篭絡Ⅲ
極度の疲労に押し流され、泥のような眠りに沈んでしまっていたらしい。 柔らかな寝台に身を沈めても、全身に染み付いた疲労は容易に抜けてくれなかった。
ベッドに投げ出された全裸の我が身は、芯に残る熱とは裏腹に、冷ややかな寝汗を薄く肌にまとっていた。
もう一刻もすれば、夜が明ける。
窓の外にはまだ夜の闇が張り詰めているけれど、地平の彼方にわずかな白みが滲み始めているのを目にして、私はそれを悟った。
ノルデン城の一室。身分の高い来賓にのみ割り当てられる、豪奢を極めた寝室だ。
頭上を覆う重厚な天蓋、素肌を滑る上質な絹のシーツは、いつもなら心地よく私を包んでくれるはずだった。
そのベッドの真ん中で、私はただ脱力した手足を投げ出していた。心を静めるように窓の方を向いて寝返りを打つ。
次第に意識の輪郭が鮮明になり、今自分がここに横たわっている現実と、ここに至るまでの記憶が、パズルのピースのように音を立ててピタリとはまり込んでいく。
――背後から、静かにスーと穏やかな寝息を立てる気配。
振り返るまでもない。同じベッドの中で眠っているのは、昨夜の宴の主役だったあの坊やだ。
そう……昨晩、私はこの坊やを籠絡するために誘い込んだのだ。
弱冠にして手に入れた公爵家家令の権限とポスト。その権威を味方につけることができれば、私の推し進める「女性の権利拡大」という主張は、公国の中でより強固で明確な形を成すはずだった。
……いいえ、そんなものは後付けの言い訳に過ぎない。
本音を言えば、単純にあれほど底知れない笑顔を貼り付けた男に、我慢がならないほど興味が湧いてしまったのだ。
そう言って正直に己の欲求を認められれば、どんなに楽だろうか。
政治のため、この坊やの化けの皮を剥ぎ取って本性を見るため――。
ここに至った理由など幾らでも繕える。事実、最初は間違いなくそのつもりで声をかけたのだから。
けれど。
気付けば私は、自分の政策を語り、領地の悩みを語り、誰にも話したことのない弱音まで、この男に引き出されていた。
籠絡するはずが、あろうことか私の方が骨抜きにされ、籠絡されてしまうなんて……。
成人を迎えたばかりの、爵位を継いだばかりの青二才と侮っていた。
ただの成り上がりの坊やなどではない。この男は正真正銘の「怪物」だ。
ヴァイシス公爵が下した狂気の人事の意図が、今になって痛いほど理解できる気がした。
こんな底の知れない男を辺境で野放しにすることの危険性に、公爵は誰よりも早く気付いていたのだ。
(……しっかりしなさい)
私はぎゅっとシーツを握りしめ、自らを律した。
このまま流されるわけにはいかない。私にはパドヴァ領主としての矜持があり、何より一人の女としての意地がある。
その時、寝室の重い扉の外で、かすかな衣擦れの気配がした。
トン、と控えめで鋭い、小さなノックの音。
背後の寝息が不意に途切れた。隣にいた坊やはハタと気付き、まるで眠りなど最初からなかったかのように淀みなく体を起こす。
ほんの刹那の間で、隣で私が横たわっている状況を完全に把握したのだろう。私を起こさぬよう極めて静かにシーツを滑り出ると、床に落ちていたローブを素早く羽織り、足音ひとつ立てずに扉へと歩み寄った。
カチリと施錠を外し、わずかに開かれた扉の隙間から、外の者と何やら押し殺した声で言葉を交わしている。
寝台に背を向けたまま耳を澄ませてみたが、早口で交わされるその密談の内容までは聞き取れない。
外の者との短いやり取りを終えると、坊やは扉を閉め、音もなくベッドの脇へと戻ってきた。
そして、床に畳まれていた昨夜の服を、慣れた手つきで手早く身に纏っていく。
私は目を開けず、寝息を装ったままじっと身を固くしていた。
やがて、身支度を整えた彼が、そっと私の枕元に影を落とし――その唇を耳元へと寄せてきた。
「申し訳ない。少々、急ぎの用事ができてしまいました」
肌をかすめる、冷たく澄んだ吐息。
「楽しい夜を、ありがとう」
ドクンと、私の心臓が大きく跳ね上がった。
(……どこまでも、ひどい男)
情のかけらも、朝の余濁すら残さない、あまりにも完璧で冷徹な潮時。
私のような女の躰など、この怪物にとっては一夜の戯れ、あるいは都合の良い退屈しのぎに過ぎなかったというのか。
足音が遠ざかり、部屋の扉が静かに閉まる音が部屋に落ちる。
張り詰めていたものがぷつりと切れ、私の熱い頬を一筋の涙が、静かに伝い落ちていった。
-----人物紹介-----
レイナ・アルセリナ
人族・25歳
パドヴァ男爵領を治める女男爵
若くして爵位と領地を受け継ぎ、優れた政治手腕によって領政を担う
女性が政治や社会で能力を発揮する機会を広げるべきだと主張し、自領でも能力ある女性を積極的に登用している
誰もが目を奪われるほどの妖艶な美貌と、豊かな肢体を持つ美女
自身の容姿が大きな武器となることを熟知しており、必要とあらば政治や交渉の場で利用することにも躊躇がない
公爵派・分権派の対立とは異なる独自の政治的主張を持ち、その実現のためには既存の慣習に囚われない
新たに公国の家令へ就任したレオナルドに興味を持ち、夜会の席で接触を図る




