対峙Ⅰ
簡易砦の兵舎で、私は目を覚ました。
窓の隙間から差し込む朝もやの光が、板張りの床を白く照らし出している。
届いた報告によれば、未明にシエル軍がカノ村を発ち、こちらへ向けて進軍を開始したという。
進路は事前の予測通り。丘陵地帯を迂回し、この砦へと至る唯一の街道沿いだ。この速度ならば、およそ三時間ほどで丘の麓に到達する見込みだった。
私は寝台から身を起こし、凝り固まった身体をほぐすように大きく伸びをしてから外へと出た。
外気に触れた瞬間、ひんやりとした朝の冷気が肌を刺す。
広場では、自衛隊員たちがすでに身支度を完全に整えていた。
誰一人として取り乱す者はおらず、士気は極めて高い。多くの隊員が砦の外周に配置された木柵や防壁の設備を回り、最終点検を黙々と行っていた。
砦の中央にある指揮棟を見上げると、総大将たるパウロがよく通る野太い声で、各所へ的確に指示を飛ばしているのが見える。その傍らには従軍参謀のオズモが控え、手元の記録板に視線を落としながら、時折パウロと短く言葉を交わしていた。
「さすがに若様でも、落ち着かぬことはあるのだな」
背後から掛けられた、少し安心したような声色に振り返る。
そこに立っていたのは、かつてワーグナー技師と共にウェルマ村へとやってきた、ドワーフの戦士グラーフだった。全身を覆うフルプレートを身につけ、ハルバートを手に持ち大盾を肩に担いだその姿には、戦場を前にした気負いなど微塵も感じられない。
「……戦いなど、慣れたくもありませんよ」
私が苦笑交じりにそう呟くと、グラーフは髭に覆われた口元を緩め、フフッと低く笑った。
「それでよろしゅうございます。戦好きの血気盛んな主君など、仕えるこちらが困るというもの。その臆病さこそが、兵を無駄死にさせぬ将の器というもの」
豪快に鼻を鳴らすと、グラーフは軽く手を挙げて自らの持ち場である防壁の守備位置へと戻っていった。
……そうだ。
私は、落ち着かないのだ。
これから始まるであろう、血で血を洗う殺し合い。
『戦争』と口にすれば、まるで歴史の教科書に記された崇高な国家の営みのように聞こえるかもしれない。
だが、その実態はただの泥臭く凄惨な殺戮だ。
遠く離れた安全地帯から、顔も見えぬ相手へ向けて無機質な破壊の引き金を引くようなものなら、これほどの生々しい恐怖を感じることはなかったのかもしれない。
だが、この世界での戦いは違う。
研ぎ澄まされた刃を持ち、剥き出しの殺意を瞳に宿した生身の人間が、こちらを八つ裂きにせんと間近まで迫ってくるのだ。
その光景を想像しただけで、情けなくも胃の腑が締め付けられ、膝の奥が微かに震えた。
前世の私は、法と弁論が支配する平和な国で生まれ育ち、政治の世界で言葉と制度を武器に戦ってきた。政争の中で相手を追い落とす冷酷さは持ち合わせていたつもりだ。
この世界に生まれ落ち、グレリオ家と領民を守る覚悟を決めたあの日から、いずれ武力による衝突が避けられないことなど、頭では百も承知していたはずだった。
理屈では、完全に理解している。
だが――人の肉を切り裂き、命を奪い合うことへの根源的な抵抗と、心に深く刻まれた死への恐怖は、どれほど知識を重ねようと簡単には克服できるものではなかった。
張り詰めた澄んだ朝の空気が、息苦しいほど重たく胸にのしかかってくる。
私は小さく息を吐き出し、ギュッと自分の太ももを両手で強く押さえつけて、情けない震えを無理やりにねじ伏せた。
そして――昼前。
物見台の兵から、空気を切り裂くような鋭い報告が響き渡った。
「――シエル軍、およそ三千! 麓の指定ポイントを通過しましたッ!」
ついに、その時が迫っていた。




