中央へⅢ
本来、辺境の一地方領主が公都に大層な邸宅など構える必要はない。
公都ノルデンに用向きがある時だけ、格式に見合った貴族宿を利用すれば事足りるのだ。歴代のリオネル男爵たちも代々そうしてきたし、経費の削減という観点から見てもそれが最も合理的だった。
だが、今回はそうもいかない。
ノルテン公国を統治するヴァイシス・ルガーノ公爵閣下からのたっての要請――いや、事実上の厳命によって、私が公爵家の「家令」という内務の重職に就任することになってしまったからだ。
自領の内政や改革の差配だけでも手一杯な身としては、正直なところ「余計な仕事を押しつけられた」という思いは否めない。しかし、政治屋の観点から言えば、これは決して悪い話ばかりでもなかった。
公爵家の家令ともなれば、公国内の政務、流通、果ては法制に至るまで様々な公的権限を行使できるようになる。
どれほど経済力や軍事力をつけようとも、身分上は北辺の弱小男爵に過ぎないグレリオ家にとって、この「公国権限」という後ろ盾は案外馬鹿にならない武器になるのだ。これを利用しない手はない。
執務室で兄ロメロ、そして兄マルチェロと今後の段取りを綿密に打ち合わせ、マルチェロが中央大陸の港湾都市リューベルへ向けた外交使節の準備のために一礼して退出していった。
その扉が閉まり切るか切らないかという絶妙なタイミングで、音もなく一人の少女が部屋へと滑り込んできた。
「そろそろ準備ニャ」
この屋敷の購入と共に連れてきた、私付きのメイド――猫人族のミーアだ。
入室するなり悪びれもせず言い放った彼女に対し、残っていたロメロが優しく窘めた。
「ミーア、部屋に入るときはまずノックをしなさい」
「あっちのにーちゃんと入れ違いだったからセーフニャ」
「セーフなわけがないでしょう……」
額を押さえて深いため息をつくロメロに、ミーアは尻尾を気だるげに揺らしながら「すまんニャ、次からは気をつけるニャ」と、これっぽっちも反省の色が見えない軽い調子で返した。
この猫人族のメイドは、とにかくどこまでも自由人だ。
振る舞いがこれでは、とてもではないが高貴な来客の前に出せるはずもない。結果として、私の専属メイドというポジションに落ち着いたわけだ。
ミーアはクローゼットを勝手にガラリと開けると、今夜の正装を物色し始めた。
「私はチャコールグレイの落ち着いた服でいいよ」
背広感覚でそう声をかけると、ミーアはハンガーにかかった上着を引っ張り出し、不満げに口を尖らせた。
「これかニャ? 地味ニャ。せっかくのいい男が台無しニャ」
ブツブツと文句を呟きながら服を眺めているが、手際よく着せ替えてくれる気配はまるでなさそうだ。結局、彼女の手を借りることなく、私は自力でクラバットを巻き、手早く着替えを済ませた。
身支度を終えたちょうどその頃、別室で正装に着替え終えたロメロが、今度は礼儀正しくコンコンと部屋の扉をノックした。
「レオナルド、支度はできたか?」
「ああ。……では、向かおうか」
今夜ノルデン城で開かれる宴は、表向きは新任の若き家令――私の就任披露パーティーだ。
だが、ヴァイシス公爵からは事前に、この席で発表される二つの「サプライズ」が内々に知らされていた。
一つは、公爵家の嫡男であるボナペントゥーラ様の教育係に、私が任じられるということ。
六歳の次期公爵の教育係。これだけでも、一介の地方男爵が拝命するには破格の栄誉であり、列席する貴族たちに与えるインパクトは計り知れない。
しかし――もう一つのサプライズは、そんな生ぬるいものでは済まない。
間違いなく、公国の貴族社会を根底から揺るがし、今夜の会場は大荒れに陥るはずだ。
(……ヴァイシス公爵の真の意図は、何だ?)
破格の権限とポストを与え、私を公爵派に完全に取り込もうとしているのか。
それとも、貴族派閥の反発を一身に集めさせ、私を盾にして中央集権化の火蓋を切るつもりなのか。
あるいは――私の手腕そのものを計りにかけるための罠か。
いずれにせよ公爵閣下から、私は想像以上に危険な人物として警戒されているらしい。
鏡に映る十六歳の自分に向き直り、小さく息を整える。
前世の永田町で散々味わってきた、胃の腑が焼けるような権謀術数の匂いが漂ってきた。
「行こう、兄上。……化かし合いの時間だ」
私は不敵に口元を歪めると、嵐の予感が渦巻くノルデン城の宴へと歩みを進めた。
-----人物紹介-----
レオナルド・グレリオ
リオネル男爵
16歳
グレリオ男爵家三男として生まれ、父アントニウスの死後に起きた家督争いを経て、リオネル男爵位を継承した少年
幼少より領政に関わり、寒村ウェルマを足掛かりとして農政、産業、交易、軍制など多方面の改革を推し進めた
その手腕によってリオネル領は急速な発展を遂げ、公国内でも異例の存在として注目を集めている
一方、シエル伯爵軍との戦いでは、領内に整備した自衛隊をもって大軍を退け、周辺諸侯にもその名を知られることとなった
成人を迎えた現在、リオネル男爵位を正式に継承
さらにノルテン公爵ヴァイシス・ルガーノの強い要請を受け、公国の財務・内政を司る重職「家令」に就任する
その異例の抜擢は、公国貴族社会に大きな波紋を広げている




