公国のバランスⅢ
澄み切った冬の青空の下、公都の高級貴族街に構えられたモンターニャ伯の屋敷では、豪奢な新年のパーティーが催されていた。
陽の当たる昼間から開かれたこの宴の目的は、火を見るより明らかだった。分権派の代表格であるモンターニャ伯セルジオ・アンコーナが、自らの派閥に属する貴族と、公爵派とも分権派ともつかぬ中立の貴族たちを一堂に集め、新たな縁の種を蒔くための場。それに箔をつけるため、公国宰相である私に主賓として参加してほしいと、たっての希望があったのだ。
断る理由もない。私はあえて誘いに乗り、足を運んだ。
さすがにノルテン公国屈指の大貴族の屋敷だ。広間や冬の庭園を埋め尽くす顔ぶれは、参加している数も、その質も、大貴族の催しと形容するに十分なものだった。
その中に、一際目を引く大物がいる。
エドマン・クレーブン伯爵。
イストリア領を治めるノルテン有数の大貴族の一人であり、公爵派とも分権派とも一定の距離を置いている男だ。だが、それは決して孤高の信念ゆえではない。この男は常に風向きを読み、より自分を高く売れる陣営を冷徹に見定めているだけだ。公都の社交界では線の細い優男としてもてはやされ、浮いた話も絶えないが、その実態は油断のならない、実に食えない男である。
そしてもう一人――この場でもっとも異質な人物が顔を出していた。
淡い栗色の髪に、理知的な灰色の瞳。レオナルド・グレリオ男爵。
彼は今、陽光の差し込む広間の片隅で、自身を取り巻く令嬢たちへ年相応の柔らかな微笑を振りまいている。
次期公爵の教育係という大任に抜擢され、あろうことか公爵令嬢を婚約者に持つ若き男爵。その肩書きだけを聞けば、彼が公爵派の急先鋒であると誰もが疑わないだろう。そんな立場の人間が、分権派の牙城とも言えるこのモンターニャ伯の屋敷に堂々と姿を現すとは、正直なところ驚きを禁じ得なかった。
私は彼を手放しに公爵派の犬だとは思っていない。だが、それゆえに分権派からすれば、絶対に無視できない存在となっている。この男を自陣営に取り込めば、公爵家優位の力関係が大きく動く。セルジオをはじめとする諸侯は、誰もがそう考えているはずだ。
(……もしかしたら、この青年はそれすらも計算して、ここに立っているのかもしれんな)
談笑する彼の横顔を見つめながら、私は内心で密かに舌を巻いた。
宴もたけなわとなった頃。喧騒を離れ、冬の低い日差しが差し込む庭園のテラス席に、私とセルジオ、エドマン、そしてレオナルドの四人が腰を下ろし、膝を突き合わせていた。冷たい風を遮るガラス越しに、温かい香草茶の湯気がテーブルの間に立ち上る。
「バルバナ侯。率直に伺いたいのですが、ヴァイシス公の容態は実際のところ、どうなのです?」
先陣を切ったモンターニャ伯の問いは、一切の装飾を省いたストレートなものだった。その切実な響きに、私はわずかに目を伏せる。
表向きには、新年の儀を欠席した理由は「年末からこじらせた軽い風邪」ということになっている。だが実のところ、宰相である私でさえ、公爵の本当の病状については詳しく知らされていないのだ。
「大陸由来の奇病に冒されているという話もあるのでは?」
どこから聞きつけたのか、エドマンがティーカップを片手に、探るような視線で付け加えた。
「さて、どうだろうな。……リオネル卿は、姫君から何か聞いておらぬのか?」
モンターニャ伯が、話を振る形でレオナルドの顔色を窺う。誰もが息を潜めて彼の返答を待つ中、レオナルドはふっと困ったような、いかにも若者らしい苦笑を浮かべた。
「あの年頃の女性は、非常に感受性が豊かなものです。いくら父の命令とはいえ、それまで顔も知らなかった婚約者を怖がるのはごく普通のことでしょう」
少し困った顔で続ける。
「ええ。お会いしても、未だになかなか言葉も交わせませぬ」
そう言って、肩をすくめて微笑んでみせる。見事な躱し方だ。公爵の容態については一切触れず、己の不甲斐なさを笑いに変えて追及を断ち切った。
「そいつは、難儀なことだな」
モンターニャ伯は毒気を抜かれたようにぼやき、どうしたものかと私とエドマンに目線を送った。
「とにかく、公式な発表では風邪をこじらせたということだ。我らは君主の言葉を信じるしかあるまい」
私は場を収めるように、静かに、だが重みを持たせて言った。
(……とはいえ、もう一年もあのような優れない状態が続き、年末からは明らかに悪化している)
これをただの風邪だと言い張るのは、いささか無理があるというものだ。だが、宰相である私が分権派の不安を徒に煽るわけにはいかない。こと、公国を二分する力を持つモンターニャ伯の前では。
やがて話は、現在の公国が抱える「歪んだ力の均衡」へと移っていった。
現在のノルテン公国では、公爵家の発言力が突出している。それゆえに、今回の家令抜擢や婚約のような強引な介入が行われても、それを正面からはねのける力が、我々周囲の貴族には残されていない。そして、君主に意見する正当な力を取り戻すためには、領内の貴族が派閥の垣根を越えて力を合わせることこそが重要なのだと、モンターニャ伯は熱弁を振るった。
「法が公爵に全権を与えているわけではない。だが実際に公爵が決めれば、誰も正面から逆らえん。それでは同じことではないか」
エドマンは、その底知れぬ心の内はともかくとして、表面上はモンターニャ伯の意見を大げさに頷き、肯定してみせている。
「私も、モンターニャ伯の仰る通りだと思います」
驚くべきことに、公爵家と最も近しい立場にあるはずのレオナルドが、その意見をあっさりと肯定したのだ。
「諸侯が互いに意見を交わし、必要なら公爵閣下へ異論を申し上げることは大切だと思います」
セルジオが少し身を乗り出す。
「では、公爵家への権力集中には反対だと?」
「それは別の話でしょう」
「……何?」
「公国全体で行った方が効率的なことは中央で行う。領地ごとの事情に任せた方がよいことは領主に任せる。それだけのことではありませんか?」
(……分かっているのか)
いや、この男はすべてを分かった上で、あえてそう言っているのだろう。だからこそ、恐ろしいのだ。
私は、決して分権派ではない。だが、モンターニャ伯の言う通り、公爵という一個人の力が強すぎる現状が問題であることもまた、紛れもない事実だった。
今のヴァイシス公は聡明だ。だが、次の公爵、あるいはその次の代もそうだとは限らない。もしも君主が道を誤り、暴走を始めた時、それを止める手立てがない体制というのは、いずれ公国の滅亡へと直結する。少なくとも私は、公爵の権威と諸侯の力、その双方が互いを戒める均衡こそが、この公国を長く保つ道だと考えている。
「……日が傾き、庭の風が冷えてきたな。そろそろ、広間へ戻るとしようか」
私は空になったカップを置き、静かに立ち上がった。
冬の午後の穏やかな日差しに照らされた美しい庭園。公爵家も、諸侯も、そしてあの若い家令も。誰が何を望み、どこへ向かおうとしているのか。
公国の盤面は、私が思っていた以上に複雑になりつつあった。
-----政治紹介-----
ノルテン公国の派閥
ノルテン公国の諸侯は、大きく公爵家を支持する勢力と、各領主の自治権を重んじる勢力に分かれている。
現在は二代にわたる安定した統治によって公爵家の発言力が強く、公爵派が優勢。
一方、分権派は公爵家への過度な権力集中を警戒し、諸侯による牽制と自治の維持を求めている。
ただし双方とも一枚岩ではなく、思想、領地事情、利害によって立場は異なる。
現在の均衡は、ヴァイシス公爵自身の政治力と調整能力に依存する部分も大きい。




