絡み合う事情Ⅲ
公都ノルデンに構えられたグレリオ男爵邸。
分厚い遮光カーテンが引かれ、ランプの薄暗い灯りだけが照らす深夜の執務室には、息を詰めるような重く冷たい沈黙が漂っていた。
「――以上が、ロッカロナー家の裏稼業に関する詳細な手口です」
部屋の隅に影のように佇むハーフダークエルフの女性、メルヴィナが、抑揚のない声で報告を締めくくった。
私は執務机の前に座ったまま、無意識にきつく組み合わせていた両手に力を込める。指の関節が白く変色し、手のひらに爪が食い込んでいることすら気にならなかった。
先日、私が姉マティルダの嫁ぎ先であるレムノ辺境伯分家・ロッカロナー家を訪れ、不自然な門前払いを食らった一件。それを受けてメルヴィナの配下たちが探り出した事実は、私の想像を絶するほどに真っ黒で、そして吐き気を催すほどに「合理的」だった。
「……見事なまでに、狡猾な仕組みだな」
私は苦々しい息を吐き、机の向こうで報告書を見つめるレオナルド様を見た。
「アルヴァの動乱から逃れてきた難民を、国境付近の湿地帯で秘密裏に拉致する。それをただ闇市場へ流すのではなく、公国法における『犯罪奴隷』や『債務奴隷』であったかのように書類を偽造しているわけか」
「はい」
メルヴィナが静かに頷いた。
「さらに、大陸側の商人へ引き渡すまでに、下級家臣や他領の仲介商人を何段階も経由させています。そしてその莫大な売買益は、表向きの正式な交易収入に少しずつ混ぜられ、見事に資金洗浄されています」
「獣人や亜人ならば、人族の社会で突然姿を消しても問題視されにくい。ましてや今はアルヴァの混乱期だ。ロッカロナー家の当主は、最も発覚しにくく、かつ安全に利益を上げられる標的を意図的に選んでいる」
私は手元の書類を、乱暴に机へ放り投げた。ロッカロナー家の当主は、欲望に駆られた狂人などではない。リスクと利益を天秤にかけ、法と制度の抜け穴を熟知した上で悪行を重ねる『冷静な悪党』だ。だからこそ、厄介極まりない。
「本家のオズワルド辺境伯は、本当に何も知らないのだな?」
「はい。辺境伯閣下は武功と公国の面子を重んじる方です。分家がこれほど大規模な違法奴隷売買を行っていると知れば、即座に身内を処断するでしょう。だからこそ、ロッカロナー家当主は本家にすら巧妙に隠蔽し続けているのです」
「……」
レオナルド様は何も言わず、ただ感情の読めない灰色の瞳で書類を見つめている。私は、最も聞きたくない、しかし聞かねばならない話題へと口を開いた。
「メルヴィナ。マティルダ姉上の扱いは、どうなっている」
メルヴィナはわずかに目を伏せ、言葉を選びながら報告を続けた。
「当主は、マティルダ様を妻として扱ってはいないようです。彼女はグレリオ家という公爵派の中枢から送り込まれた『外部の目』として、最初から隔離されています」
「隔離、だと」
「暴力を振るわれていたわけではありません。食事も衣服も、貴族として最低限のものは与えられていました。しかし、社交には一切出さず、家政にも関与させず、来客と会うことも許されず、外部への手紙も厳しく検閲される。ただ、当主の屋敷の奥で軟禁状態でした」
頭の芯が、カッと熱くなった。武門の誉れ高い辺境伯の分家へ嫁ぎ、公国貴族の妻として立派に役目を果たすのだと、あんなに覚悟を決めた顔で嫁いでいった姉が。ただ何もない部屋で、飼い殺しにされていたというのか。
「そして……」
メルヴィナの言葉が、私の胸に鋭い刃のように突き刺さる。
「マルチェロ様が訪問された後から、状況はさらに悪化しています。当主は情報の漏洩を極度に恐れ、本格的な監禁に踏み切りました。現在、マティルダ様は部屋から一歩も出ることを許されず、私兵の監視が付き、使用人との会話も禁じられています」
私が。私が不用意に辺境伯の名前を出して屋敷を訪ねてしまったばかりに、当主を警戒させ、姉上を完全な囚人にしてしまったのだ。
「……レオナルド様」
私は、抑えきれない怒りと焦燥のままに身を乗り出した。
「今すぐ、オズワルド辺境伯にこの事実を突きつけましょう。姉上をあの館から助け出さなければ……!」
「できません、兄上」
レオナルド様は、少しの感情も交えない、冷酷なまでに理知的な声で即座に却下した。
「なぜです! 姉上が監禁されているのですよ!」
「証拠が弱すぎるからです」
レオナルド様の灰色の瞳が、私を真っ直ぐに射抜いた。
「我々が把握しているのは、あくまで諜報による『実態』に過ぎません。公の場で当主本人の関与を立証できる書類など、どこにもない。今オズワルド辺境伯に話を持ち込んでも、ロッカロナー家は必ずしらを切る。用意していた末端の下級家臣を身代わりに差し出し、『我が家の者が勝手に行っていた。監督不行き届きだ』と言い逃れをして終わります」
「しかし……!」
「もし今、中途半端に本家を動かしてロッカロナー家に踏み込めば……当主はどうすると思いますか?」
その問いに、熱り立っていた私の頭に、外交官としての冷徹な思考が強制的に引き戻された。
「……証拠隠滅だ」
私が絞り出すように答えると、レオナルド様は静かに頷いた。
「はい。彼らは地下の奴隷たちを処分し、そして……姉上を『口封じ』のために消すでしょう。病死でも、事故でも、理由はいくらでもつけられます。姉上は今、あの家にとって最高の『人質』であり『盾』になってしまっているのです」
絶望的な事実だった。そして、私にはもう一つの重い政治的現実が見えてしまっていた。
アルヴァ王国との難民救済特区を推し進める上で、国境を預かるオズワルド辺境伯は絶対に欠かせない最大の協力者だ。確たる公の証拠もないまま辺境伯の身内を糾弾すれば、連携に致命的な亀裂が入り、国益そのものを損なう問題に発展しかねない。
外交官である私には、それが痛いほどよく理解できてしまうのだ。理解できてしまう自分が、心底呪わしかった。
私は、自身の無力さに打ちひしがれながら、ただ唇を噛み締めていた。姉を救いたいという肉親としての悲痛な叫びと、国家の行く末を担う外交官としての理屈。二つの感情に引き裂かれながら、私は自分の足元に広がる、貴族社会という泥沼の底知れぬ暗部をただ見つめていることしかできなかった。
-----人物紹介-----
ガナクス
リザードマン族
法神トゥーロスの司祭であり、リオネル領軍に所属する士官。
若い頃より父とともに、ノルテン公国内で迫害や困窮に苦しむ獣人・亜人の支援に携わってきた。
実直で規律を重んじる性格で、感情に流されることを嫌い、争いごとにおいては事実と法に基づいた解決を重視する。
レオナルドが進める種族融和と法による統治に共感し、現在はリオネルに仕えている。
同族であるリザードマンとの交渉能力を買われ、アルヴァ王国内のセリュール氏族との接触役に選ばれた。




