誰が為の剣Ⅱ
ようやく残暑の熱気も和らぎ、マナーハウスの窓を吹き抜ける風には、澄んだ秋の冷たさが混じり始めていた。
庭の木々がわずかに色づき始めるこの季節は、本来なら実りを喜ぶ穏やかな時期であるはずだった。だが、執務机を囲む私たちの間に漂う空気は、重く冷え切っていた。
机の上に広げられた一通の書状。
それは、長男であるライモンド兄上が手ずから持ち込んできた、隣領シエル伯領で開かれるという婚姻の祝賀の招待状だった。
だが、その中身に目を通した私の眉間には、深い皺が刻まれる。
(……あからさまにもほどがある)
招待状の文面には、領主代理である私と三男のレオナルドの名が「領政が多忙を極めるため不参加」と、勝手にあらかじめ断り書きとして記されていた。
そして、その後に続く参加予定者の名簿には――上級騎士ゼノスをはじめ、息子ユーゲルの逮捕やウェルマ村の一件で主家に反発を強める、いわゆる「反レオナルド派」の騎士たちの名がずらりと名を連ねていたのだ。
「兄上、これは明らかに何かあります」
私は顔を上げ、正面に立つ兄の顔を真っ直ぐに見据えた。
「なぜ私とレオナルドが最初から除外され、これほど偏った顔ぶればかりが集められているのですか。今、兄上がシエル伯領へ赴けば、彼らの企みに巻き込まれる可能性が極めて高い。罠に飛び込むようなものです」
ライモンド兄上の表情は優れず、固く口を結んでいた。その瞳には、深い憂色の陰が落ちている。 だが、兄上はゆっくりと首を横に振った。
「わかっている、ロメロ。だが……ここで私が招待を拒めば、行き場を失った騎士どもの不満はさらに暴発し、取り返しのつかない暴走を招きかねん」
兄上の声は静かだったが、その奥にある焦燥と危機感は痛いほど私に伝わってきた。
私と兄のやり取りを傍らで聞いていたレオナルドが、冷静な声音で口を挟む。
「……シエル伯の思惑がどうあれ、ライモンド兄上ご自身に直接の危害が及ぶ可能性は低いと見ています。あの男にとっても、兄上は婚姻によって利用すべき価値のある『錦の御旗』ですからね。しかし――何らかの重大な企みが背後で動いているのは間違いありません」
レオナルドの指摘も的を射ていた。
だが、どれほど危険を説こうとも、ライモンド兄上の決意が揺らぐ気配は微塵もなかった。
「自分が行かねば、騎士たちの暴走は止められない」
――あまりにも、兄上らしい考えだった。
父上が亡くなり、家督の継承や領地の改革をめぐって家臣たちが二つに割れかけている今になってもなお、兄上は自らの身を盾にして、旧来の騎士団と革新を進めるレオナルドの間を取り持とうとしているのだ。
どちらの言い分も切り捨てず、流血を避け、グレリオ家を一つに保ちたい。その純粋で愚直なまでの責任感が、兄上を突き動かしている。
兄上の考えは痛いほど理解できた。
そして兄上自身もまた、私やレオナルドがどれほど兄の身を案じているかを、痛いほど分かってくれているはずだった。
兄弟の心は通じ合っている。私たちグレリオの絆は、誰一人としていささかも揺らいではいないのだ。
……だが。 どれほど固い絆で結ばれていようとも、事態はもはや、何が「正しい結末」なのか誰にも見通せない領域へと足を踏み入れてしまっていた。
「……ロメロ」
沈黙を破り、ライモンド兄上が静かに告げた。
「領の事を、頼んだぞ」
「兄上……ッ」
胸が締め付けられる。
その言葉の響きは、あまりに重く、まるで今生の別れを告げるかのように私の耳朶を打った。
「最後まで、どうか希望を捨てないでください」
私はすがるような思いを込め、念を押すように兄上の瞳を見つめ返した。
この兄のことだ。武人としての誇りを忘れず、決して軽挙妄動に走るような真似はすまい。
そう理屈では信じ切っていても、胸を騒ぎ立てる不吉な予感と心配は、どうしても尽きることがなかった。
秋の午後の柔らかな光が、執務室を後にするライモンド兄上の背中を静かに照らし出していく。
託されたリオネルの重みと、歩み寄る嵐の足音を肌に感じながら、私はレオナルドと共に、その大きくてどこか哀しい兄の後ろ姿をいつまでも見送り続けていた。




