越境Ⅱ
秋の陽が天頂を過ぎた頃、私が率いる後詰めの二個中隊百六十名とレオナルド様は、西部の簡易砦へと無事に入城を果たした。
街道の土埃にまみれた隊員たちに短く休息を促しつつ、私は息をつく間もなく砦の防備状況に視線を走らせる。
出立前に耳にしていたのは、ゼノスら反乱騎士が西部の村々を占拠し、略奪まがいの徴発を始めたという不穏な凶報だった。
そして砦に足を踏み入れた直後、先行していた斥候が息せき切って駆け込んできた。
「――シエル伯軍、およそ三千! 領境を越え、カノ村方面へ向けて進軍中!」
三千。
常識的な用兵から見れば、こちらの総兵力三百二十に対して十倍近い圧倒的な数字だ。
だが、その報告を聞いた私の胸に湧き上がったのは、恐怖や動揺ではなく、冷徹な納得だった。
ジェロットが事前に弾き出していた敵の総動員数が、まさにこの「三千」。想定の枠内にしっかりと収まっている。特に多すぎるとも感じない。机上演習で何度も突きつけられた数字を、ただ現実として受け止めるだけだ。
「父上、お待ちしておりました」
迎えてくれた長男のザウロは、過酷な状況を前にしても落ち着いた面持ちで敬礼を返してきた。
先行部隊の実地訓練はすでに概ね完了したという。手入れの行き届いた防壁や整然と積まれた矢束の数々を見れば、彼がどれほど入念に部隊を仕上げてきたかが手にとるように伝わってきた。
一方、次男のルーカスは私に短く礼を取ると、すぐさま今回の戦で従軍参謀を務め私に同行した三男オズモの元へと駆け寄り、広げられた地図を囲んで熱心に言葉を交わし始めた。
「敵はカノ村を拠点に展開するようだ」
「では、予定通りですね」
「ああ、準備は整えてある。周辺から食料を徴発しようにも限界があるはずだ」
「となれば、シエル軍は早期決着でしょう。予定通りこのルートでこちらに来ると思います」
顔を突き合わせ、矢継ぎ早に意見を交わす息子たち。
父親である私への挨拶もそこそこに、意識のすべてを目の前の現実に注ぎ込んでいる。
(……少しは親父の顔も見ろと言いたいところだがな)
内心で苦笑しつつも、かつては幼かった息子たちが、こうして武門と文官それぞれの持ち場で立派に自立し、頼もしく任務に没頭している姿に、胸の奥が熱くなるのを覚える。
程なくして、砦の中央に位置する指揮棟に各小隊長や下士官たちが招集された。
机を囲む男たちの顔には、一様に張り詰めた緊張が宿っていた。
報告される敵の動向や布陣の形は、事前の防衛計画から大きく逸脱するものではなかった。それでも、いざ本番となれば盤上の駒のようにはいかない。地形の僅かな死角、伝令の伝達速度、矢の消費速度など、下士官たちからは泥臭く現実的な確認や懸念が次々と投げかけられる。
派手な奇策ではなく、地道に積み重ねた準備のズレを一つずつ潰していく時間。それは恐ろしいほど淡々と、だが着実に進んでいった。
上座に座るレオナルド様は、飛び交う報告や現場のやり取りを腕を組んだまま静かに聞き届けられている。
まだ十四歳の若さでありながら、その灰色の瞳には一切の浮足立ちがない。
余計なことは言わず、指揮官たちの確認を頼もしげに聞いておられた。
その姿を時折、若い兵たちがちらりと振り返っていた。
十四歳の若君が逃げずにここにいる――それだけで、彼らには何か思うところがあるのだろう。
すべての確認が終わると、レオナルド様はゆっくりと立ち上がり、一同を見渡した。
「――各々方、油断なきように」
少年特有の幼さが残る声、だが全員の腹に染み渡るような声だった。
その一言で、室内が完全に静まり返り、空気が一段と研ぎ澄まされる。
「一同、解散! 第二戦闘配備に就け!」
私の号令一下、下士官たちは一斉に敬礼を返し、引き締まった表情でそれぞれの持ち場へと散っていった。
今回、ザウロが率いる小隊は、ザウロ自身の指揮分隊に加え、バウンド率いる第一分隊、ウカン率いる第二分隊、そして屈強なドワーフのみで編成されたグラーフ率いる守備分隊の四個分隊で構成されている。
そのうち、砦の守りの要となるグラーフの守備分隊をこの場に残し、私はザウロ、バウンド、ウカンの三分隊に対し、別任務を命じた。
「ザウロ、抜かるなよ」
「はっ。心得ております、父上」
肩に置いた私の手に、ザウロは力強く頷いて応えた。
バウンドは相変わらず静かな様子で武具を確かめ、ウカンは先日の失態を晴らさんとするかのように、ギラついた鋭い闘志をその瞳に宿している。
秋の夕暮れが、湿地帯の向こうに広がる山並みを赤黒く染めていく。
冷え込み始めた風が吹き抜ける中、ザウロ小隊の面々は開かれた砦の通用門から静かに砦を発っていった。
音もなく伸びる影が、やがて森の暗がりに溶けていく。
任務を背負って出撃していく息子たちの後ろ姿を見送りながら、私は握りしめた拳にぐっと力を込め、静かに砦の防壁を見上げた。




