↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の政 ~持続可能な異世界で、元総理が気づけばまた政治をしているわけですが~  作者: 五号戦車


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
113/134

西方砦の戦いⅠ

三百メートルの傾斜を隔てた先、丸太の物見櫓に立つグレリオ家の三男は、こちらの降伏勧告を受けても身じろぎ一つ見せなかった。

沈黙に痺れを切らしかけた時、櫓から響いてきたのは、丘陵の窪地にまでくっきりと木霊する異様な声だった。

まるで耳元で囁かれているかのような音圧。風に乗せた肉声などではない、魔法を使ったか魔道具を忍ばせているのか、透き通った少年の声が三千の兵の頭上を等しく打ち据えていく。


「――我が兄ライモンドを不当に拘束し、我が家の騎士を唆して男爵家の継承権に介入するシエル伯に告げる! 即時に領内から全軍を撤収させるならばよし。拒むのであれば、我が領の法と弓矢を以てお返しすることになる!」


身の程知らずの文句に、我が軍の先頭に並ぶ前衛の歩兵たちから嘲笑が漏れかけた。

だが、その笑い声は少年の声が放つ張りつめた響きに圧され、尻すぼみに消えていく。三千の大軍を前にして、平民兵を従えた十四歳の小僧が、対等どころか上から裁定を下すような口調で言い放ったのだ。


「黙れ小童ッ! 家督の筋目すら弁えぬ逆賊風情が生意気を抜かすな!」


手綱を荒々しく引き、愛馬の首を巡らせながら怒鳴り返す。

そのまま馬首を砦の防壁へと向け、丸太の隙間に潜むであろうリオネルの平民どもへ向けて唾を飛ばした。


「聞け、砦の百姓ども! グレリオの正統はライモンド殿にあり、伯爵たる我が言葉に偽りはない! 血迷った小僧の道連れとなって命を捨てるか、それとも門を開いて正当なる主君を迎えるか、選ぶがよい!」


正統性と武力の差を突きつけ、揺さぶりをかける。

これだけの軍勢が眼下に広がっていれば、農民兵など恐怖で足が竦み、同士討ちを始めてもおかしくはない。

……だが、砦からは何の反応も返ってこない。

動揺の叫びも、逃げ惑う足音も、防壁の向こうへ吸い込まれるように途絶えていた。気味の悪いほどの無音が、秋の冷えた空気の中に張り詰めている。


舌打ちを一つ落とした私の視界の端で、櫓の上の影が動いた。

少年が背負っていた長弓を構える。弓幹を引き絞るそのシルエットが、逆光の中に黒々と浮かび上がった。

我が本陣を守る親衛の騎士が、馬を寄せて鼻を鳴らした。


「ふん、あの距離から仕掛けるつもりか。愚かな」


三百メートル。

通常の弓兵であれば、矢を天へ向けて放ち、雨のように降らせる曲射の限界点だ。点ではなく面を狙うのが関の山であり、見上げる丘の上から、平地の特定の首魁を狙い撃つなど狂気の沙汰だった。


(戦のイロハも知らぬ童め。無駄矢を晒して恥をかけ)


嘲笑を浮かべ、手綱を握り直した――まさにその刹那。

大気を引き裂く甲高い異音が耳朶を打つより早く、右の側頭部に強烈な風圧と衝撃が叩きつけられた。

ガツン、と硬質な音。

頭部が強引に弾かれ、視界が一回転する。愛馬が悲鳴のような嘶きを上げて前脚を跳ね上げた。

宙を舞ったのは、丹精込めて仕立てさせた豪奢な鷲の羽飾りだ。兜の金具ごと鋭利に刈り取られ、ちぎれた純白の羽根が私の目の前をひらひらと漂う。


それだけで終わらなかった。

背後で「バツンッ!」と、乾いた破裂音が重なった。

乱れる愛馬を力づくで抑え込み、振り返った私の目に飛び込んできたのは――掲げられていた我がシエル伯爵家の軍旗、その紋章のど真ん中を無残に穿ち、後方の地面へと深々と突き刺さっている一本の黒塗りの矢だった。

放物線などではない。重力すら置き去りにしたような、恐るべき初速と直進力。


「……武技か……!?」


先刻まで侮りを浮かべていた側近の騎士が、引き攣った声を漏らした。

ざわり、と前衛の兵列が波打つ。

軍旗を射抜かれた不吉と、もし矢が数寸左へ逸れていれば主君の頭蓋が粉砕されていたという生々しい事実は、たちまち三千の将兵の間に冷ややかな動揺を伝播させていく。馬たちが不穏な足踏みを始め、槍の穂先が微かに揺らいだ。

砦の沈黙が、ふつりと切れた。


「――次はその額に当てて御覧に入れようか?」


櫓から放たれたルーンの声が、再び乾いた丘陵に響き渡る。

それを合図にしたかのように、丸太の防壁の向こう側から、大地を揺るがすような怒号と歓声が爆発した。


――ウオォォォォォッ!!

――レオナルド様!

レオナルド様ッ!!


防壁の内側に潜んでいた三百の兵たちが、槍の石突を一斉に地面に打ち鳴らし、歓声を叫び散らしている。

平民どもの統率された地鳴りのような咆哮は、こちらの三千が醸し出していた威圧感を真っ向から押し返していた。

額を冷たい脂汗が伝う。

だが、その寒気を認めた瞬間、領主としての矜持が粉々に砕け散る。

私は沸き上がる動揺を力づくで塗り潰すようにサーベルを引き抜き、切っ先を天へと突き上げた。


「全軍突撃ィィィッ! あの小僧の首を刎ねろォッ!!」


裂帛の号令が前線を叩く。

動揺を振り払うかのように、シエル軍の兵たちが喚声を上げながら前進を開始した。

三千の濁流が、小高い砦の勾配へと駆け上がっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。