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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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気高き少女Ⅱ

 私は社交場が好きだ。私をハゲネズミと形容する者も多い。だが、社交場において私を罵る者はいない。アンコーナ家はモンターニャ伯領を治める、ノルテン公国の大貴族なのだ。

 陰では私を蔑んでもこの場では皆媚びへつらう、その瞬間に私は言い知れない優越感を感じてしまう。


 ノルデン城の大広間を埋め尽くす熱気と喧噪が、ふと一段落した折り返しの頃合いだった。

 グラスの触れ合う音や取り澄ました笑い声の合間を縫って、壇上の中央に立ったヴァイシス公爵が朗々とした声で大広間へと呼びかけた。


「諸卿、しばし耳を傾けていただきたい。このめでたき宴の場を借りて、皆に発表がある」


 私は手にしていた葡萄酒の杯を給仕の盆に戻し、隣にいたモンターニャ派の諸侯との談笑を中断して壇上へ向き直った。

 公国中の諸侯をわざわざ呼び寄せた、近年稀に見る大がかりな夜会だ。北辺の男爵小僧を家令に据えたという、たかだか一通の叙任の披露だけで終わるはずがないとは思っていたが――やはり、こちらが本命というわけか。広間に集う諸侯たちも皆、私と同じ思惑を抱いていたのだろう。ざわめきが潮が引くように静まり返り、広間のすべての視線が壇上の一点へと注がれた。


 大ホールの豪奢な大理石の階段から、近衛護衛に小さな手を引かれ、ヴァイシス公の長男であるボナペントゥーラがゆっくりと降りてくる。弱冠六歳の、公爵家の跡継ぎだ。

 その幼い我が子を傍らに引き寄せると、公爵はどこか愁いを帯びた表情を浮かべ、重々しく切り出した。


「私の体調が近頃すぐれぬことで、皆には多大なる心配をかけている」


 その言葉に、私は細い目をさらに細めて公爵の顔色を値踏みした。

 確かに、以前と比べて公式の場で咳き込む姿が目につくようになっていたし、頬の肉も落ちていささか痩せたようにも見える。何かの重い病か? もしそうであれば、公国の権力構造を揺るがす重大な情報だ。


「医師の見立てでは大事には至っておらず、執務にも差し障りはない。だが、当面は静養の時間を増やすよう言い渡されておる。そこで――これまで私が直々に行ってきた我が息子の教育だが、これを今宵より、新たな家令殿にお願いすることとした」


 ヴァイシス公の視線が、壇上の端に控えていたあの小僧――レオナルドへと向けられる。


「リオネル卿が辺境で成し遂げた領地経営と治績は、我が後継にとっても学ぶ価値が極めて高い」

「――なっ!?」


 私は思わず息を呑み、周囲の諸侯たちからも一斉に激しいどよめきが漏れ出た。

 あり得ない。ただでさえ成人間もない北辺の男爵を公爵家の内務を司る家令に据えただけでも、貴族社会の序列を踏みにじる暴挙なのだ。それにとどまらず、公爵家の未来を背負う嫡男の教育係まで預けるだと!?

 領地を富ませた実績がどうのなど、何の言い訳にもならん。公爵の跡継ぎに帝王学を授ける役目といえば、本来は一国の長老格たる侯爵や、名門の重臣が担うべき名誉中の名誉だ。それを、社交界の門をくぐったばかりの十六歳の若造に委ねるなど、公国の秩序と歴代の家臣たちに対する露骨な侮辱に他ならない。


 広間の貴族たちの顔色は怒りに染まり、私のすぐ隣にいた武闘派の領主などは顔を真っ赤にして拳を握りしめていた。

 中央の独断専行が過ぎる。誰もがその不満を漏らしたいと考えるがここは祝いの席だ。評議の場ではない。

 ヴァイシス公は諸侯の激しい動揺を涼しい顔で見下ろすと、あろうことか、さらにそれを嘲笑うかのように手を掲げた。


「――そして、もう一つ。皆に祝福してほしい慶事がある」


 公爵の低い声が響いた瞬間、階段の奥から豪奢な青の絹ドレスをまとった少女が、しずしずと壇上へ姿を現した。

 腰まで届く見事な金糸の髪に、湖のように透き通った青の瞳。

 まだ十一歳。昨年、社交界にデビューし、すでに公爵家の至宝と形容されている――ベアトリーチェ令嬢だ。


 その幼くも気品に満ちた令嬢の前へ、チャコールグレイの正装に身を包んだレオナルドが音もなく進み出る。少年は恭しく跪くと、差し出された令嬢の小さな手を取り、その白い甲に寸分の乱れもない所作で誓いの口づけを落とした。

 二人が並び立ち、広間へ向けて優雅に一礼する。

 その光景を背に、ヴァイシス公は冷然と言い放った。


「レオナルド・グレリオ卿と、我が娘ベアトリーチェの婚約が相整ったことを、ここに正式に発表する」


 ――ドサリ、と。 広間のどこかで、誰かが手元を滑らせて銀のグラスを床に落とす鈍い音が響いた。

 先ほどまで教育係の人事に憤り、沸騰しかけていた大広間の空気が、文字通り完全に凍りついた。

 あまりの光景に、居並ぶ諸侯の誰もが息を吸うことすら忘れ、ただ目を剥いて壇上を凝視していた。


(……こ、婚約……!? 公爵令嬢が……男爵に……!?)


 私の背筋を、冷たい汗が音もなく流れ落ちていく。

 教育係の不当さなど、この凶報の前には完全に吹き飛んでしまった。

 格が違う。暴挙という言葉ですら生ぬるい。

 相手は、公爵家の北辺のたかだか一介の「男爵」だぞ。

 公国を統べ、王家の血筋に連なるルガーノ公爵家の正統たる直系の令嬢だ。

 本来であれば、五公国の公爵か、大陸の王族か大諸侯、百歩譲っても公国内の最上位たる有力伯爵家との政略結婚に用いられるべき、公国最大の政治的切り札である。

 それを――昨日今日に男爵位を継いだばかりの、田舎の若造にくれてやるだと?


 宮廷の暇な令婦人どもが喜ぶ吟遊詩人の三文の身分違いの歌でもあるまいに、貴族社会の歴史において、このような破滅的な婚姻など聞いた試しがない。

 家令抜擢も、教育係も、すべてはこの異常極まる婚姻への露払いに過ぎなかったというのか。


 ふと視線を向ければ、中道派の重鎮たるバルバナ侯爵ですら、顎髭を掴んだまま血の気を失った蒼白な顔で立ち尽くしていた。

 公爵家の分家たる彼ですら、この決定を何一つ知らされていたかったのだ。根回しも、事前の打診も一切ない。ヴァイシス公による、貴族社会全体に対する公然たる宣戦布告だ。


 壇上のレオナルドを見据える。

 小僧は感情の波ひとつ見せず、陶器のように完璧な外面の笑みを浮かべていた。隣の幼い令嬢も、父の命を受けた人形のように静かに微笑んでいる。

 すぐには拍手すら起きなかった。静寂の中で、やがて諸侯の間から慶事に対して動揺を多分に含んだ拍手がまばらに始まった。


(……正気ではない。ヴァイシス公は、完全に血迷ったか……!)


 だが――動転の極みに達した私の頭の片隅で、冷徹な計算盤が急速に熱を帯びて弾かれ始めた。


(……待て。これは、天の配剤だ)


 公爵がいかなる焦りからこの常軌を逸した凶手を打ったのかは知らぬ。

 だが、これほどの身分秩序の蹂躙を、誇り高き諸侯たちが受け入れるはずがない。

 教育係の人事だけであれば「公爵の我儘」で片付いたかもしれぬが、直系令嬢の男爵への降嫁など、貴族全員の顔に泥を塗りたくったも同然だ。

 この貴族たちの猛烈な反発と怒りを束ね上げれば――公爵家の中央集権化など一撃で吹き飛ばし、我が地方分権派が公国の主導権を完全に掌握できる。


 そして、問題はあの壇上で涼しい顔をして頭を下げている小僧だ。

 公爵の暴走に巻き込まれた哀れな生贄なのか。

 あいつの腹の底を、今夜のうちに直に暴いてやらねばならん。


 衝撃の発表があった広間の片隅で、私は薄い頭を撫で下ろしながら、周囲の諸侯たちの蒼白な顔を冷ややかに見渡した。

 怒りに震える者、絶望に青ざめる者、公爵を諫めようと視線を交わし合う者――。

 公国を真っ二つに引き裂く巨大な政争の幕開けを確信しながら、私は反旗を翻すであろう貴族たちの値踏みを、冷静沈着に進めていた。

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