田畑の面積、昨年の収穫高について説明を受ける間も、私はその警戒を解くべく慎重に言葉を選んだ。
傲慢に振る舞うなど論外だ。
私は政治家であって、土を耕す農家ではない。作物の具体的な育て方も、土壌に合う堆肥の配合も、現場の土を踏み続けてきた彼らの方が百倍知っている。
私の役目は、現場の知恵を拾い上げ、何が障害になっているのかを整理し、それを取り除く方法を考えることだ。
「……ふむ。村の概況はよく分かりました。丁寧に教えていただき感謝します、村長殿」
「も、もったいなきお言葉でございます……。あの、レオナルド様、当村滞在中の身の回りのお世話についてですが」
村長がぎこちなく身を引くと、背後の扉から一人の大男がのっそりと姿を現した。
「こちらの者を、レオナルド様のお世話係として付けさせていただきます。名をゴンザと申しまして、農奴たちのまとめ役を務める古作長にございます」
(ほう……)
思わず、その巨躯に目を奪われた。四十代半ばと思われる熊人族。天井の梁を擦りそうな分厚い体躯と、丸太のように太い腕。作業着の毛皮には、今日一日土を掘り返していたのであろう乾いた腐葉土の匂いが濃く染み付いていた。
「ゴンザと申します……。若様、よろしくお頼み申します」
低く太い、しかし嘘のない素朴な声で頭を下げる大男。
その濁りのない黒い瞳を見て、私は内心で膝を打った。
(……まずは、味方づくりだな)
どんなに素晴らしい政策や改革案を頭の中で描いたところで、机上の空論では一粒の麦も育たない。現場を動かすには、泥に塗れて鋤を振るう農民たちの信頼を勝ち得なければならないのだ。
そしてそのためには、村長のように現状維持を望む者の理解を得るだけでなく、現場で絶大な信頼を集めている「確固たる実行者」を味方に引き入れる必要がある。
この熊人族の古作長は、まさにその要だ。
言葉少なだが、その手足には農奴たちを率いてきた汗と年輪が刻まれている。彼の信頼を得られれば、農奴たちの協力を取り付ける上で大きな足掛かりになる。
だが、言葉だけで「私を信じろ」と言っても誰も動きはしない。
政治の基本は、利害と結果だ。
まずは小さなモデル区画を作り、そこに確実な『成功体験』を村人たちに見せつけること。「言う通りにしたら、本当に収穫が増えた」「飯が腹いっぱい食えるようになった」という揺るぎない現実を突きつけて初めて、頑固な老村長も、猜疑心に満ちた民も、心からの支持へと傾く。
「ゴンザ殿ですね。頼もしい限りです」
私は椅子の背から身を乗り出し、仮面の下に老獪な光を隠して、穏やかに微笑みかけた。
「私はまだこの土地の土も、農業の実際も知らない素人です。分からないことばかりですので、色々と現場のことを教えてくださいね」
「……へい」
不意を突かれたように目を丸くする熊人族の大男を見つめながら、私は胸の内で静かに盤面を描き始めていた。
――まずはこの男の懐に飛び込み、現場の味方を作る。
ウェルマ村での三年間。
それは私にとって、この世界の統治を机上ではなく、現場から学ぶ最初の機会になる。
(さて……まずは、この村のことを知るところから始めるか)
-----領地紹介-----
ウェルマ村
リオネル男爵領北部に位置する、人口およそ三百人の農村
領都リオネルと北方の国境関所砦を結ぶ街道から西へ外れた場所にあり、北の山裾から流れる川と複数の水路によって比較的豊富な水源を持つ
住民の多くは農業に従事し、麦、豆、雑穀などを栽培している
一方で土壌は痩せ、砂利も多いため、農業生産力は決して高くない
人族が人口の半数以上を占めるほか、熊人族をはじめとする獣人も多く暮らしており、村人のおよそ四割は領主や地主の農地で働く農奴である
東部の林には小規模な鉄鉱山も存在し、農民に加えて坑夫たちも生活している
七歳となったレオナルド・グレリオが、執政官見習いとして最初に村政を学ぶ実習地に選ばれた




