ナースポンコツ伝説《生まれたままの姿で》
それはある日の午後だった。珍しく病棟が落ち着いていたので、久しぶりに腰を据えて電子カルテに向かって記録しているとナースコールが鳴った。
「…8号室…?あの人、コール押せないよね?」
訝しく思いながらコールを取ると、悲鳴のような声が響いた。
『すみませぇぇぇーん!!助けてくださーい!!』
「ちょ、久美ちゃん?!」
『パジャマとタオルケット、持ってきてくださーい!』
…なるほど。
リネン庫からLサイズのパジャマと肌着、新しいタオルケットと念のための横シーツをつかみ取ると8号室へと向かった。
「あー!先輩!ありがとうございます!」
まず鼻を襲った便臭に眉をしかめかけるが、次に目に入ったのは床に山盛りの茶色いシミがあちこちにあるパジャマとシーツの山。ビニール袋に入ったやはり茶色く汚れた紙おむつ。
ベッドの上には交換された新しいシーツに横たわるパンツ…いやおむついっちょの高橋さんが恥ずかしそうにツタンカーメンのポーズで胸を隠していた。
「とりあえずタオルケットかけてね。」
「はいっ!」
「ごめんなさいねぇ…動けないばっかりに迷惑かけちゃって…。」
「いえ、こういう時は私たちに任せてくださいね。」
「高橋さん、ごめんなさい…つい慌てちゃって…。」
謝罪合戦しながらも二人がかりでパジャマを着せ、この後の「おかわり」対策に横シーツを敷いた。
布団をかけられてようやくホッとした表情になった高橋さんに、改めてお詫びした。
「この度は不手際で申し訳ありませんでした…寒かったですよね?」
「いえ…一生懸命やってくれたのはわかってるから…次は、パジャマ持ってきてね?」
「高橋さん…ごめんなさい…!」
うるうるしながら謝罪しとるけど…こら。
泣きたいのは患者さんだぞ?
8号室を後にして洗濯物と汚物を始末してステーションに戻ると、久美ちゃんの目が泳ぎ始めた。
…うん。お説教されると思ってるんだね?
ご期待に添いたいのは山々なのだが、そろそろ巡視と夕方の抗生剤の時間なのだ。先輩だって忙しいのだ、これでも。
「久美ちゃん。お説教期待してるのはよーくわかるんだけど」
「いえ期待してません覚悟してました!」
「…うん、どっちでもええわ。私はこれから巡視行って抗生剤つながないとだから、今のやっちゃった一連でどこをどう改善したら良いか書き出しておいて。一段落したらチェックしてご期待通りお説教したげるから。」
「………はい。」
安堵したような、まとめるのを思ってゲンナリしたような複雑な面持ちで頷く久美ちゃんを、周りのスタッフも生温く見守っていた。
そして、就業時間後。
久美ちゃんが出してきたメモを見てため息が出た。
『便が漏れていたので、汚れたものを脱がすことに気が取られて着替えを持ってこないまま脱がし始めた』
「…。これだけ?」
「…他に思いつきませんでした…。」
うん。やはり筋道立てて考える癖がついてないのが一番問題かな。
「久美ちゃんの一生懸命なのは、みんな知ってるよ。頑張り屋さんなのもね。」
「あ、りがとう、ございます?」
「でね、そんな久美ちゃんの一番困った癖なんだけど…。」
ごくり、と久美ちゃんの喉が鳴った。
「一度に見られる範囲がすごく狭いの。ラップの芯通して見るくらいに。」
「狭っ!え、でも範囲が狭いって…」
「今回、汚れてるのを見てそのままにしておけない、って思ったから脱がし始めて、パジャマもタオルケットもないことに後から気付いた。これはね、時間の前後を見る範囲の話なの。」
「時間の前後…。」
「そう。物事の流れをみる力とも言えるけど、今回は脱がしてから着せなきゃいけないとこまで予測してなかったってことよね?」
あ、という顔で固まる久美ちゃん。そういうとこだぞ。
「そんな癖を持つ久美ちゃんが今後取り組むべきなのは?」
「…一度、やることをあらかじめ考えてから動く…ですか?」
「今の段階じゃ、そんなもんかな。今回だけじゃなくて、これまでのやっちゃった案件についても、もう一度考えてみよ。そしたら段々と見えてくるものもあるから。」
「はい。ありがとうございました。」
「はーいおつかれさまー。」
しょんぼりとステーションを出て休憩室に向かう久美ちゃん…待て。
「久美ちゃん!ちょっと待って!」
「え?」
「腰!ごみ袋付けたままだよ!」
「…あっ!!」
先は長そうだなぁ、と頭の痛い私だった。




