招かれざる少年Ⅱ
通達から三日が過ぎた、昼下がりのことであった。
「村長! 来なさったぞ! 城砦からお偉方がお見えだ!」
見張りに立っていた若い衆の叫び声が響き渡り、わしは慌てて執務室を飛び出した。すっかり禿げ上がった頭を撫で下ろし、服の汚れを乱暴に払う。腰の痛む脚に鞭打って村の木柵の門前へと急ぎながら、わしの胸のうちは重苦しい憂鬱に塗り潰されていた。
(とうとう来てしまわれたか……)
貴族の坊ちゃんの道楽、あるいは厄介者の見習い。どんな贅沢な馬車で乗り付け、護衛の騎士たちに仰々しく傅かれながら横柄に降り立つのだろうと、身構えながら門をくぐった。
だが――街道の先に現れた一行の姿を見て、わしは思わず目を疑った。
そこに豪奢な馬車の姿など微塵もなかった。やってきたのは、わずか四騎の馬だ。
先頭を行くのは、革と鉄の胸当てを着けた堂々たる体躯の騎士――あれは確か、教育係を務めるパウロ様だ。その脇には、茶髪のマッシュルームカットをした小太りの従士。そしてもう一人、お付きの小姓と思われる、栗色の髪をした少年が馬の手綱を握っている。
そして――彼らの中央。
大人の馬より一回り小さな馬の背に、ちょこんと、しかし驚くほど安定した姿勢で一人またがっていたのが、噂の少年であった。
(ば、馬車ではないのか……? 騎士の後ろに乗せられているわけでもなく、あの年で一人で馬を……!?)
まだ七歳のはずだ。足が鐙にかろうじて届くかどうかの小さな体躯である。それにもかかわらず、手綱をさばく手つきには迷いがなく、背筋は武人のようにすっきりと伸びていた。
呆気に取られ、出迎えの礼を口にする間すら失っていたわしの前で、少年はするりと滑らかな動作で馬から降り立った。地面を踏んだ足取りは極めて軽く、土煙一つ立てない。
「村長殿とお見受けいたします。グレリオ男爵家三男、レオナルドと申します。今日より三年の間、このウェルマ村にて執政官見習いとしてお世話になります。よろしくお願いいたします」
澄んだ、凛とした少年の声が響いた。
そして、その小さな手を胸に当て、一切の淀みなく、深く頭を垂れて礼を取ったのだ。
「……っ!?」
わしは息を呑み、慌てて泥の上に膝をつきそうになった。
(な、なんだこの礼儀正しさは……!?)
傲慢な貴族の坊ちゃんどころではない。村長という卑小な身分の老農夫相手に、名乗りを上げた若君自らが先に頭を下げて挨拶をしてきたのだ。城砦で囁かれていた「泣かずの子」「悪魔憑き」という不気味な噂はいったい何だったのか。そこに立っているのは、驚くほど均整の取れた佇まいを持つ、礼儀正しい育ちの良い少年にしか見えなかった。
「め、滅相もございません、レオナルド様! わ、わたくしめが当村の村長を務めております、ジェスキンと申します! このような片田舎へ、よくぞお越しくださいました……!」
頭を下げながら、わしの胸のうちは猛烈な困惑で渦巻いていた。不気味な悪魔憑きを恐れていたのに、目の前にいるのは非の打ち所のない神童だ。拍子抜けを通り越し、かえって得体の知れぬ寒気が背筋を撫でていく。
「村長殿、顔を上げてください。私はまだ見習いの身。この村の治世と暮らしについて、一から学ばせていただきに来たのですから、どうか気兼ねなく接していただきたい」
レオナルド様はそう言って柔らかく微笑むと、休む間もなく、その淡い灰色の瞳を村の全景へと向けた。
「ここは良い村ですね。働く者の顔が明るいです」
わしの自慢の村を無条件に褒めるその顔に困惑する。
「道中、川と畑の配置を拝見しました。水量は年間を通して安定しているようですが、北の山裾からの引水路はどのような間隔で掘られているのですか? また、東の鉱山から出る鉄鉱石の搬出頻度と、街道を利用する荷車の数はどの程度でしょう?」
「へ……? あ、は、はい……?」
矢継ぎ早に繰り出された問いに、わしは間の抜けた声を上げてしまった。七歳の子供が口にするような言葉ではない。
地形、水利、物流、そして鉱山と街道の利用頻度。まるで長年領政に携わってきた老獪な役人が、視察の第一歩として鋭く切り込んできたかのような、的確すぎる質問の数々。
(な、なんだ……? この坊ちゃんは、本当に七歳なのか……!?)
冷や汗が額を伝うのを覚えながら、わしはしどろもどろに答えた。
「あ、あの……水路は、昔からある本流から適当に溝を掘って引いておりまして……鉱山の荷車は、月に二、三度ほど城砦へ向かう程度でございます……」
「なるほど。ありがとうございます」
もう訳が分からなかった。
わしは着任した貴族の労をねぎらうことすら忘れていたことに気づき、慌てて家へ迎え入れる。
「……立ち話も何ですから、続きは屋敷で伺いましょう」
わしは恐縮しながら一行を先導し、村長宅の母屋へと案内した。
質素な机と椅子が並ぶ手狭な居間へ通し、村の戸数や田畑の面積、昨年の収穫量について、手元の控えを見ながら一通り説明を終えた頃には、わしの喉は緊張でカラカラに乾いていた。
レオナルド様は机の上に小さな手を組み、わしの拙い話を一つ一つ頷きながら、恐ろしいほどの集中力で聞き届けておられた。
「……ふむ。村の概況はよく分かりました。丁寧に教えていただき感謝します、村長殿」
「も、もったいなきお言葉でございます……。あの、レオナルド様、当村滞在中の身の回りのお世話についてですが」
わしは息を整え、あらかじめ手筈を整えておいた話を切り出した。壁際に控えさせていた、あの大男を手で招く。
「こちらの者を、レオナルド様のお世話係として付けさせていただきます。名をゴンザと申しまして、農奴たちのまとめ役を務める古作長にございます。言葉数は少ない男ですが、力仕事も畑仕事も村で一番の腕利きでして……」
扉の脇から、熊人族のゴンザがのっそりと前に出た。天井に届かんばかりの分厚い巨体が落とす影に、護衛のパウロ様がわずかに眉を動かしたが、当のレオナルド様は動じる素振りすら見せなかった。
「ゴンザと申します……。若様、よろしくお頼み申します」
ゴンザが低く太い声で短く頭を下げると、レオナルド様は椅子の背から身を乗り出し、その大きな手をじっと見つめた。
「ゴンザ殿ですね。頼もしい限りです。私はまだこの土地の土も、農業の実際も知らない素人です。分からないことばかりですので、色々と現場のことを教えてくださいね」
「……へい」
七歳の若君から向けられた、あまりにも分け隔てのない敬意。
ゴンザは濁りのない黒い瞳を一瞬だけ見張り、それから静かに頷いた。
(……やれやれ)
胸を撫で下ろすと同時に、わしの心には、より深い警戒の楔が打ち込まれていた。
横柄に威張り散らすだけの愚かな貴族なら、適当におだてて部屋に閉じ込めておけばよかった。だが、このレオナルド様という少年はまるで違う。礼儀正しく、謙虚で、それでいて向けられる質問の切っ先は恐ろしいほどに鋭く、物事の本質を的確に突いている。
悪魔憑きと恐れられた理由が、今なら別の意味で痛いほど理解できた。
あれは子供の皮を被った、得体の知れぬ「何か」だ。
(……調子に乗って、村のやり方に余計な手出しをされねばよいが)
愛するウェルマ村の平穏を、この底知れぬ少年にかき乱されてたまるものか。頭を下げ、愛想笑いを浮かべながらも、わしは心の中で、七歳の小さな背中へ向けて冷徹な警戒の視線を張り巡らせていた。
招かれざる少年Ⅲは23:30投稿予定です




