中央へⅠ
いつも『異世界の政』をお読みいただき、ありがとうございます。
前話をもちまして「男爵領動乱編」が完結し、本エピソードからは新章「公爵家臣編」が始まります。
成人を迎え、正式にリオネル男爵となったレオナルド。物語の舞台は男爵領から公国の中央へと広がり、新たな人々との出会いや政治的な駆け引きが始まります。
ここまで読み進めてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
これからもレオナルドの歩む道を見守っていただければ幸いです。
引き続き『異世界の政』をよろしくお願いいたします。
私のような白髪頭の年寄りに言われたくはないだろうが――「ハゲネズミ」とは、よく言ったものだ。
公都ノルデンの貴族街にある我が屋敷の応接室。上等な長椅子に浅く腰掛け、神経質そうに薄い頭を撫で下ろすその男を見下ろしながら、私は内心で密かに苦笑を漏らした。実に言い得て妙なあだ名である。
だが、どれほど容貌を揶揄されようと、目の前にいるモンターニャ伯セルジオ・アンコーナが、ノルテン公国において紛れもない大貴族の一角である事実は揺るがない。
爵位の格式だけで言えば、公爵家の分家である私の方が「侯爵」と高い地位にある。しかし、私が直轄する所領の規模など精々子爵程度に過ぎないのに対し、モンターニャ伯領は公国内でも指折りの肥沃な穀倉地帯を擁し、富み栄えた土地柄だ。その豊かな経済力と動員力ゆえに、この男を地方分権派の旗頭と見なす者は多い。
事実、現在の公国内における分権派閥は、レムノ辺境伯オズワルドか、このモンターニャ伯セルジオが中心と見て間違いあるまい。
もっとも、その肝心の二人が揃いも揃って犬猿の仲なのだから世話はない。武骨で実直なオズワルドと、腹黒く打算的なセルジオ。水と油の二人が歩調を合わせられぬがゆえに、分権派は公爵家の勢力拡大を前に常に後手に回り、足並みを揃えられずにいるのだ。
「――して、侯爵閣下。この度の人事、すでに耳に入っておいでですかな?」
セルジオが細い目をさらに細め、探るような視線を私に投げかけてきた。
そう、今や公国中の貴族社会が、この降って湧いた話題で蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
北辺の辺境男爵位を継承したばかりの、十六歳になったばかりの若造を、あろうことか公爵家の要職たる「家令」として公枢の幹部に就任させる――。
我が主、ヴァイシス・ルガーノ公爵が下したその布告は、あまりにも唐突であり、前代未聞の暴挙と言える。
社交界の門をくぐったばかりの若輩を、いきなり中央行政の舵取りを担う中枢へ据える。しかも、格下の男爵家の当主を、である。
確かに、風の噂に聞くリオネル領の改革や、シエル伯軍を叩きのめした軍功には驚嘆すべきものがある。だが、その実績を評価したと言えば聞こえは良いものの、長きにわたる貴族社会の序列と慣例を真っ向から踏みにじったと非難されても、何一つ弁解などできまい。
「モンターニャ伯、私とて手放しで認めているわけではないぞ」
私はカップの茶を静かに一口すすり、白髯を撫でながら重々しく言葉を返した。
「だが、リオネル卿とて辺境の地で並々ならぬ治績を挙げた末のことだ。それに風聞によれば、当人は若輩の身に余ると一度は辞退を申し出たものの、公爵閣下が是が非でもと乞うたそうではないか。主君からそこまで請われては、新任の男爵風情が断りきれるはずもあるまい。……若き芽を温かく見守り、導くのも我ら年長者の役目だと思うがな」
波風を立てぬよう、公爵派でも分権派でもない当たり障りのない言葉でいなしてみせる。
しかし、セルジオは口元を歪め、不満を隠そうともせずに噛みついてきた。
「温かく見守る、ですと? 私には、公爵閣下が自らの息のかかった手駒を、序列を捻じ曲げて強引に要職へねじ込んだようにしか見えませんな!」
(……まあ、そう見られても仕方があるまいよ)
心の中でセルジオの言い分に同意する。それほどまでに、ヴァイシス公が下したこの決定は、理屈での説明が極めて難しい悪手に見えた。
新参の貴族。爵位は男爵。成人間もない十六歳の少年。
これほどまでに反対の材料が揃っていながら、なぜ公爵は強引に叙任を強行したのか。私自身、幾度となく思考を巡らせてみたが、どうしても納得のいく答えには行き着かない。
よほどあの小僧の背後に、途方もない知恵を授ける恐るべきブレーンでも控えているというのか。
「それに、シエル伯領の件もそうだ。リオンを男爵位に落とし、空位のシエル伯の後継も決めず公爵閣下が直轄として預かり続けているのも解せぬ。中央の独断が過ぎるのではないか!」
セルジオが苛立ちを露わにして吐き捨てる。
いやはや、いつもは重箱の隅をつつくような難癖ばかりつけてくるこの男が、今日に限っては非の打ち所のない正論を吐いているのだから皮肉なものだ。それだけ、公爵の強引さが諸侯の反感を買っている証左でもあった。
「とにかく、今宵の就任披露の宴で、その小僧の器量をじっくりと測ろうではないか」
今夜、ノルデン城の大広間において、リオネル卿の家令就任を祝う大規模な宴が催されることになっている。
古今に例を見ない異例の栄達ゆえ、公国中の諸侯が集う大がかりな祝いになるという。ヴァイシス公のことだ、この異例の人事の裏に、何やら別の思惑を隠し持っている気配が濃厚だが――それをこの男の前で口にするほど、私も耄碌はしていない。私は静かに口を閉ざした。
「侯爵閣下。もし今宵、あの小僧がその重責に足る器でないと知れた折には、閣下からもヴァイシス公へ共に御諫めいただきたい」
セルジオが身を乗り出し、念を押すように私を睨みつけてくる。
私は鷹揚に頷き、静かに応じた。
「……あい分かった。公国の行く末を危うくするような真似があれば、私とて黙ってはおらんよ」
その返答にセルジオはひとまず満足したように鼻を鳴らし、席を立った。
男の背中を見送りながら、私は深く息を吐き出す。
十六歳の新任家令、レオナルド・グレリオ。
今宵のノルデン城は、獲物の粗を探そうと目を光らせる古狸どもがひしめく伏魔殿となる。
果たしてあの若き男爵は、この苛烈な貴族社会の洗礼をいかに受け流すつもりなのだろうか。




