ナースポンコツ伝説《もったいない》
「ちょっと、誰ー!バイアルに直接パラフィルム貼ったやつー!!」
15時半、千早ちゃんの悲鳴がナースステーションに響き渡った。
見ると、ワナワナしながらパラフィルムで蓋をされても染み出して濡れてしまっている利尿剤の「開封された」バイアルをつまんでいる。
「確かに半筒指示だからもったいないよ?!だけどそもそも論滅菌してなきゃいけないものを滅菌してないパラフィルムでってどーいう理屈なの!!」
「どうどう落ち着け。これ、なきゃ困るもんでもないからポイしよ、ポイ。ちゃんと夜の分は別であるでしょ?…まぁ、やらかしの内容はアカンけど。」
「清潔操作、イチから叩き直してやる…!」
ガルガルしてるなぁ…まぁ、若い子たちの指導担当だから余計に気負ってしまったんだろうけど。
すると、廊下を通りがかった新人の久美ちゃんが千早ちゃんの手にしているバイアルを見て言った。
「あ!千早先輩!それ、夜に使えるかと思って冷蔵庫に入れたんですけど…」
「「やっぱりお前かー!」」
「えええええ!」
今年入職した新人は2人。真面目な奈緒子ちゃんとほわほわ系な久美ちゃんだ。
2人とも素直で真面目で、勉強してくるように言われたことは次にはきちんと調べてくる良い子達だ。
奈緒子ちゃんは割と何でも卒なくこなし、1を伝えれば3くらいまで自分で気付けるのだが。
問題は久美ちゃんだった。
久美ちゃんは、特記すべき特徴がある。
とっても、可愛い。すべすべで白い肌に卵型の輪郭、ふっくらした頬、バッサバサのまつげに囲まれたくりくりお目々。
「まるでお人形みたい」
彼女を目にした患者さんは口を揃えて言っているが、私もそう思う。なんつー美少女だと。
世間一般でも評価は同じで…それが災いして、可愛がられすぎて根拠のない自信と深く考えない思考スタイルが身に付いてしまった。
これはこの世界では致命的だ。ひとつひとつの手技が、手順が科学的根拠に基づいている。そこをおざなりにして身につけたとしても、イレギュラーに遭遇した時に応用が利かなくなるのだ。
今、千早ちゃんが手にしているバイアルのように。
「久美ちゃん。これ、どういう理屈でこうしたのか教えてくれる?」
額に青筋を浮かべながらも、必死に怒鳴りたいのを抑えて久美ちゃんに問いかける千早ちゃん。お姉さんがんばれ。
「え、あの、22時に使えるように、もったいないからと思って冷蔵庫に入れたんですけど…。」
「パラフィルム貼ったのは何で?」
「こぼれちゃうし、不潔だから…。」
「パラフィルムは不潔だわー!!」
あかん。キレた。
久美ちゃんが千早ちゃんの剣幕に驚いて身をすくめているので、間に入ることにした。
「はいはい、千早ちゃん落ち着こう。」
「ふー…すみません、先輩。」
「久美ちゃん、注射薬は滅菌されてないと感染を起こしちゃうって学校で習ってない?」
「習いました…。」
うん。情報と知識が結びついてないヤツだ。
「点滴も注射も、清潔操作で扱うよね?シリンジも針も滅菌パックされてるから、不潔にならないように扱うの教わったでしょ?パラフィルムは?どう管理されてる?」
「…普通のタッパーに入ってます…。」
「開けて、手でそのまま取ってるよね?手は清潔?それで触れたパラフィルムは?」
「…不潔、です。」
段々と眉がへにょりと下がってきた。自分の勘違いがやっと理解出来たのだろう。
「…今回の、22時分の薬があったのは知ってたよね?どうして残りを取っておこうって思ったのよ。」
「…もったいなくて…。これが使えたら、一筒返せてコスト浮くかなって…。」
「患者さんの安全が第一なんだよ。ここを浮かせたとして、これで敗血症とかなったらむしろ大損だからね?何より患者さんが危ないじゃない!」
「…すみませんでした…!」
ふむ。
「久美ちゃん。千早ちゃんが心配してくれたのは分かったかな?」
「はい…。」
「それじゃ、今回の失敗の原因と何が危険だったのか、自分が何を知らなくて不味かったのか、まとめて千早ちゃんに報告と相談しようね。」
「はい。」
「千早ちゃんもそれで良い?」
「先輩、ありがとうございました。先輩いなかったら怒鳴って泣かしちゃうとこでした…。」
「イヤ泣かさないで?!」
二人が吹き出したところで、解散。
夜勤に交代の時間まで残り2時間。頑張らねば。
なお、久美ちゃんのやらかしはこの後も続いたのはまた別の話。
用語解説
バイアル
ガラス製の薬液ボトルで、くびれた首の部分を折り取って開封する。普通は使い切りで残っても取っておかない。
パラフィルム
パラフィンで作られたフィルム状のラップのように使う資材。経口水薬のカップに蓋をするのに使ったりする。
清潔操作
滅菌された資材(シリンジや針、医療器具など)を無菌状態で扱う技術。もし清潔部分に手で触れてしまったらそれは使えなくなるため細心の注意を要する。新人の第一関門。




