少年の終わりⅣ
統一歴1604年
ついに、この日を迎えた。
男爵領を揺るがしたシエル軍の越境、そしてあの西方簡易砦の激戦から、早くも一年余りの月日が流れていた。
年が明けて十六歳となられたレオナルド様は、名実ともに成人を迎えられた。明日、ここノルテン公国の公都ノルデン城において、厳かにリオネル男爵位の正式な継承式典が執り行われる手はずとなっている。
十一年前、まだほんの五歳だったあのお方の教育係を仰せつかった日の記憶が、昨日のことのように鮮やかに甦る。
剣を教え、馬術を教え――そして、兵站を、理を組織を学んだ。
この十年足らずで、リオネル領が遂げた発展は凄まじいの一言に尽きる。今やノルテン公国内でその名を知らぬ者など一人もおらず、押しも押されぬ屈指の要地へと急成長を遂げていた。
ドワーフたちの技術革新によって生み出されたリオネルの鍛冶製品は海を越えて中央大陸にまで轟き、大陸の武人たちがわざわざ武具を買い求めにやって来るほどだ。
また、領内の農業に革命的な増産をもたらした「鉄製農具」は周辺地域にも普及し、それを取り入れた地では飢えの影が劇的に払拭された。今やアルビオン島内にとどまらず、大陸各地で農具の鉄器化という歴史的な変革がリオネルを起点に進みつつある。
さらに、品種改良と毛織技術の向上を重ねた羊毛産業もまた領内を潤す一大産業へと育った。冷え込みの厳しい中央大陸北部においてリオネル産の羊毛織物は飛ぶように売れ、大きな富を男爵領にもたらしている。
軍事面においても、かつての「領国防衛のみ」という制約は解き放たれていた。
他領や公爵家の要請にも応え得る遠征部隊の編成が完了し、自衛隊の規模は一年前の三百名から倍増し、二個大隊規模にまで膨れ上がっている。軍政計画では、近い将来にさらに倍の四個大隊規模まで増員することが決定されていた。
……だが、しかしだ。
「……若様は、どちらへ行かれたのだ」
私は公都に構えられた豪奢な貴族宿の廊下で、深い溜め息を吐き出した。
明日には公爵閣下の御前で晴れの式典が執り行われるというのに、主役である肝心の若様がどこにも見当たらない。部屋に残された正装の衣装合わせを控える女中たちも、手持ち無駄に困り果てている。
私も苛立ちを押し殺しながら宿を出て、石畳の敷かれた公都の街区へと捜索に繰り出した。
通りを行き交うリオネル自衛隊の兵たちを見かけ、足を止めて若様の居場所を問い質す。
だが、兵たちは皆一様に視線を泳がせ、気まずそうに口ごもるばかりだ。
(……まさか、またか)
誰にでも欠点の一つや二つはあるものだ。
いや、十六歳という若さ、そしてあの重圧に満ちた政務の日々からの息抜きと考えれば、男として決して責められるようなことではないのかもしれない。だが、この大一番の前夜に限っては、いささか困り果てるというものだ。
成人を迎えられた若様は、亡きアントニウス様とカタリナ様の面影を色濃く受け継ぎ、グレリオ家特有の凛々しく端正な顔立ちを整えつつある。まだ少年らしいあどけなさを残しながらも、時折見せる知性派の翳りと大人びた落ち着きは、女性たちの庇護欲と好奇心を狂おしいほどに刺激するらしい。
そう――要するに、女遊びだ。
大通りから歓楽街へと足を向け、ふと視線を凝らすと、娼館が軒を連ねる路地の入り口に、護衛として随行していたはずのウカンの姿を見つけた。
「ウカン!」
呼び止めた瞬間、精鋭であるはずの男があからさまに肩を跳ねさせ、激しく動揺の色を浮かべた。その背後、薄暗い小路の奥へ、見慣れた人影が素早く滑り込むのが見えた。
(見つけたぞ……!)
私は迷わず駆け出し、その影を追って路地へと踏み込んだ。
「ま、待て待て、パウロ! 誤解するなよ、ウカンたちと軽く酒を飲んでいただけだ! ちょうど今、宿へ帰ろうとしていたところさ!」
慌てて両手を胸の前で振る若様の傍らには、数人の街の女性たちが、ばつの悪そうな表情でたむろしていた。
私は腕を組み、冷やかな視線を注ぎながら、わざと周囲に響くような少し大きめの声で告げた。
「左様でございますか。……それでは、そろそろお戻りいただきましょうか。リオネル男爵領主、レオナルド様!」
観念した若様は「これは参った」と言わんばかりにおどけて肩をすくめ、後ろ髪を引かれるように女性たちへひらひらと手を振ってみせた。
その飄々とした姿に、怒りを通り越して苦笑が漏れそうになる。
ノルテンを揺るがす経済を動かし、格上の大軍を打ち破り、中央の貴族たちも一目置く若き麒麟児。
その実態が、これほどまでに人間臭く、手のかかる主君なのだから――まったく、このお方にお仕えする身は、幾重の命があっても足りそうにない。
私は若様の背中を促しながら、明日のノルデン城に広がるであろう新たな予感に、静かに口元を引き締めた。
-----リオネル男爵領-----
アルビオン島中央部、ノルテン公国北辺に位置するグレリオ男爵家の領地
北方のアルヴァ王国と国境を接し、古くから公国北部の防衛を担ってきた
かつては領都リオネルと周辺農村を中心とする、ごくありふれた辺境領の一つであった
豊かな領地とは言い難く、領都の人口も千五百人ほどに過ぎなかった。
転機となったのは、グレリオ家三男レオナルドが幼くして領政に関わり始めた頃からである
南方ウェルマ村の開拓を皮切りに、農地整備、移民の受け入れ、羊毛産業の育成、鉱山開発、ドワーフ職人の招聘などが進められ、領内の生産力は急速に拡大
東方の港町リンクスを通じた交易も活発化し、人と物が集まる土地へと姿を変えていった
一方、その急激な変化は旧来の権益を持つ者たちとの軋轢を生み、やがてグレリオ家の継承問題と結びついて領内を二分する動乱へと発展する
シエル伯リオン・ベルトレの軍事介入によって三千の兵が国境を越えたが、西方砦においてリオネル軍がこれを撃退
動乱は終結した
戦後、旧来の軍役制度や領内統治の再編が進められ、リオネルは従来の辺境男爵領から大きく姿を変えていくことになる
本エピソードをもちまして、「男爵領動乱編」は完結となります。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
家族を守るために始まったレオナルドの戦いは、領地全体を巻き込む動乱へと発展しました。そして十六歳となったレオナルドは、ついに成人を迎えます。
次話からは、新章「公爵家臣編」が始まります。
舞台は男爵領の外へと広がり、レオナルドはこれまで以上に複雑な貴族社会と政治の世界へ足を踏み入れていきます。
引き続き『異世界の政』をお楽しみいただければ幸いです。




