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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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アルヴァからの少女Ⅰ

 冷たい雨が、木々の梢を激しく叩き続けていた。

 昼間だというのに厚い雨雲と鬱蒼とした原生林が光を遮り、森の底はまるで宵闇のように薄暗い。


 アルヴァの情勢は、目まぐるしく変わる。

 昨日まで肩を並べて戦っていた部族が、翌朝にはこちらの喉笛を食い破りにくる。そんな裏切りなど、この荒れ果てた大地では珍しくも何ともない。

 強い者が土地を奪い、弱い者が追われる。

 追われた者は飢え、生き延びるために自分よりさらに弱い者の土地を奪う。

 名ばかりの「王国」と呼ばれてはいるものの、この辺境にまで王の威光や法が届いたことなど、私の知る限り一度たりともなかった。力こそが唯一の正義であり、掟だった。


 私たち狐人族は、そんな弱肉強食のアルヴァの中でも、決して強い種族ではない。

 小柄で、身軽で、足の速さだけなら誰にも負けない。耳も鼻も人一倍よく利くし、落ち葉を踏む音ひとつ立てずに森を駆け抜けることなら、他のどんな種族にだって引けを取らない自信がある。

 けれど――。

 熊人族のような、巨木をもへし折る圧倒的な腕力はない。

 虎人族のように、たった一人で何人も薙ぎ倒す天賦の武勇もない。


 だからこそ、私たちの部族はずっとそうやって生き抜いてきたのだ。

 強い部族とは決して正面から争わない。

 勝てない相手からは、誇りを捨ててでも一目散に逃げる。

 争う二つの勢力があれば、風の匂いを嗅ぎ、どちらが勝つのかを冷徹に見極める。

 負けると分かっている相手に義理立てして一緒に滅びるくらいなら、どれほど泥水を啜り、侮辱されようとも、勝者に頭を下げてその日を生き延びる。

 そうして父も、その父も、代々の長たちが知恵を絞り、必死に部族の血脈を守り抜いてきたのだという。


 けれど――。

 生き残るためのその知恵は、いつしか周りから残酷な嘲笑となって跳ね返ってきた。


『――狐の言うことなど、端から信用するな』

『――あいつらは強い風が吹く方に、ヘラヘラと尻尾を振るだけの卑怯者だ』

『――骨のない、裏切り者の一族め』


 耳朶の奥に、かつて浴びせられた罵声が蘇る。

 悔しさに唇を噛み締める。

 別に好き好んで媚び諂ってきたわけじゃない。

 死にたくなかった。

 ただ、明日も仲間たちと生きて朝日を見たかった。

 お腹を空かせた子供たちを、理不尽な飢えと刃で死なせたくなかった。

 ただ――それだけだったのに。

 一度染み付いた「裏切り者の狐」という悪名は、どれほど誠意を尽くそうと、容易には消えてくれなかった。


 相次ぐ部族同士の抗争のなかで、父も母も疾うに命を落とした。

 私を可愛がってくれた叔父も、剣の稽古をつけてくれた従兄も、父の背中を支えていた歴戦の仲間たちも、そのほとんどが泥に塗れて死んでいった。

 そして今。 残されたわずか数十人の一族を率いているのは――。

 私。


 あまりに頼りなくて情けなくなった。

 十八歳。

 一応、立派な大人の女だ。

 それなのに、私の背丈は低く身体も小枝のように細い。

 胸なんて――。

 濡れた粗末なチュニックの胸元へ視線を落とし、あまりの平坦さに小さくため息をつく。


「…………」


 やめよう。

 今はそんな、女としての悔しさに浸っている場合じゃない。

 ともかく、こんな子供と見紛うような小娘が、今やこの部族の「長」なのだ。

 外の部族が見れば、腹を抱えて笑い転げるに違いない。

 もっとも――。

 今の私たちには、自嘲する笑い声すら立てる力は残されていなかった。


 木の根元に張られた、泥と雨水でずぶ濡れの天幕。

 その下に身を寄せ合っているのは、何とか生き残った部族の仲間たち。

 まともに槍を握れる若い男など、もう片手で数えるほどしかいない。

 怪我をしていない者を探す方が難しかった。

 ボロ布をきつく巻きつけただけの傷口からは黒ずんだ血が滲み、雨水に濡れて膿み、熱に浮かされて浅い呼吸を繰り返している者が何人もいる。


 幸い、この森そのものは豊かだった。

 この数十人が飢えを凌ぐだけなら、木の実や獣、小川の魚を集めれば、しばらくは何とかなるかもしれない。

 だが、それもここが見つからなければの話だ。

 いつ敵対する部族に発見され、襲われるか分かったものではない。


「ノーラ……」


 背後から、掠れた声が私を呼んだ。

 父の代から部族を支えてくれた、片目を失った古参の狐人族の老人が、引きずるような足取りで私の隣に腰を下ろした。


「もう……ここも長くは持たんぞ。秋が終われば我々は飢えるしかない」

「……分かってる。分かってるよ、お爺ちゃん」


 喉の奥から絞り出すように答える。

 言われなくたって痛いほど理解していた。

 もう三カ月もたてば雪が降る季節だ。

 それまでに何とかしないと……。

 それに他の獣人に見つかればその時間も待たずに私たちは終わりなのだ。

 見つかれば、一溜まりもない。

 老人も子供も、抗う術を持たない私たちは虫ケラのように踏み潰され、皆殺しにされる。

 生き残った若い女も、奴隷商人に売り飛ばされるのがオチだ。

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