快勝Ⅲ
昼前に始まった戦いは、数刻のうちに決着していた。
兵舎の寝台から身を起こし、冷えた井戸水で顔を洗う。乾いた布で拭い去っても、鼻腔の奥にこびりついた鉄と脂の臭いは容易に消えてくれなかった。それでも胃の腑の痙攣は収まり、幾分かの平静を取り戻した私は、指揮棟へ戻って下士官たちから被害と戦果の報告を受けた。
改めて突きつけられた数字は、凄まじいの一言に尽きた。
十倍の敵を迎え撃った我が自衛隊の損害は、戦死者二名、重傷者十数名。ほかにも軽傷者が出ているだけだった。対して、砦前の急斜面に折り重なるように遺棄されたシエル軍の亡骸は、優に数百を数えていた。土色の斜面が赤黒く塗り潰され、回収作業にあたる衛生班の足音が重く響いている。
敗走したシエル軍の残党は、前哨拠点だったカノ村へ合流することすらなく、統制を完全に失ったまま蜘蛛の子を散らすようにシエル領へと逃げ帰っているという。
また、カノ村に陣取るゼノスら反乱騎士団に動く気配はない。後ろ盾であった三千の大軍が一瞬で霧散したことで、今後の方針を決めかねているのだろう。
その後の軍議で、今後の処置が決定された。
この西方砦には二個中隊を残し、カノ村の反乱騎士たちへの抑えと警戒を継続させる。そして私とパウロが率いる残りの二個中隊は、防備の引き継ぎを終えたのち、明日領都へと凱旋する運びとなった。
さらにそこへ、先行していた斥候から決定的な吉報が飛び込んでくる。
森へ伏せていたザウロ小隊の手により、敗走中だった敵総大将・シエル伯リオンの身柄を捕縛した、と。
完全なる快勝。
用兵、損害、戦略目標の達成――どの尺度で測ろうとも、これ以上は望めない完璧な結果だった。
指揮棟の外からは、持ち場を固める隊員たちの誇らしげな笑い声や、手柄を称え合う声が風に乗って聞こえてくる。
だが、歓喜に沸き返る砦の喧騒とは裏腹に、私の胸の奥には鉛を流し込まれたような重い靄が立ち込めていた。
(……果たして、私のやり方は本当に正しかったのだろうか)
冷え込む秋の夕暮れ、丸太の防壁に手をつき、夕日に照らされる凄惨な斜面を見つめながら自問する。
前世の近代的な知識を総動員し、効率と合理性を突き詰めて作り上げた迎撃システム。
だがその実態は、十倍の兵を誇る生身の人間たちを、逃げ場のない狭路へ誘い込み、頭上から機械のように磨り潰すだけの残酷な装置だった。
もしも、もっと別の政治的駆け引きができていたなら。
もしも、反乱の芽を事前に摘む別の手腕を持ち合わせていたなら。
あそこに転がる数百の男たちにも、故郷があり、待つ家族がいたはずだ。それを「自衛のため」「領地を守るため」という正論の盾で押し包み、淡々と消費してしまった己の冷徹さに、薄ら寒い恐怖が込み上げてくる。
政治家として、領主の代行として、正解を選び取った自負はある。ここで情けをかければ、殺されていたのは味方の三百二十名であり、蹂躙されていたのはリオネルの罪なき領民たちだった。
理屈では百も承知している。甘さを捨てねば生き残れない乱世の掟も理解している。
正しかったのかは分からない。
だが、同じ条件でもう一度選べと言われれば、私はまたこの防衛策を選ぶだろう。
それが何より恐ろしかった。
勝利の美酒に酔いしれることなど、到底できそうになかった。
手のひらに残る長弓の弦の感触と、耳朶に焼き付いた無数の断末魔。
背負った業の重さに奥歯を噛み締めながら、私は静かに沈みゆく夕日を見つめ続けた。
-----戦史紹介-----
西方砦の戦い
リオネル男爵領西部に築かれた簡易砦を巡って行われた、リオネル男爵領自衛隊とシエル伯軍との戦い
グレリオ家の継承問題へ介入したシエル伯リオン・ベルトレは、反乱騎士団を支援するため約三千の兵を率いてリオネル領へ侵攻した
これに対し、リオネル男爵領自衛隊は約三百二十名を西方へ展開した
戦場となった西方砦は、アースキンの設計によって周囲の地形を利用した防御施設として建設され、フェリシアの隠蔽魔法によって建設中の様子や防御設備の一部が秘匿されていた
また、侵攻以前から周辺住民と食糧を後方へ退避させ、シエル伯軍による現地調達を困難にするとともに、ジェロットらによる兵站分析から敵軍の規模と行動を予測
敵軍を早期決戦へ誘導する準備が進められていた
戦闘では、砦へ至る地形と障害物によってシエル伯軍の進路を制限し、あらかじめ定められた射角へ弓兵の射撃を集中させる面射撃などを用いて迎撃した
戦闘は数刻で決着
シエル伯軍は多数の死傷者を出して敗走し、総大将リオン・ベルトレも退路に配置されていたザウロ・ペルノー率いる部隊によって捕縛された
リオネル男爵領自衛隊の損害は戦死者二名、重傷者十数名
シエル伯軍の正確な損害は不明




