↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
146/164

アルヴァからの少女Ⅴ

そして二日後。 公都ノルデンに辿り着いた私は、猛烈に後悔していた。


「…………」


ノルデン。

大きい。

私の想像を絶するほど、途方もなく大きい。


「どうしよう……」


私は街の大通りの片隅にへたり込み、途方に暮れていた。

ここまではよかった。

いや、よくない。ほとんど何も考えず、がむしゃらに走ってきただけだ。

それでも、自慢の脚力でちゃんと辿り着くことだけはできた。 問題はその先だった。


「……リオネル男爵様って、どこにいるの?」


知らない。

私は街の喧騒の真ん中で、取り返しのつかない重大な事実にようやく気がついた。

その人が、この巨大な街のどこに住んでいるのかを知らない。

それどころか――。


「……顔も、知らない」


名前しか知らないのだ。


「…………」


ピンと立っていた私の狐耳が、情けなくしゅんと垂れたのが分かった。

私は、本当に馬鹿だ。


それでも、立ち止まっているわけにはいかなかった。

偉い貴族様なのだから、きっと立派な屋敷に住んでいるに違いない。

そう考えて、重厚な鉄の門扉と豪奢な屋敷が立ち並ぶ貴族街の通りまで足を伸ばしてみた。


「リオネル……男爵……どこ?」


覚えたばかりのつたない人族の言葉で、門の前に立つ筋骨隆々の門番に尋ねてみる。

怪訝な顔をされ、槍の柄でシッシッと犬のように追い払われた。

諦めずに別の屋敷でも聞いてみた。今度はあからさまに嫌悪の目を向けられ、怒鳴りつけられた。

三軒目では、言葉を言い終える前に目の前でバタンと重い門を閉ざされた。


それなら、豪華な馬車だ。偉い人なら、きっと立派な馬車に乗って移動するはず。 大通りを砂埃を上げて立派な馬車が通り過ぎるたび、私は必死に目を凝らした。


(あれかな!?)

――違った。護衛の兵士に鋭い眼光で睨まれただけだった。


(今度こそ……!)

――知らない老人だった。


(あれは!?)

――着飾った綺麗な貴婦人だった。


そもそも、顔を知らないのだから、中を覗き込んだところで誰が誰だか分かるはずもないのだ。


「…………私、何してるんだろう」


自嘲で乾いた笑いが漏れそうになった。

でも、口元が引きつるだけで、笑えなかった。

無情にも、刻一刻と時間だけが過ぎていく。

北のあの冷たく暗い森の中では、今も仲間たちが飢えと傷の痛みに耐えながら待っているのだ。

私が助けを連れて帰ってくると、信じて。


焦れば焦るほど、頭の中が真っ白になって何をすればいいのか分からなくなった。

言葉も十分には通じない。

衣服を泥で汚し、薄汚れた身なりの獣人の小娘を、親切に相手にしてくれる人間などこの町には一人もいなかった。

あたたかいスープとパンをくれた、一昨日のあの村とはまるで違う。

すれ違う人々の視線は、氷のように冷たく刺さるだけだった。


やがて。 張り詰めていた心の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。


(……帰ろう)


私一人では、無理だったのだ。

森へ戻り、みんなを連れてあの村まで命がけで逃げよう。

危険だとしても、もうそれしか道はない。

あそこにいた熊人族の村長さんなら、もしかしたら匿ってくれるかもしれない。


私は袖で乱暴に涙を拭った。

拭ったつもりだった。

けれど、後から後から大粒の涙がぼろぼろと溢れ出してきて、視界が滲んで前がよく見えない。

そのまま、ふらふらと大通りへ足を踏み出してしまった。


「危ないっ!」


鋭い叫び声。 馬の激しい嘶きと、硬い蹄が石畳を乱暴に削る音。 ハッと顔を上げた時には、すでに目の前に荒い鼻息を吐く軍馬の鼻先が迫っていた。


「きゃっ!」


地面に激しく尻もちをつく。

騎手が手綱を必死に引き絞り、馬の前脚が高く宙を蹴った。

間一髪で蹄の下敷きになることだけは免れたものの、頭上から雷のような男の怒号が叩きつけられた。


「何してやがる!」


馬上から見下ろす筋骨隆々の男が、真っ赤な顔で怒鳴りつけてくる。


「す、すみません……っ!」


私は石畳に手をつき、震える声で慌てて頭を下げた。

けれど、男の苛立ちは収まらない。手にした鞭を振り上げ、唾を飛ばしながら罵倒を重ねる。


「どこに目をつけて歩いてやがる! 薄汚い獣人のガキが!」


ガキ。

普段の私なら。

――私は十八歳です! 立派な大人です!

くらいは、意地を張って言い返していたかもしれない。

でも今は、そんな気力すら湧いてこなかった。


「すみません……ごめんなさい……」


男がなおも馬の上から激しい罵声を浴びせ続ける。

通りのあちこちから野次馬が集まり、遠巻きに私たちを取り囲み始めていた。

好奇と侮蔑の視線。 誰も、助けてなどくれない。


(もう……嫌だ……)


何のために、ここまで走ってきたんだろう。

私は部族の長なのに。

みんなを絶対に助けるって、大口を叩いて飛び出してきたのに。

結局、何ひとつできずに、こんな見知らぬ街の路傍で踏み潰されそうになっている。

胸を掻きむしるような無力感に、俯いた視界の石畳へ、ぽたりと涙の染みが落ちた。


その時だった。


「――そのくらいにしてあげてください」


ざわめく人垣を通り抜けて、不思議なほどよく通る、穏やかな声が響いた。

怒鳴り散らしていた騎手が、苛立たしげに振り返る。


「なんだと、誰に向かって――」


啖呵を切ろうとした男の顔が、途中で凍りついたように固まった。


「こ、これは……!?」


男の顔からサッと血の気が引き、慌てふためいて馬から飛び降りた。

そして、泥だらけの石畳の上に片膝をつき、深々と頭を垂れたのだ。

さっきまでの横暴な勢いが嘘のように、男の背中が小さく震えている。


「め、滅相もございません! 馬の制御を誤り、通りを騒がせてしまい申し訳ありませんでした!」


何度も平身低頭に謝罪の言葉を繰り返すと、男は私の顔を見ることすら恐れるように、逃げるような足取りで馬を引いて立ち去っていった。

取り巻きの野次馬たちも、蜘蛛の子を散らすように潮が引いていく。


私は、何が起きたのか理解できず、呆然とその光景を見つめていた。

……誰?

恐る恐る、涙で濡れた目を持ち上げる。


そこに立っていたのは、若い男の人だった。

いや、大人の男の人というより、まだ少年に近い。

淡い栗色の髪に、静かな灰色の瞳。

華美な装飾はないけれど、私でも仕立ての良さが分かる、品のある服を身にまとっている。


その人は私を見ると、少し困ったように微笑んだ。

そして――。

高価であろう上等な服の裾が泥の浮いた石畳に触れることなど気にも留めず、私の目の前で静かに膝を折ったのだ。

私と同じ、目線の高さまで。


「大丈夫かい?」


染み入るような、穏やかな声だった。


「怪我はしていないかい?」


私は呆然としたまま、こくこくと首を横に振った。


「そうか。それならよかった」


その人は、ほっとしたように笑った。

まるで――。

ずっと冷たい雨の降る暗い森に閉じ込められていた私の世界に、初めて温かな陽の光が射し込んだように思えた。


「それで」


澄んだ灰色の瞳が、優しく私を覗き込む。


「お嬢さんは、どこから来たんだい?」


もう、駄目だった。

張り詰めていた感情の堤防が決壊し、堪えていた涙が両目からとめどなく溢れ出した。

この奇跡のような出会いが、私と、そして滅びかけていた私たちの部族の運命を大きく変えていくことになるなんて――その時の私は、まだ知る由もなかった。


-----人物紹介-----

ノーラ・ミール

狐人族

十八歳

アルヴァ北部に暮らす狐人族の小部族、その長を務める少女

相次ぐ部族間の争いによって両親を失い、滅亡寸前となった一族を若くして率いている

本来は明るく活発で、人懐っこい性格

聡明で判断も早いが、動乱の続くアルヴァで育ったため十分な教育を受けておらず、世間の常識や知識には疎いところがある

加えて考えるより先に身体が動いてしまうことも多く、本人に自覚のないまま失敗することもしばしば

小柄な体格に強いコンプレックスを持つ一方、狐人族らしい身軽さと俊足は一族の中でも群を抜く

追い詰められた部族を救うため、南の人族領に獣人を受け入れる領主がいるという噂を頼りに、単身アルヴァを旅立った

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。