少年の終わりⅡ
執務机の上に広げられた報告書と、公都の牢獄へと送致されてきたシエル伯リオン・ベルトレの身柄。そこに記されていたリオネル男爵領の顛末は、数々の謀略と政争をくぐり抜けてきた私にとっても、背筋に冷たいものが走るほど驚愕に満ちたものだった。
あのアントニウスの三男、レオナルド。
多くの改革を成功させ「麒麟児」などという世辞めいた言葉では、到底、言い表すことなどできはしない。あれは――もっと底知れぬ、恐るべき器量を持った男だ。
領地に富をもたらし、農地を拓き、商人を呼び込む。
これならば、歴代の記録にも稀に現れる「名君」と呼ばれる領主であれば成し得る所業だ。現に、私もグレリオ家の三男を早熟な知恵者だと考えていた。ノルテン公国の北部国境を支える頼もしい若木が育っていると、目を細めていたのだ。
だが、現実はあまりに違っていた。
報告書を読み解くほどに、その冷徹極まる手腕が浮き彫りになる。
旧態依然とした既得権益にしがみつく騎士たちをあえて煽り立て、自ら反旗を翻すよう周到に追い詰めた。そして、平民を集めて日頃から徹底した調練を施していた自衛隊を組織し、地形と罠を張り巡らせた陣地へと誘い込んで、介入してきた格上の伯爵軍三千を数刻あまりの戦いで完膚なきまでに叩き潰してみせたのだ。
こんな芸当が、成人すら迎えておらぬ十四歳の少年にできるはずがあるか。
建国の祖たる、かの統一王アーガレスとて、これほど苛烈な戦功を挙げられただろうか。
しかも、その反乱を利用して武勇に優れた長兄を合法的に国外へ追いやった。誰の首も刎ねず、身内の血で手を汚すこともなく、実質的にリオネル男爵領の全権を手中に収めてみせたのだ。
背筋が寒くなるほどの合理性。私情を完全に排した、見事というほかない権力掌握ではないか。
(……あの男は、父親同様に我ら公爵家に従順な臣下であり続けるのか?)
我がルガーノ家が治めるノルテン公国は、先代からの安定した治世によって公爵中央の権力を着実に強めてきた。だがその反動として、領内の有力貴族らによる分権派閥は、虎視眈々と公爵家の権威を削ぎ落とそうと水面下で画策を続けている。
もし、あの男が分権派閥と手を結んだらどうなる。
あるいは、自らの野心のために公爵家すら手玉に取ろうとしたら――。
(……今のうちに、芽を摘んでおくべきか?)
暗殺、失脚、謀殺。脳裏に冷酷な選択肢がよぎる。
だが、即座に自らそれを打ち消した。相手はあのリオンを手玉に取り、破滅させた男だ。万が一にも仕損じれば、公爵家とリオネルの関係は修復できなくなり、あの怪物を真っ向から敵に回すことになる。そんな危険な博打を打つわけにはいかない。
まさか、我がルガーノ公爵家に冷や汗を流させる一石を投じるのが、領内の有力貴族でも、アルビオンの他公国でも、大陸の大国ガルディア帝国でもなく、北にある辺境男爵家の三男坊だとは、夢にも思わなかった。
あれは、絶対にただ者ではない。油断すれば、足をすくわれるのはこちらだ。
ならば、強引にこちら側に取り込むか?
手はあるはずだ。新たな爵位か、利権か、それとも――。
ふと執務机の向こうを見れば、絨毯の上で来年五歳になる息子のボナペントゥーラが、木製の玩具を並べて無心に遊んでいる。無邪気で、何にでも興味を示す聡い我が子だ。
この子の歩む平穏な未来のためにも、あの麒麟児を野放しにはできない。侮れば、いずれ我がルガーノ公爵家そのものが、あの底知れぬ少年に呑み込まれかねないのだから。
「……お父様?」
不安げな小さな声に、我に返った。
部屋の入り口に、長女のベアトリーチェが佇んでいた。
光を浴びて淡く輝く黄金の髪は、艶やかに波打ちながら細い腰のあたりまで豊かに流れている。
細身の肢体に、すっきりと通った鼻梁と涼やかな目元。澄んだ湖のような深い碧眼は、すでに「可憐」という言葉がこれ以上なく似合っていた。来年に控える社交界への出御を果たせば、数多の貴族子弟の心を奪い、いずれ公国中を騒がせる絶世の美女となる――そう誰しもに予感させるのに十分すぎる美貌を湛えている。
その愛娘が、いまは不安そうに眉を寄せ、碧の瞳に微かな涙を滲ませて私を見つめていた。
「お父様、とても怖いお顔になっておいでです……」
その姿に私はハッと息を呑み、己の表情がどれほど険しく歪んでいたかを悟った。
「ああ……すまない、ベアトリーチェ。少しばかり、難しい政務に頭を悩ませていただけだよ」
私は立ち上がり、努めて穏やかで優しい父親の笑みを作ると、歩み寄って愛娘の柔らかな金髪をそっと撫でた。
貴族派閥の連中にあの男を利用されるわけにはいかない。
是が非でも、我が公爵家の膝元へと取り込まねばならないのだ。
手段を選んでいる猶予はない。 私は微笑みの奥で、統治者としての策謀を巡らせ始めていた。




