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異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


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旅立ちⅡ

家族の誰も、悪くない。

理屈では、痛いほど理解できている。

ライモンド兄様が反乱を企てたわけでも、誰かを憎んで兵を挙げたわけでもない。レオもまた、家中の法と新しい秩序を守るために苦渋の決断を下したのだ。


それでも――なぜ、幼い頃から武勇に優れ、誰よりも誇り高く、私にとって最大の誇りであった兄が、この生まれ育った家を追われなければならないのか。

グレリオ家の武の象徴であり、常に私たちの前を歩んでくれた尊敬する兄。

頭でどれほど「仕方がない」と噛み砕こうとしても、胸の奥底に燻る割り切れぬ感情だけは、どうしても納得の二文字を受け入れようとしなかった。


そんな私の曇った心を払ってくれたのは、当の兄自身だった。


「レティ、私は少しも心配などしていないよ」


城内の一角で向き合った時、兄様は積年の憑き物が落ちたかのような、信じられないほど晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。大きな掌が、昔と同じように優しく私の頭を撫でる。

兄の言う通り、リオネルには領政を支えるロメロ兄様がいて、神がかり的な知恵で未来を切り拓くレオがいる。グレリオ家が揺らぐことなどないだろう。

兄の曇りなき瞳と清々しい横顔を見つめているうちに、私の頑なな意地も、不思議と静かに解けていくのを感じていた。


兄様の出立を数日後に控えた、ある日の午後。

中庭の訓練場へ足を向けると、そこにはいつもと違う光景が広がっていた。

アンソニー様と共にシエル領からやってきたというロドリゴ・ディバール卿が、兄様と親しげに肩を並べて言葉を交わしていたのだ。

年回りも近いせいか、あるいは互いに名を馳せた武人として、これまでの社交の場で旧知の仲だったのか。二人の間には、初対面の者同士にはない気安さと敬意が漂っている。


そして、何よりも目を奪われたのは、その銀髪の騎士が振るう圧倒的な剣技だった。

腕に覚えのあるリオネルの自衛隊員たちが次々に立ち合いを挑むものの、誰一人として一本を奪うことすらできない。長身でありながら風のように滑らかな身のこなしで、あっさりと兵たちをいなしていく。


(……まったく、情けないわね)


社交界では勘違いした貴族子弟が後を絶たず、言い寄られるたびに木剣や細剣で叩きのめしては城から叩き出してきた私だ。男爵家の娘として幼少より兄たちと共に泥にまみれ、並の騎士など相手にもならないほど腕を磨き上げてきた自負はある。

ましてや、武門を象徴する兄ライモンドを奪われたことへのやり場のない苛立ちが燻っていた。

私は壁に掛けられていた練習用の木剣と丸盾を手に取ると、土煙の舞う輪の中へと迷わず踏み込んでいった。


「ディバール卿。一手、私にお手合わせを願えますか?」


場が一瞬で静まり返った。

ディバール卿は眉を寄せて露骨に困惑を浮かべ、兄様は「やれやれ」と額を押さえて呆れ顔を見せる。社交界での私の悪名を知るリオネルの兵たちは、「また始まったぞ」「あのディバール卿相手に……」と息を呑みながらも、期待と恐れの混ざった歓声を上げた。


私は左腕に盾を構え、利き手の木剣の切っ先を天へ向けて垂直に立てる。

ディバール卿もまた、諦めたように同じ構えを静かに取った。

互いの切っ先を交わす、騎士同士の試合開始の儀礼。


(先手必勝――ッ!)


息を吸い込むと同時に地を蹴り、ディバール卿が剣を握る右手首をめがけて鋭い突きを繰り出した。並の騎士なら初手で剣を取り落とす間合いと速度。

だが、その切っ先は寸前で相手の木盾の縁に弾かれる。

すぐさま反動を利用して身を沈め、足元を払う横薙ぎの一閃。それもまた、最小限のステップで躱される。


容赦ない連撃、鋭利な刺突、盾を打ち鳴らす打撃音。私の本気の太刀筋に対し、ディバール卿は一歩も揺らぐことなく、最小限の動きですべてを捌いてみせる。息もつかせぬ攻防が十度ほど繰り返された。


強い。次元が違う。

社交界の軟弱な貴族子弟などとは比べものにならないのは当然として、領内の手練れすら遥かに凌駕している。

そして何より――私が怪我をしないよう、絶妙な力加減であからさまに手を抜かれているのが手応えで分かった。

彼からの圧力が全身を押し潰しにかかってくる。


「……はぁ、はぁっ……」


私は肩で荒い息を吐きながら木剣の切っ先をだらりと地面へ下げ、完敗を認めた。

息一つ乱していないディバール卿は、ふっと穏やかな面持ちを浮かべ、礼儀正しく頭を下げてきた。


「噂には聞き及んでおりましたが、グレリオ家の令嬢が見事な太刀筋。これほどの手練れとは驚かされました」


歯の浮くような世辞ではなく、心底からの感嘆を口にする彼に対し、不思議なほど悔しさは湧いてこなかった。

秋の木漏れ日を浴びながら、乱れた短い銀髪を手拭いで無造作に拭う、その精悍な横顔。


その瞬間だった。


(――あ。この人だ)


唐突に、そう思った。

私より強い。私が本気で剣を振るっても、真正面から受け止めてくれる。

そしてきっと、戦場で背中を預けても怖くない。

理屈など、それだけで十分だった。


荒い呼吸のまま、私は木剣を放り出すと、呆気にとられる長身の騎士を真っ直ぐに見上げて問い詰めた。


「ディバール卿、貴方に奥方はおいでですか?」

「……は?」


予想外すぎる角度からの問いに、若き猛者が子どものように目を丸くし、頬を微かに染めながら後頭部を掻いた。


「い、いえ……なにぶん武骨者でして、そういった色恋の話はまだ……」


その答えを聞いた瞬間、私の背筋に迷いは消え失せていた。

くるりと踵を返し、柵の向こうで呆然と成り行きを見守っていた次兄へ向けて、訓練場じゅうに響き渡る声を張り上げる。


「ロメロ兄様!」

「えっ? あ、ああ、レティ……?」


突然話を振られたロメロ兄様が、目を白黒させて固まっている。その隙を逃さず、私は毅然と言い放った。


「――私、この方に結婚を申し込みます!」


一瞬、世界のすべての音が消え去った。

ライモンド兄様は口をあんぐりと開けたまま石化し、ロメロ兄様は目を見開いて言葉を失い、当のディバール卿にいたっては雷に打たれたかのように直立不動で硬直している。訓練場にいた兵たち全員が、呼吸を忘れたように固まっていた。


その絶対の静寂を破ったのは、いつの間にか観覧席の柱に寄りかかっていたレオの、堪えきれない悪戯っぽい笑い声だった。


「……くすっ。あはは、これは一本取られましたね。――今後とも、末永くよろしくお願いしますね、義兄様?」


からかうように手を振るレオの笑顔を背に、私は紅潮した顔を隠すこともせず、己が射止めるべき銀髪の騎士へ向けて、堂々と胸を張ってみせた。

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