アルヴァからの少女Ⅱ
(……どうすればいいの? 誰か教えてよ……!)
頭を抱え、必死に思考を巡らせる。
私が諦めたら、その瞬間にこの部族の歴史は途絶えるのだ。
逃げる?
どこへ?
どこも敵対部族の縄張りだ。
別の部族に頭を下げる?
今さら「裏切り者の狐」を匿ってくれる奇特な部族が、この荒野のどこにいるというのか。
八方塞がりの絶望に押し潰されそうになっていた、まさにその時だった。
昨日、獲物を探して森の端をうろついていた時、行きずりの旅人から聞いた奇妙な噂が、ふと脳裏に蘇った。
――南へ逃げた獣人たちがいる。
アルヴァの険しい国境を越え、そのさらに南。
人族が支配する国に、忌み嫌われるはずの獣人を受け入れてくれる領地があるのだと。
獣人族も亜人も魔族と蔑まれてきた者たちでさえも。
その土地では、人族と獣人が互いに差別されることなく肩を並べて暮らし、耕す畑と家を与えられ、働いた分だけ温かいパンとスープを腹いっぱい食べられているのだと。
領主は、逃げてきた獣人だからと追い払ったり、奴隷に落としたりしないのだと。
『……人族が? 獣人を助ける?』
旅人からその話を聞いた時、私は思わず鼻で笑って聞き返した。
旅人は肩をすくめ、乾いた声で言ったものだ。
『俺もこの目で確かめたわけじゃない。だが、南から戻ってきた行商人たちの間じゃ、持ちきりの噂だぜ。リオネルって街には、奇妙なお人好しの領主がいるそうだ』
信じられない。
人族が、私たち獣人を手厚く保護する?
そんな絵空事のような都合のいい話、この世にあるはずがない。何かの罠か、さもなくばタチの悪いお伽噺に違いない。
けれど――。
私は濡れた天幕の奥を振り返った。
疑って、警戒して、この暗い森に留まり続ければ――全員が間違いなく飢えか刃で死ぬ。 座して滅びるのを待つくらいなら。 もし、あの噂が真っ赤な嘘だったとしても。
「……確かめればいいんだ」
独りごちた言葉に、自分でも驚くほど力がこもっていた。
私の足なら行ける。 荷物も何も持たず、たった一人で走るなら、追手を撒いて国境を越えられる。
「お爺ちゃん。私、行ってくる」
老人が、驚いたように隻眼を見開いた。
「な……どこへ行くというのだ、ノーラ!」
「南だよ。人族の国へ行って、あの噂が本当かどうか……この目で確かめてくる!」
私の言葉に、天幕の中にいた仲間たちの視線が一斉にこちらへと向けられた。
ざわめきが広がる。
「馬鹿を言うな! 人族の国など、獣人にとって虎の穴よりも危険な場所だぞ!」
「そうだ、ノーラ様を行かせるわけにはいかない! もし途中で捕まったら……!」
止める声が四方から飛んできた。
心配してくれる仲間の温かさに胸が詰まる。
当然だ。私だって、心底怖い。 捕まって拷問されるかもしれない。人族の兵士に槍で串刺しにされるかもしれない。足が竦んで、心臓が早鐘のように鳴っている。
でも。
「――じゃあ、ここで何もしないで、みんなで一緒に野垂れ死ぬのを待てっていうの!?」
私の鋭い叫びに、天幕の中が水を打ったように静まり返った。
誰も、言い返せない。それが動かしがたい現実なのだから。
私は服の泥を払い、腰の短剣の鞘を強く握り直した。
そして、不安で泣きそうな仲間たちを一人ひとり見つめ、ぐっと口角を押し上げた。
精いっぱいの、強がりの笑顔。
「ここでじっとしてたって、どうせみんな死んじゃうんでしょ? ……だったら、行ってみるしかないじゃない! 私の足の速さを舐めないでよね。危なくなったら、風よりも速く逃げ帰ってくるからさ!」
私は天幕を離れ冷たい雨粒を顔に浴びながら、森の木立を縫って、ひたすら南へと駆け出す。
(待ってて……! 絶対に、みんなが生きていける場所を見つけてみせるから……!)
背後で聞こえたお爺ちゃんの祈るような叫び声を風の中に置き去りにしながら、私は一度も振り返ることなく、泥を蹴って疾走した。




