それぞれの目に映る貌Ⅱ
「お待ちください、公爵閣下!」
薄くなった頭髪を苛立たしげに撫で上げながら、露骨に眉をひそめて身を乗り出してくる。
「リオネルと我がモンターニャでは、土壌も気候もまるで違います。北辺の小領地でたまたま上手くいったからといって、それを公国全体へ一律に広げるというのは、いささか性急……いや、危険極まる暴挙ではありませんかな!」
「その点については、私もモンターニャ伯に同意いたしますな」
セルジオの言葉にすかさず相槌を打ったのは、イストリア伯エドマンだ。口元に洗練された笑みを浮かべ、髭を整えながら涼やかに続ける。
「成功した政策ほど、他所でも試したくなるのが人の情というもの。ですが、成功した土壌と理由を見誤れば、かえって予期せぬ損失を出すこともございます」
相変わらず、針の穴を通すように器用な男だ。
セルジオの顔を立てて同調しているように見せかけつつ、改革そのものを頭から否定して公爵の不興を買うことは綺麗に避けている。
「農法だけの問題でもあるまいよ」
地を這うような野太い声で割り込んだのは、腕を組んだままのオズワルドだった。
「泥にまみれて土地を耕しているのは農民だ。何代にもわたって、その土地の風土に合ったやり方を血肉として積み重ねている。それを中央から来た役人が、今日からこれをやれと紙切れ一枚で指図したところで、現場がまともに動くとは思えん」
武骨な男だが、机上の空論で現場を混乱させる命令を何より嫌うあたりは、いかにも歴戦の将軍らしい筋の通った物言いだ。
さらに、薄暗がりに沈んでいたヘルベルトが、ねっとりとした陰鬱な声で言葉を重ねた。
「鉄製農具についても同様です。鉄は鋤や鍬にもなれば、研ぎ直せば槍や刃にもなる。貴重な鉄を公国全土へ無差別に流通させるのであれば、相応の治安上の管理と監視が必要となりましょう。法と秩序の観点からも、看過できませんな」
飛び交う意見は、それぞれの思惑を孕んで異なっている。
だが、誰一人として感情論だけの馬鹿な難癖をつけているわけではない。むしろ、旧来の封建領主として極めて真っ当な防衛本能であり、正論ですらあった。
重苦しい沈黙が円卓を支配する。
さて――この諸侯たちの分厚い包囲網を、新任の若き家令殿はどう捌いてみせるのか。
全員の刺すような視線を一身に浴びながら、レオナルドは手元の書類を伏せ、ゆっくりと顔を上げた。
その唇には、いつもの穏やかな、真意の読めぬ笑みが乗っている。
「皆様のご懸念は、もっともだと思います」
セルジオが意外そうに眉をピクリと跳ね上げた。
「私も、公国全土へ同じ方法を一律に導入するべきではないと考えております」
「……ほう?」
「土地が違えば、適した作物も違います。気候が違えば、農民が長年積み重ねてきた経験や勘も違う。それを中央の論理で無視し、同じ方法を力尽くで押しつければ、改革どころか現場の反発を招き、生産を落としかねません」
理路整然と自らの言い分を肯定され、セルジオの強張っていた頬の肉が、目に見えて緩んだ。
「ならば話は早い。我がモンターニャには我がモンターニャの誇るべきやり方がある。わざわざ北辺の泥臭い農法を持ち込む必要もありますまい」
「もちろんです」
あまりにあっさりとした即答だった。
身構えていたセルジオの方が、拍子抜けして目を瞬かせている。
「望まれない土地へ、無理に押しつけるつもりなど毛頭ありません」
「……そうか」
「ただし。今後、もし試してみたいとお考えになりましたら、いつでもお声がけください。リオネルで蓄積した詳細な栽培記録も農法の知見も提供いたします。必要であれば、実際に土に触れてきた熟練の指導員を派遣することも可能です」
「……随分と、気前のよいことだな」
セルジオの喉から漏れた言葉には、警戒混じりの皮肉が滲んでいた。
だが、レオナルドは涼風のようにその皮肉を受け流す。
「公国全体が豊かになるのであれば、私的な利権として隠す理由などありませんので」
その澄んだ灰色の瞳には、嘘偽りの色が一切見当たらない。本気でそう言っているのだと分かり、かえってセルジオは不気味そうに口を噤んだ。
「ならば――」
それまで諸侯のやり取りを黙して見届けていたヴァイシス様が、背もたれから身を起こして口を開かれた。
「ならば、まず余の直轄領で試せばよかろう」
「私も、それが最も合理的かと存じます」
レオナルドはここでも、躊躇なく頷いた。
「まずは直轄領の中から、気候や土壌の条件が異なる地域をいくつか選び、試験的に導入します。収穫量、必要な労働力、資材の回転率を厳密に記録し、リオネル以外でも同等の再現性が得られるかを確認するべきでしょう」
「うむ」
ヴァイシス様が力強く首肯される。
「では、早速始めよう。どうせ着手するのであれば、ある程度まとまった規模の地域を選び、早急に――」
「いえ。それには反対です」
静かな、だが一切の迷いのない声が、公爵の言葉を真っ向から遮った。
円卓の空気が、ふっと凍りついた。
セルジオが目を丸くし、オズワルドが怪訝そうに顎を引く。
公爵の意見に異を唱えたのは――他でもない、その試験導入を提案した当の本人、レオナルドだったからだ。




