対峙Ⅲ
冷たい湿気と黴の匂いが淀む、シエル領都にある伯爵城砦の地下牢。
頑丈な鉄格子の向こう側をぼんやりと眺めながら、私は石造りの長椅子に浅く腰掛けていた。
地下牢とは名ばかりで、粗末ながらも寝台が設えられ、手足を鉄の鎖で縛り上げられているわけでもない。罪人としての監禁というよりは、外部との接触を遮断するための「軟禁状態」といった扱いだ。
リオン卿がリオネル領への出兵を決定する直前、私はゼノスのような騎士の甘言で出兵することに断固として異を唱え、「士気を乱す不届き者」としてこの場へと押し込められた。
リオン卿が三千の兵を率いて出立してから、すでに数日が経過している。街道の距離を逆算すれば、そろそろリオネル領内へと踏み込んだ頃合いだろうか。
コツン、コツン。
静まり返った地下回廊に、冷たい石床を叩く軽やかな足音が響き始めた。
見張りの粗野な足音ではない。靴音の主が鉄格子の前で静かに歩みを止める。
松明の揺らめく灯火に照らし出されたのは、燃えるような赤い髪を揺らしたドレス姿の少女――本来であれば伯爵位を継ぐはずだった先代シエル伯の嫡男の娘、アンソニー嬢であった。
「――ディバール卿。私は今から、リオネルの領都へ参ります。私を護衛し、同行願えますか?」
唐突に切り出されたその言葉に、私は眉をわずかにひそめた。
そもそも、このお嬢様の最近の行動には不可解な点が多すぎる。
つい先日も、叔父であるリオン卿を焚きつけ、私に領民の逃亡を防ぐ国境警備の任を命じるよう進言したかと思えば、その非道な命に逆らって私が処刑されそうになった瞬間、絶妙な助け船を出して助命した。
そして今度は、牢に繋がれている身の私に、護衛として敵地であるリオネル領へ同行せよと言い出す始末だ。
聡明な姫君であるとはかねてより聞き及んでいたが、ただの気まぐれとは思えない。確実に、何らかの深い思惑を腹の底に秘めている。
「……アンソニー様。私は主君たるリオン卿の命によって、この場に繋がれた身でございます。主君の許しもなく牢を出て、貴女様を伴ってリオネル領へと向かえば、それこそ明確な反逆を疑われましょう」
私が冷静に釘を刺すと、アンソニー嬢はふっと薄い笑みを浮かべ、涼やかな声で問い返してきた。
「――叔父様が、ここへ無事に戻られることがあるのかしら?」
耳を疑った。
大軍を率いて、格下の男爵領へと侵攻しているリオン卿が「戻らない」などと、何を馬鹿なことを言っているのか。
「……どういうことです?」
私が疑念を剥き出しにして問い詰める。アンソニー嬢は視線を逸らさず、静かに言葉を継いだ。
「皆が思う以上に、グレリオ家は簡単な相手ではないということですわ」
「リオネル城砦が堅城であることくらいは、私も存じております。ですが、いくら難攻不落の城とはいえ、三千の兵は大軍です。リオネル側が領民を総動員したところで、同数集めるのが関の山でしょう。それでは練度も規律もあったものではない。ただ槍を持たせただけの三千の百姓の群れなど、まともな戦の駒にすらならず、押し潰されるのが関の山です」
私が軍事的な常識から反論すると、アンソニー嬢は事も無げに信じがたい事実を口にした。
「ですがディバール卿。……リオネル軍は、たった三百人程度の寡兵で叔父様を迎え撃ってきたようですわ」
「な……!?」
意味が分からない。
三千の正規軍に対し、たった三百で迎え撃つだと?
自暴自棄の自殺行為か、あるいは正気を失ったのか。
いや――グレリオ家の三男レオナルドは切れ者と聞く。そんな無謀な玉砕を選ぶはずがない。
思考を巡らせる私の胸中に、得体の知れない胸騒ぎが広がっていく。
(……何か、こちらの常識の外にある裏が仕掛けられているのか?)
「どちらにせよ、アンソニー様。リオネルへ向かわれたところで、私や貴女様に人質としての価値などありませんよ? リオン卿は、身内を盾に取られた程度で攻め手を緩めるような温い男ではありません」
伯爵の冷酷な性格を指摘した私に対し、アンソニー嬢は「あはは」と鈴を転がすように小さく笑った。
「ふふ、戦後の話し合いは必要でしょう? 私たちの役目は、人質ではありませんよ」
その瞳に宿る、すべてを見透かしたような冷徹な光。
(この姫君は……まさか、リオン卿の敗北を見越しているのか? すでに戦の勝敗ではなく、その先を見ているようではないか)
鉄格子の鍵が、カチャリと静かな音を立てて開かれた。
私には、この恐るべき姫君の真意をその目で見届ける義務がある。私は立ち上がり、壁際に置かれていた己の佩刀を手に取った。
-----人物紹介-----
グラーフ
ドワーフ族・50歳
かつてワーグナーと共にウェルマ村を訪れ、その後リオネル領に留まったドワーフの戦士
小柄ながら頑健な体躯を持ち、全身を覆う重厚な甲冑に身を包み、ハルバートと大盾を扱う
現在はリオネル自衛隊に所属し、ドワーフのみで編成された守備分隊を率いる
戦士として豊富な経験を持つ一方、戦そのものを好んでいるわけではない
血気にはやることよりも、生き残ること、そして部下を無駄に死なせないことを重んじる現実的な考えの持ち主




