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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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少年の終わりⅠ

兄を乗せた帆船が水平線の彼方へと溶け去った後も、私は波止場の先端に立ち、一人海を見つめていた。

傾きかけた太陽が海面を赤黒く染め上げ、冷え始めた潮風が頬を撫でていく。


前世で八十年という歳月を生き倒れた。

半世紀にわたって永田町という権謀術数の坩堝に身を置き、政治家という生業の果てに内閣総理大臣の椅子にまで座った「扇源次郎」。

その老獪な亡霊が、この異世界に「レオナルド・グレリオ」として生を受け直してから、早くも十四年の月日が流れていた。


幼い頃、この世界の母が病で世を去った日。

ただ家族を、自分の手の届く範囲の人間だけでも平穏に守り抜きたいと願った。

その積み重ねの結末が――愛すべき武骨な長兄の、五年間の国外追放だ。


「……因果な商売だな、まったく」


誰に聞かせるでもなく、自嘲の笑みが口元から漏れる。

異世界に転生してまで、私はまた「政」の泥沼に足を取られ、誰かを犠牲にする冷徹な天秤を揺らしている。


ふと、前世で私に仕えていた秘書の高坂の顔が脳裏をよぎった。

あいつは仕事熱心な男だったが、いわゆるオタクという人種でもあった。移動中や深夜の執務室で、仕事の合間を見計らっては「若者のサブカルチャーですから」と、流行りの物語を熱っぽく語って聞かせてくれたものだ。

その中でよく耳にしたのが、「異世界転生」というジャンルだった。

現代の人間が事故か何かで異世界へ渡り、神から授かったチート能力とやらで何不自由なく無双し、楽しく気ままに人生を謳歌する――という筋書き。


今にして思えば、そんな都合の良いおとぎ話があるはずもない。

とんでもない超常の力で、あらゆる問題が一瞬で解決できたらどれほど楽だろうか。


――いや、そうじゃない。

仮にそんな超越的な能力を持った人間がいたとしても、本質的には何も解決しないのだ。

この世界は、私が来る前から気の遠くなるような歴史を紡いできたし、私が死んだ後も脈々と続いていく。

もしも、個人の気まぐれで世界の法則を根底から改変できるような絶対のチートが存在するならば、この世界は歴史のどこかの時点でとうに崩壊し、消滅していただろう。


防衛線の背後に突然大軍を送り込めるような「瞬間移動」など、この世界には存在しない。もしそれがあるなら、城壁も、砦も、兵を組織する意味すら根底から破綻する。

何千何万もの物資を無尽蔵に呑み込める「無限収納の魔法鞄」など、どこを探してもありはしない。もしそんなものがあれば、兵站の苦悩も、物資の流通も、ひいては経済という概念そのものが成立し得ない。

山を越え、野を越え、馬車を連ねて商人が街道を行き交い、それを生業とする人々が汗を流して生きている。その厳然たる社会の営みそのものが、都合の良い魔法の存在を真っ向から否定しているのだ。


この世界は、実によくできている。

魔力や魔物、魔獣といった常識外れの異質な存在を内包しながらも、社会の歯車は驚くほど精緻に、泥臭いバランスを保って噛み合っている。

それは、神々のあり方一つを取ってもそうだった。


戦を司る戦神グルザイン。

慈愛と平和を司る慈愛神リューリア。

法と秩序の法神トゥーロス。

束縛を嫌う自由神ザークラ。

英知を授ける知識神ルーシア。

豊かな大地を育む豊穣神アイリーン。


「六柱の神々」と呼ばれる神々たちは、確かに実在し、自らに篤い信仰を捧げる使徒たちへ確実にその力を分け与えている。

だが、前世の地球と決定的に異なるのは、異なる神を奉ずる使徒同士が、宗教の名の下に互いを異端として殲滅し合うような愚行を犯さない点だった。十字軍や宗教戦争の血塗られた歴史を知る身としては、これは奇跡にも近い。


なぜ争わないのか。私の分析は単純だ。神という存在が「明らかな事実」としてそこに在るからだ。

地球のように、見えざる神の解釈を巡って人間が勝手に言葉を奪い合う必要がない。力を授けてくれる神が確かに実在するからこそ、人々は他者が信じる別の神の存在をもまた、疑う余地のない事実として認めることができる。


父アントニウスは戦神グルザインを信仰する生粋の武人であり、母カタリナは慈愛神リューリアに祈りを捧げる心優しい人だった。

戦の神と、平和を尊ぶ慈愛の神。

教義だけを見れば真っ向から相反する神々の信徒が、手を取り合って一つの温かな家庭を築くことができる。相手の神を、相手の生き方を互いに尊重し合える寛容さ。それこそが、この世界に神が真に息づいている証拠なのだと、私は理解している。


「剣と魔法のファンタジー」と言えば、現代人にとっては胸躍る浪漫の響きだろう。若者が憧れるのも無理はない。

だが、その内情を暴いてみれば、現実は息が詰まるほど過酷だ。

農業生産性が低く食料が乏しいこの世界では、美食の文化などろくに花開いていない。民の日常の食事など、味付けもろくにされていない硬い黒パンと塩煮のスープばかりで、現代の豊かな食に慣れた舌には驚くほど味がしない。

衛生観念に至っては、前世の人間ならその場に卒倒するレベルだ。下水道も満足に整っておらず、排泄物の処理やゴミの投棄すら杜撰を極める。医療技術も、素人の私から見ても目を疑うような迷信じみた民間療法がまかり通っており、「傷口を泥で塞ぐ」「熱病には血を抜く」といったおぞましい風習が、今なお正しい医療だと信じ込まれているのだ。


だからこそ、私は少しずつ、領内の下水や農法に手を入れてきた。

だが、それもまた前世の文明を一朝一夕に持ち込むような魔法ではなく、地道に人を説得し、制度を整える泥臭い政治の連続でしかない。


ふと、海風に吹かれながら手元を見つめる。

十四歳の少年の、まだ薄くしなやかな手だ。

最近は、前世の記憶を感傷的に懐かしむこともめっきり少なくなった。

八十年の老獪な知識は頭の片隅に確かに残っているものの、心の内側には子供のような瑞々しい感情や、時に年相応の弱さが顔を出す。老境に入ってすっかり枯れ果てていたはずの欲――異性を意識する青臭い感覚すら、この若い肉体に促されるように疼くことがある。


それもまた、私がこの世界で「生きている」証なのだろう。

奇跡のようなチートなどない。都合のいい救いもない。

この地に足をつけて、人間たちの泥臭い営みと向き合いながら、一歩ずつ進んでいくしかないのだ。


夕日はとうに沈み、茜色の空は群青の夜の帳へと静かに呑み込まれようとしていた。

背後で、小気味の良い足音が二つ、石畳を踏み鳴らす気配がした。

振り返ると、篝火の灯りが揺らめく桟橋の向こうから、二つの影がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。


陽光に灼かれた褐色の肌が精悍な女性と、私と同年代の、引き締まった表情を浮かべた少年。

私は冷えた石の手すりから背を離し、ゆっくりと立ち上がると、彼らの正面へと向き直った。

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