未来への翼Ⅰ
初夏の力強い日差しが、リンクスの港を白く照らし出していた。潮の香りと、荷揚げされたばかりの木材の青臭い匂いが混じり合う埠頭には、船乗りたちの威勢のよい怒号と、上空を旋回するカモメの鋭い鳴き声が絶え間なく響いている。沖合からゆっくりと防波堤の内側へ滑り込み、波止場へ接岸したのは一隻の立派な帆船だった。中央大陸でも有数の技術力を誇るアグリアス公爵領にある港湾都市リューベルから、二年にわたる長き任務を終えた一行を乗せた船である。
重々しい音を立ててタラップが下ろされた。甲板から最初に姿を現したのは、二ヶ月前にアグリアス公爵への返礼使節として旅立っていた兄、マルチェロだった。長旅の疲労は隠せないものの、背筋を伸ばして歩み寄るその精悍な顔つきには、すでに一人の優れた外交官としての揺るぎない落ち着きが宿っている。
そして、彼に続いてタラップを降りてくるのは、頑丈な体躯に豊かな顎髭を蓄えたドワーフたちと、彼らに同行し共に研鑽を積んできた我が領の技師たちだ。総勢十名を超える技術使節団である。彼らドワーフたちは、かつてアルヴァの苛烈な軍閥抗争を嫌い、難民としてこのリオネルへ流れ着いた職人たちだった。その中心で豪快に笑っているのが、ワーグナー・バルカ。アルヴァ最大級のドワーフ軍閥である『バルカ氏族』の長たる血筋に生まれながら、同族同士の果てしない殺し合いに背を向けた、誇り高き男である。その隣では、巨大な盾と分厚い刃のハルバードを背負った護衛にして無二の親友、グラーフ殿が、久しぶりに見るリンクスの港の喧騒を懐かしそうに、そしてどこか眩しそうに眺めていた。
「――ただいま戻りました、レオナルド様」
歩み寄ったマルチェロが、出迎えに立った私に対し、臣下として完璧な一礼をした。血筋の上では三つ年上の兄であるが、彼は側室の子であり、現在のリオネル男爵家当主は私だ。多くの視線が集まる公の場において、彼は当主に対する家臣としての礼節を些かも崩さない。
「アグリアス公爵閣下への返礼の儀、滞りなく果たして参りました」
「無事の帰還、大義でした。マルチェロ兄さん、長旅本当にお疲れ様でした」
私もまた、年長者への敬意を滲ませながらその労をねぎらい、背後に立つ一行へと向き直った。
「ワーグナー殿、グラーフ殿。そして皆さんも。二年間にわたるリューベルでの任務、本当にご苦労様でした」
私は深く、心からの敬意を込めて頭を下げる。
「誰一人欠けることなく、こうして再びリオネルの土を踏んでくれた。それを領主として、心から嬉しく思います」
顔を上げると、ワーグナー殿が分厚い手のひらで自身の分厚い胸板を叩き、白い歯を見せて笑った。
「カッカッカ! 若様――いや、もう若様ではありませんな」
彼は深い皺の刻まれた顔を綻ばせ、職人らしい無骨な仕草で頭を下げる。
「男爵就任、おめでとうございます。若き当主殿にそう言ってもらえるなら、二年間、荒波を越えて帝国の連中に揉まれてきた甲斐もあったというもんです」
「帝国の最先端の造船技術ってやつは、きっちりこの頭と躰に叩き込んできたぞ」
傍らのグラーフ殿も豪快に笑い声を上げながら、背負ったハルバードの柄を叩いた。
「もっとも、向こうとまったく同じ馬鹿でかい船を造ればいい、って話ではなかったがな」
「ええ。そこが一番大事なところですね」
私は深く頷き、自然と笑みをこぼした。
中央大陸の深水港と違い、遠浅の海と入り江が続くこのアルビオンの地理において、帝国の大型船をそのまま模倣しても無用の長物となる。彼らが二年の歳月をかけて持ち帰ってきたのは、単なる『完成した船の形』ではない。船を造るための本質的な知識と経験、そして、それをこのリオネルの海と風に合わせて最適化し、新たに作り直すための『生きた技術』だった。
潮風に吹かれながら、私は確かな手応えを感じていた。北の不穏な動乱を前に、このリンクスで産声を上げようとしている新たな技術は、間違いなく我が領を支える、新たな力となるはずだ。
◇
港に面した執務室へ場所を移すと、広く頑丈なオーク材の机いっぱいに、海図と新しい設計図が広げられた。
「まず、こいつだ」
ワーグナー殿が太い指を一本、海図の上へと落とす。示されたのは、アルビオン北東部からノルテン公国にかけての複雑な海岸線だった。
「リューベルの大型船は確かに凄い。積める荷の量も、外洋での安定性も桁違いだ。だが、そのまま持ってきたところで、この辺りの港じゃ持て余す」
アルビオン諸公国の沿岸には、遠浅の砂浜や隠れた岩礁が多い。深い水深を必要とする巨大船が安全に接岸できる深水港は、ごく一部に限られている。大型船を運用するために港のインフラそのものを大改修していては、莫大な費用と年月がかかってしまう。
「何でもできる船なんぞ造れん」
ワーグナー殿はそう言って、今度は広げられた設計図を太い指でポンと叩いた。
「だから、でかさを捨てた」
図面に精緻な線で描かれていたのは、帝国で使われる外洋向けの大型船より、二回りほど小さな船だった。
「積載量では大型船に勝てん。だが船幅を広く取り、喫水を極限まで抑える。竜骨と骨組みも、沿岸特有の荒波に耐えられるよう組み直した。これならリンクスだけじゃなく、小さな河口や浅い港にも問題なく入れる」
「その分、一度に運べる荷は減る」
私が確認するように言うと、ワーグナー殿はニヤリと笑った。
「ああ。だが、港を選ばず数を回せる。今のリオネルには、その方が役に立つだろう」
私は思わず、深い笑みを浮かべた。
「ええ。それこそ、こちらが欲しかった船です」
巨大な船を一隻造るよりも、中型船を複数建造し、沿岸交易の網を広げる。今のリオネル、そしてノルテン公国に必要なのは、外洋へ打って出る海軍の威容ではない。大量の物と人を、滞りなく確実に運ぶための『足』なのだ。
「こちらも、皆さんの帰りをただ待っていただけではありませんよ」
私は手元の別の図面を広げた。
「リンクス郊外の入り江に、造船所の造成を進めています。船渠の基礎工事もすでに始まっていますし、木材を乾燥させるための大型設備も準備中です」
「ほう、もうドックまで造り始めたのか!」
ワーグナー技師が目を丸くし、図面を覗き込む。
「国内で育ててきた若い船大工たちも、親方たちの帰還を首を長くして待っていますよ」
「こりゃ、休んでいる暇はなさそうですな」
「戻って早々、元気なことだ」
グラーフ殿が呆れたように笑い、執務室に温かな笑い声が響いた。
それから夕刻まで、私たちは造船工程のすり合わせ、木材の調達ルート、人員配置、そして若手技師の教育方針について熱心に話し合った。
西の空が濃い橙色へ染まった頃、ようやく大枠がまとまる。
「よし。今日はここまでだ」
ワーグナー殿が満足げに設計図を巻き取った。
「若い連中の顔を見るのが楽しみだわい。だが、その前に二年ぶりのアルビオンの酒を浴びさせてもらおう」
「浴びるほどはやめておけ」
グラーフ殿が肩をすくめる。私は二人を案内役の役人へ預け、部屋から送り出した。




