快勝Ⅰ
どうも、草むらに伏せて獲物を待つというのは性分に合わない。
事前の準備はこれ以上ないほど徹底した。砦の仕掛けも、矢の配分も、兵たちの訓練も完璧だ。だが、相手は十倍の兵力。こちらの計算がどれほど正しかろうと、不確定要素が完全に消え去るわけではない。胸のざらつきを押し殺し、私は湿った下草の匂いごと深く息を吸い込んだ。
我らザウロ小隊に課された任務は一つ――敗走する敵総大将、シエル伯リオンの捕縛。
私の指揮分隊に加え、バウンドの第一分隊、ウカンの第二分隊。わずか十五名の手勢で、三千を率いた大名跡の首魁を絡め取ろうというのだ。砦の迎撃戦が予定通りに機能すれば、敵はこの退路へ流れる。
そのために我々はここにいる。
焦燥に駆られて本陣から脱出した首魁の護衛など、せいぜい一握りに絞られるはずだ。
ならば、勝機は十分にあった。
丘砦の戦場から後方へ数キロ、カノ村へと続く街道を外れた鬱蒼とした森の中。木々の枝葉が西日に透け、地面に伸びる影が長くなり始めた頃だった。
遠くの枝葉が騒ぎ、鳥が一斉に飛び立つ。
森の空気が張りつめ、微かな蹄の音が湿った土を叩いて近づいてきた。
茂みの陰から、街道の先へ視線を凝らす。
木々の合間を縫うように、数騎の騎馬の一団が戦場の方角から遮二無二駆けてくるのが見えた。兜の装飾は乱れ、馬の口元には白い泡が浮いている。
私は顎をわずかに動かし、左右の茂みに潜むバウンドとウカンへ合図を送った。
先頭を駆ける騎馬が、街道の窪みに差し掛かった瞬間だった。
下草に偽装された馬落としのロープに前脚を引っかけ、馬が悲鳴を上げて前方の泥土へと突っ伏した。跨がっていた騎士が放り出され、地面をごろごろと転がっていく。
「止まれッ! 伏兵だ!」
後続の数騎が手綱を強引に引き絞り、蹄を滑らせながら急制動をかける。
混乱の最中、私は木陰から街道のど真ん中へと平然と歩み出た。腰の長剣を抜くことすらなく、立ち往生する騎馬の正面に立ちはだかる。
「――シエル伯リオン卿とお見受けするが?」
問いかけると、残る数騎の騎兵たちが弾かれたように円陣を組み、中央の男を庇うように立ちはだかった。
中央にいる男は、泥にまみれながらも一目でそれと分かる豪奢な細工の鎧を身にまとっている。兜の羽飾りは根元から吹き飛んでいた。
(……来たな)
左右の茂みがかすかに揺れ、バウンドとウカンの分隊が音もなく街道へ染み出し、扇状に退路を塞ぎにかかる。
「道を開けろ、平民どもがッ!」
護衛の騎士の一人が怒声を張り上げ、突破口を切り開かんと、側面に位置するバウンドへ向けて馬首を突っ込ませた。穂先が一直線にバウンドの胸元を狙って突き出される。
だが、バウンドの足元は揺らがない。
踏み込んできた槍の切っ先を、身を紙一重で捻る最小限の動きで見切ると、空振りに泳いだ柄の横をすり抜け、バウンドが相手の懐へと低く飛び込んだ。
両腕の甲に装着された鋼鉄の鈎爪――クローが、西日を浴びて鈍い銀光を閃かせる。
肉を裂く硬質な音が響いた時には、すでに護衛騎士の首元が深く抉り取られていた。
うかつに間合いへ踏み込めば、彼の爪は躊躇なくその命を刈り取る。落馬した騎士が血溜まりに沈むと、残る二騎の護衛は馬首を揃え直す間すら与えられず、その凄絶な瞬殺劇に完全に呑まれていた。
「ひ、ひぃぃッ……!?」
豪奢な鎧の男――リオン伯の口から、引き攣った悲鳴が漏れた。
先刻まで三千を号令していた領主の尊大さは見る影もない。折れた羽飾りの根元から覗く青ざめた顔を痙攣させ、震える手で腰のサーベルを抜こうとするが、指先が凍りついたように動かず、ガチャガチャと無様な金属音を鳴らすばかりだ。
「お、おい! 奴らを殺せ! 盾になれ! 私を逃がすのだッ!」
取り乱したリオンは、並ぶ二人の騎士の肩を力任せに小突き、己の肉の盾にしようと喚き立てる。
だが、主君の醜態を横目に、残された護衛たちの瞳にも絶望の色が濃く滲んでいた。
周囲の木立の合間からは、すでにウカンの分隊員たちが長槍を構えて扇状に間合いを詰めてきている。退路は完全に断たれ、もはや突破の余地など欠片も残されていなかった。
「……くそっ、この野蛮人どもめ!」
観念した騎士の一人がヤケクソ気味に剣を抜きかけた、まさにその瞬間だった。
横合いの茂みから躍り出たウカンの部下二名が、足払いの要領で長槍の柄を馬の前脚へ叩き込む。嘶きと共に二頭の軍馬が体勢を崩し、護衛の騎士たちは無様に地面へと投げ出された。立ち上がる間もなく、喉元へ冷たい切っ先を突きつけられて完全に無力化される。
たった数瞬で、守る者のいなくなったリオンが馬上に一人取り残された。
完全に孤立したと知るや、男は急激に態度を翻した。抜こうとしていたサーベルの手を離し、両手を胸の前で忙しなく振って諂うような笑みを貼り付けようとする。
「ま、待て! 話を聞け! 私を見逃せば、望みのものを何でもくれてやる! 金か!? 金貨ならいくらでも城にある! 領地でも爵位でも何でもくれてやるぞ! 貴様らのような平民が、血を流さずとも一生遊んで暮らせるだけの富をだ……! だから、頼む、武器を引けッ!」
唾を飛ばしながら捲し立てる男の言葉に、足を止める者は一人もいなかった。
金も領地も、男爵領自衛隊員にとってはただの空虚な雑音に過ぎない。隊員たちの瞳には怒りも嘲弄もなく、仕留めた獲物をただ検分する猟師のような、底冷えする静寂だけが湛えられていた。
「――交渉の席はお前が決めることじゃない」
冷たい声と共に、リオンの死角である背後へ回り込んでいたウカンが、長槍を両手で振り抜いた。
空を裂く風切り音。硬質なトネリコの柄が、豪奢な背甲のど真ん中を容赦なく強打する。
「ぶげっ……!?」
潰れた蛙のような声を上げ、リオンは馬上から泥土へと前向きに叩きつけられた。
大地に突っ伏し、泥水をすすりながらも、男はなおも這いずり逃げようと爪を立てる。
「無礼者……ッ! 貴様ら、この私を誰と心得る! シエル伯爵家の当主だぞ! 一族郎党、首を刎ねて晒し者にしてくれるわ……ッ!」
振り絞るような悪態と雑言を吐き散らし、振り返ろうとしたその顔面へ、ウカンが容赦なく軍靴の爪先を鋭く振り抜いた。
ゴスッ、と鈍い破裂音が響く。
鼻柱をへし折られたリオンの首が跳ね上がり、悪態がぶつりと途切れた。白目を剥いて泥の上へぐったりと沈んだ男の襟首を掴み、ウカンは手慣れた手つきで麻縄を巻き付け、手足を後ろ手に固く縛り上げていく。
「小隊長、獲物の確保、完了しました。怪我は……まぁ、生きてりゃ文句はないでしょう」
息を乱すこともなく報告を上げてくるウカンに、私は小さく頷いた。
大軍の総大将を捕縛したというのに、隊の空気はどこまでも冷徹で、淡々としていた。
「よし。予定通り、これより領都へ向けて身柄を護送する。急ぎ撤収しろ」
「了解」
気絶したシエル伯は、まるで狩り落とされた獣のように荷馬の背へ手荒く括り付けられた。
西方砦の歓声を遠い背中に感じながら、私たちは気配を消し、夕暮れの深い森の中へと足早に溶け込んでいった。




