2 前途多難の幕開け
おかげさまで2700アクセス突破です! 皆さんありがとうございます!!
作者はひねくれ者のほうが書きやすいので、リンカさんは難しいんですが書いていて楽しいですね。昔の皆を書くのが楽しいです。
感想やご意見、もしあれば質問もお待ちしています。これからもよろしくお願いします!!
「はー。それで、選ばれたのがりぃちゃんってわけ?」
右手を腰に当ててそう尋ねてきた少女は、まだ年端もいかない子どもに見えた。
年齢十二歳。魔法名〈武器(ウェポン)〉。眼鏡の少年上司同様、幼くして〈三人衆〉の地位を獲得した恐るべき実力者。七歳で魔法に目覚め、そのあまりに危険な魔法ゆえに一般の魔法使いからは隔離されて育ったという。眼鏡の上司、それからもうひとりの少女と共に彼女を育てたのはなんと驚くべきことに先代〈三人衆〉だと噂され、二年前に先代のうちの最後の一人が逝去したのち、めきめきと頭角を示し始めた三人の中で最も強い少女。
薙ぎ倒された〈三人衆〉候補の魔法使いは数知れず、先代亡き当時の《攻撃系》魔法使いナンバーワンの猛者〈殲滅〉すらも打倒し、いつからか呼ばれ始めた通り名は――――『茨姫』。
少女の話は散々聞いていたが、眼鏡の少年が大人びていたのに対してこちらは年相応に見えたから、素直に驚いたものである。
ミディアムヘアを背中に流して桃色のリボンで飾り立て、女の子らしいシャツにミニスカート姿の少女は、とても噂のような少女には見えなかったというのが私の第一印象だった。普通に可愛い女の子だ。ただし、彼女のまとう空気はなんとなく気だるげで面倒くさそうな感じであり、その空気感は十二歳というには違和感を感じさせた。
緊張し気味に早鐘を打つ心臓に静かになるよう言い聞かせながら、私は震える声で答えた。
「は、はいっ、そうです……」
「ふぅん、なんかすっっっごい不安なんだけどなぁコレ、大丈夫なの? ホントに? アンタやる気ある?」
「あ、ありますよ勿論!」
「その割に目ぇ泳いでるけどー?」
「はっ、いやいやそんなことはですね」
「ま、ともかくよ」
こちらが釈明しようとしたのを遮るようにして、彼女はくるくる指先で髪をいじりながら言う。
「あいつが選んだってんなら間違いは無いんでしょーけど……アンタの魔法ってあのつっかえないのでしょ? 正直これからアンタに引き合わせる奴って、アタシでも手に負えないような泣き虫と馬鹿だからすごく心配だわ。うっかりアンタが死んだりしないか」
「し、死ぬって」
「可能性はあるわよ? 二年前だけど、アタシそのひとりと喧嘩して……いや、殺し合いして殺されかけてるし」
さらっととんでもないことを言ってのけた彼女は、しかしさほど自分の言葉を意識した様子もなくくるっと踵を返した。え、と立ち尽くす私を振り返るなりくいっと顎を上げて廊下の奥を指し示す。ついてこい、そういう意味らしい。
言われた言葉に相当の不安を感じつつも、私は大人しく彼女の後をついていった。《武器》、彼女も私の立派な上司なのである。いくら幼く見えても実力は私の遥か上。もし彼女が気まぐれなタチでしかも残虐だったなら、私は次の瞬間斬り殺されていてもおかしくないのだ。……肝に銘じなければ。
――――魔法同盟本部。その場所はどうあれ記録に残すことを許されない。
先日、お世話になっていた支部局長に連れられてここへやってきた私は、もうひとりの眼鏡上司によって異動書を手渡された。そこにはこれまでなかったはずの64号局局長への異動命令が書かれていて、そこは問題児ばかりを集めた場所になるとか聞かされて、今日はそんなとんでもない日の翌日。
所々が剥げたタイルの床を歩く。ぱき、めり、靴が床を踏むたびにそんな音がして、この建物の経てきた年月を思い起こさせた。外見はぱっと見絶対に人がいなさそうなツタの這う廃墟である。こんなところが本部なんて、ある意味とっても分かりやすい話だ。
しばらく無言で後をついていくと、唐突に前を歩いていた彼女が声を発した。
「ねぇりぃちゃん」
「はい?」
「これから話す事を聞いて、それからこの異動は無理だって判断するならやめてもらっていいわ」
「……はい?」
いきなり何を言うのか、と目を白黒させる。昨日眼鏡上司に、この決定はどうやっても覆らないと言われたばかりなんだけど、あれ? 違うの?
混乱しそうになった私の耳に、再び彼女の毅然とした声。
「アタシはアンタのこと何にも知らない。書類にはおせっかい世話焼きお人好しとか書いてあったけど、そんなの猫被れば誰だってなれる。だからアタシはあの書類を信用してない。自分の目で確かめる。ダメそうならアタシはどうやってでもサトリを黙らせて担当を変えるわ」
「自分の……目で」
「そ。ヒョーメン上に書かれたことを信用して痛い目を見るのは一回きりでいいわ。もう二度とあんな目に遭いたくないし遭わせたくないワケ。だからりぃちゃん、今から私のする話を聞いて、理由はドージョーでもレンビンでもなんでもいいからそいつらの面倒を見るなんて無理だと思うなら今すぐやめて」
立ち止まって私の目を見つめるその瞳に、吸い込まれそうになった。
なんて意思の強い子なんだろうと思った。澄み切った綺麗な瞳。誰かを案じるようなその目はどこかで見覚えがあって、ああそういえばと思い出す。
兄。一年前にお別れをしたその日、兄は黙っていたけれどあんな目をしていたっけ。
そして私は知っている。その目は、冗談や演技でできるものではないことくらい。
「分かりました」
きっぱりと答えた。その言葉に、そう、とまた彼女は歩き出す。
「じゃあまず一人目。魔法名《会話(トーク)》、もうすぐ六歳。ちなみにここ二百年の魔法同盟加入者で最年少の魔法使いね。両親はいない、生まれた時から孤児院にいた捨て子よ」
「……」
沈黙を保ったままにする。相槌は求めていないことを察したからだった。
「魔法の性質は《物専門のサイコメトラー》とかサトリが言ってたわね。物の言葉が分かる、物と意思疎通できる魔法。系統は《干渉系》。性格はひどい人見知りで話しかけただけで泣き出すくらいに泣き虫。言葉はいちいちたどたどしくて聞きづらいしコドモだから何言いたいのかまとまんなくて、アタシたちは皆お手上げだったのよね。他の局でも子どもの面倒なんて見たことある人ほとんどいないから、たらいまわし状態だった」
でも。こつん、靴音が廊下に反響する。
「問題は、その魔法の《効果範囲》が広すぎること。悪夢の七日間はとっくに乗り越えているはずだけど、それから三カ月経った今でも制御できる気配ゼロ。おかげさまで、あの子は街ふたつぶんくらいの《物》の声をすべて余さず聞いている。実証済み」
街、ふたつぶん?
それが魔法の常識を大きく逸脱した範囲であることは自明の理だった。かつて聞いた話では、最大範囲が街ひとつぶんもあればとんでもないということだった。それなのにそれの三倍?
そんなのって。何か言おうとしても言葉が出てこなかった。
「ついでに言えば、その《物》、壁も床も木もぜんぶ合わせた《物》なの。電柱も、電線も、みんなあの子からすればオトモダチみたいなもので、みんながみんな話し相手。だけどあの子はその《物》の声をひどく怖がる」
「……?」
「聞こえるんだそうよ。切り倒される木が悲鳴を上げたり、夏のアスファルトが暑さに泣くのとか。アタシたちには一生わかんない、あの子にだけ聞こえる、地球に溢れる物の悲鳴が。そうたとえたのは、もうひとりのドーリョーだけどね」
絶句する。
五歳の子どもが物の言葉が分かる。それは一見すごいことに見えた。便利そうだと誰もが思うことだろう。けれど実際は、どんなに辛いんだろうか。不意に自分の靴に視線を落とした。
自分が履いているこの靴の言葉が自分に聞こえたら、こいつはなんて言うんだろう。……私たちが当たり前のように使っている物は、例えば昨日握った書類は私に何を言うだろう。そんなこと、到底私には分かりはしない。理解できっこない。想像は出来ても聞くことはできないんだから。
なのに、それを五歳の子どもが街ふたつぶんも聞いているなんて。
「だからか友達はロクにいないみたいだし、人の着ている服とかの声も聞こえるから人と関わることが嫌い。人込みなんか行かせたらあいつ死ぬんじゃないかと思うわ。……アタシも言われたから、あいつの魔法は本物なんだろうね」
「……と、言うと」
「『リボンさんがもう嫌だって泣いている』――――そう言われたことがある」
アタシだってそんなの分かってるけどさ。
ぽつりと零したその独白は寂寞感に満ちていた。握り締められた拳を見逃せるほど私も馬鹿ではない。それを見て、私は何か言おうと口を開いて、結局何も言えなかった。
数歩分の沈黙の後、でさ、と話題を切り替えた。何もなかったみたいに、普通に。
「もうひとり。こっちはアタシたちの幼馴染のひとりなの」
「お……幼馴染? え、でも……」
「うん、そうよ。〈三人衆〉は皆幼馴染なんだけど、もうひとり、〈三人衆〉から外れた奴がいる。アンタに言っておきたいのは、こいつの存在を他の支部局に一切漏らしちゃいけないってこと」
「……はい?」
つわものばかりの〈三人衆〉にもうひとり幼馴染がいたという時点でびっくりものだったのに、最後におかしなことを付け加えられて私はぽかんと訊き返した。存在を、他に漏らさない? どういう意味だ?
「こいつの魔法はちょっと特殊すぎてさ、先代が隠しておいたほうがいいだろうって。実際あんなのチートって言っていいだろうから、公になったらあいつが危ない。だから、あいつのような魔法使いがいることをバラしちゃいけないの。分かる? アンタ」
「い、いや言ってる意味はわかりますけど、なんで――――」
「あいつの魔法は、本来の魔法のワクにそもそも収まらない魔法なのよ。魔法の中でも規格外、魔法の中でも例外的な魔法。先代は、〈従雷(ライトニング)〉と名付けたわ」
こつん、こつん。靴音が響く。
「あいつは、『電気にまつわることなら何でもやれる』――――データをハッキング? とか、書き換えとか、デリート……とかパソコン系はもちろん、全部」
「ぜ、全部?」
「そう、ありとあらゆる電気を操る。雷も落とせるし静電気も作れて自然の電気も操れちゃう。その最大攻撃力はアタシ並みで、ほらさっき言ったでしょ、殺し合いで殺されかけたって……そんなのが、あいつの魔法」
それはつまり、情報収集から攻撃魔法まで、電気が関わるのならどこででも活躍できるということだ。基本的に魔法使いは魔法のパターンごとに分けられ、自身に特化した魔法によってその仕事をこなしていく。それなのに、ではその〈従雷〉は……オールマイティということなのか? 電気さえあれば。……そしてこの現代社会で、電気がない場所など限られている。
確かにそれはチートだ。
何でもできる魔法使い。それがどれだけめちゃくちゃな存在なのか。想像するまでも無い。
そしてその子が彼女らと幼馴染だというなら、これまでどんな扱いを受けてきたのかも。
こつん、と彼女の足音が止まった。彼女の前には鉄製の扉があった。見ていてなぜか胸が締め付けられるくらいに重厚な存在感を放っている。それに視線を投げた後、彼女は確かめるように私にもう一度視線を合わせた。
「今、この中には子ども慣れしてる知り合いと、その子二人を放り込んである。もしアンタが面倒を見られないなら、中にいるそいつに頼むわ。……どうする?」
五歳にして悲惨な魔法を得てしまったという子。
電気があれば何でもできる、現代社会において万能な魔法を身に付けた子。
正直言ってそんな二人を、こんな自分がどうにかできるとは言い切れない。というかむしろどうにもできずに悪化させるのが関の山じゃないかとさえ思う。でも、でもだ、私は彼女の話を聞いてしまったのだ。
困っている、怖がっているという話を聞いてしまった。きっと悲しかっただろうな、辛かっただろうな、そう思うだけのことを知ってしまった。
知ってしまったからには、私はその子たちを知らんぷりすることなんて――――
「やります」
きっぱり、私は彼女と目を合わせたまま答えた。
「私がやります。やらせてください。私の両親は刑事でした。最期の最期まで人を守って死んだんです。……その娘が、その子たちを放っていたら父と母に叱り飛ばされます」
「……」
「お願いします。使えない魔法だし要領悪いし学習能力もないし、実戦もまるでできないような役立たずのお荷物ですが――――私にできる限りのことを、させてください」
なんとなく思ったのだ。
何もできない自分だけど、もしかしてこれは何かの運命で、私にも何かができるんじゃないかって。兄とのお別れからちょうど一年経って来たこの異動が、この扉の向こうにいるはずの子たちとの出逢いが、私の何かを変えるんじゃないかって。
ただの想像。ただの妄想。ただの勘。
でも、私は自覚している。思い込みの強い自分を。
「きっと、何かが変わると思うんです」
だから愚直なまでに言葉を紡いで、頭を下げた。
廃墟の外では雨が降っているようで、じめりと湿った空気が頬を撫でるように這う。私の緊張を示すように、時折ぼつぼつと葉が雨粒に打たれて騒いでいる。梅雨。ああそうだ。兄が嫌いだって言っていた。この魔法同盟という秘密組織に来るにあたり、二度と兄に会わないと決意して、後戻りできないように兄にひどいことを言ったそのあとに、兄は消え入りそうな声で言ったんだ。
「……梅雨なんか、大ッ嫌いだ」
そう、静かに俯いて言ったんだ。
いきなり蘇った一年前のその記憶がずきりと心の奥底を突き刺したそのときに、不意に目の前の彼女が息を吐いた。
「あー、もういいから。カオ上げてよ。人に頭下げられんのは悪い気分じゃないけど、アンタだとなんかイラっとすんのよね」
「……え、でも」
「いいから上げなさいっての!」
「はっはいいい!!」
ばっと大慌てで顔を上げてみると、そこには相も変わらず私を見上げる双眸があった。けれど、その目に宿る光はただの強さと案じる気持ちだけではなくて、ほんの少しの安堵がある――――ような気がしたのは、私の思い込みなのか。
「ほんっとにアンタ、書類通りのお人好しなのね。問題児を自分から、年下のガキに頭下げてまで面倒みたいなんて。つっくづく変わり者、アタシにはわかんないわー」
「……そう、ですかね」
「でもそれくらいのほうがちょうどいいわ。……あの人たちも、そうだったから」
ぽつりと呟かれた独白の後半がよく聞こえなくて聞き返そうとしたのを邪魔したのは、彼女が突如モーションゼロで思い切り蹴飛ばした鉄製のドアから反響した甲高い金属音と中から響いてきた「のぉぉぉぉぉぉぉう!?」という素っ頓狂な悲鳴だった。
突然の出来事に身が竦んだ私に一瞥流し目をくれてから、一歩室内に踏み込む彼女。
「うっさいしおじさん、どんだけビビりなの。ドア蹴り開けたくらいで」
「は!? あのドア、己でも開けるのキツイんだぜ? それを十二歳のお前さんが蹴り開けられるのにびっくりだわ! こっちでも坊主が涙目だド阿呆、もう少し気を遣いやがれ!」
「おじさんが開けづらいのはおじさんに腕力がないからでしょーに。……アンタ、なにぼーっとしてんのよ」
「ひゃうっ!? はっ、すみません!!」
慌てて私も一歩敷居をまたいだ。
彼女の背中の向こう側に、今立ち上がったらしい男性の姿が映った。ワイシャツに灰色のベスト、スラックス。オレンジ色のネクタイは少し歪んで結ばれており、服のところどころに汚れが残っているあたり、あまり綺麗好きではないらしい。その予想を裏付けるように痛んだ黒髪をガシガシと掻きながら、その男性は私を見た。四十代前半くらいの中年男性。髭は剃られているが、右頬に深い切り傷の跡が残っていてやけに印象的だった。
「ん。あれ、もしかしてそいつが噂のお嬢ちゃんか」
「そう。ちゃんと全部話してあるわ。全部聞いたうえでやるって言うから連れてきた」
私をくいっと親指で指し示した彼女は、ちらりと肩越しに視線を寄越した。
いいのね? そんな最終確認だと思う。私は一も二もなく頷いた。もうあのときのように覚悟は決まっている。
その返事を受け取って、彼女は男に、
「じゃあもういいよおじさん、どうもありがとね。お医者さん、頑張ってね」
「おう、ありがとよ。よし、おら坊主、己ぁ行くからな。あんまり暴れんじゃねーぞ」
男はにかっと屈託なく、近くにいるらしい誰かに笑う。その笑顔はまるで無邪気な子どものようで、私は一瞬その男に気を取られた。不意に踵を返した男とすれ違いざま、ぽす、そんな軽い音を立てて肩をたたかれる。
「あのガキどもをよろしくな、嬢ちゃん」
「……!」
振り返ったときには、鉄の扉をくぐって男は姿を消していた。
目が合ったのは一瞬、言葉もロクにかわしていない。だけれど、私は一層緊張した。あの人はまず間違いなく、ここにいる二人を心配していた。もしその二人に何かあれば、あの男からもらった言葉と視線と肩の一瞬の温もりがすべて過去に流されてしまうんじゃないかと、唐突にそんなことを思う。密かに気を引き締め直した。
男が室内から消えたところで、彼女は男性が笑いかけた方向へ歩み寄ると不意にしゃがみこみ、そこに両膝を抱えて座るひとりの男の子に声をかける。
「イオリ」
「っ!!」
五歳の男の子、街ふたつぶんの物の声にさいなまれている子は、多分この子だろう。
彼女がかけたそのたった一言にびくりと全身を震わせ、ひどく怯えたような目でこちらを一瞬だけ見上げたからだ。すぐに視線は外されて顔ごと膝の間に埋めてしまう。どうするのかと思わず彼女を見れば、彼女はふるふる首を横に振った。
え、それはどうしろっていう意味ですかと尋ねる前に、彼女が反対側の部屋の隅を見て、ねぇ、と声をかけた。その声はこれまで私やあの男性に向けられていたものより幾分柔らかい。そこには、こちらの動向にまるで気付いた様子のないひとりの少年があぐらをかいて座っていた。
「アンタ何してんのシュン? その手元の、なに?」
「あ、これ? へへへ、最近開発したんだ。電気あやとり」
返ってきた言葉が予想よりも明るいことに驚いたが、それを発した少年の姿を見て私はもっと驚いた。紺色のパーカーを着てフードを被ったままのその子の周りに、青白く光る電光がばちばちと爆ぜるような音を立てて発生しているのだ。さながらそれは火花と戯れているようで、少年を神秘的な光をまとって見せた。
シュン、と呼ばれた少年は、どうやら目線を目の前のパルスから逸らさなかったせいか、私には気付いていないらしい。
彼女は、彼の両手の間に細く展開し、たまに明滅する電気のあやとりを見てへぇ、と感嘆の声を上げた。だがそのあと、部屋の隅で震える男の子のことを思い出したのかあやとりには言及しないまま、とすっと私の背中を押した。
その音に、少年と男の子の両者が顔を上げる。そして即座に、両方とも顔が強張った。ひっ、息を呑んだのは男の子のほうか。
「……誰、この人?」
少年の方が男の子を一瞬見やってから尋ねてきた。私を怪しんでいるのがすぐわかる不穏な声音に、彼女は穏やかに答える。
「前に話したでしょ。アンタと、あの子を面倒見てくれることになった新任支部局長よ。忘れた?」
「忘れてない、けど……」
不安げにその瞳が泳いだ。心情を暗示するかのごとく指先に浮かんでいた青い六角形が微かに揺らぐも、電気パルスは更に光量を増していき次第に目が痛くなってくる。だが、ここはそれを我慢すべき場面だろうと思って、なんでもないように私は微笑みかけた。
「初めまして。小柳、リンカです。キミたちと一緒に働くことになったよ。まだまだ新米だけど、どうぞ、よろしくね」
「……ねぇ、コハル、この人、」
「ダイジョウブだってば。前みたいな馬鹿じゃない。もう絶対シュンにあんな目に遭わせないように、アタシたちも色々考えたんだよ」
あんな目。それがどんなことを示すのか具体的なことは分からない。良くないことなのは察しがつこうというものだけど。
それでも、そっか、と言って薄ぼんやり笑った少年に、私は底知れない悲しみを見た。目を伏せて睫毛を震わせ、ちょっと震えの止まらない四肢を抑え込むように笑ったその子。
とっても悲しい、怖がるような微笑みをさも満面の笑顔であるかのように不器用に浮かべて、
「じゃあ、よろしく。おねいさん」
もうひとりの男の子は話を理解していたのかすら怪しいだろうけれども、ただ怯えのままに全身を麻痺させて目に涙の膜を張ることしかできていないようで。
不信感に満ち溢れた二人の態度に私の心境は抉られるような気持ちだったが、そもそもこんな子たちが不信に囚われているということのほうがよほど痛々しい。この二人の面倒を見る、既に決意はできていたけれども思っていた以上に難しそうで。
……まずは、仲良くなることから始めよう。お互いを知るところから。
私はこれからに対しての不安をかき消し、希望を意識するように、あえて明るい声音で笑った。
「うん。よろしくね、二人とも!!」
魔法同盟関東支部64号局の発足日は、ある年の五月九日のことだった。
梅雨の始まる雨多き時期にできたその支部は、現在発足から二カ月が経過した七月九日でも初期メンバーの三人の加入者に留まっていた。基本的に支部局は最低でも六人体制であるにも関わらず、ここは〈従雷〉――――滝仲シュンくんの事情も相まって、表で動けるのは二名。しかもイオリくんは魔法の制御が未だにできず、私はことここに至り、シュンくんとも、もう一人のメンバーである〈会話〉イオリくんとも大して仲良くなれていない。
つまり、大ピンチだった。
実質、64号局で動ける人間が私ひとりしかいないのだ。これまで二カ月、本部から回ってくる書類に忙殺されてばかり。とても他の仕事に向かえない。
「……ぁう」
調査依頼も戦闘依頼も引き受けられない自分の無能さに腹が立って仕方がなかった。こんなにも仕事ができないなんてと自分の馬鹿さ加減を何度呪ったか。その無能さのせいで、この支部が落ちこぼれだとでも言われてしまったら、私はあのとき二人をまかせてくれた切り傷の男性にも、上司である眼鏡さんにもリボンさんにも合わせる顔がない。
仕事の処理能力は二か月前より格段に上がった。でもそれでもまだ足りない。体術もある程度心得ている。けれどとても実戦では使えない。自分の魔法の有意義な使い方も思い付かない。……あの子たちに心を開いてもらう方法も、分からない。
イオリくんは何も話してくれない。部屋の隅で膝を抱えて一言も物を言わないのだ。何を聞いても、何があっても私がいるところでは何も話さない。いつの間にかあの子は自分の部屋にいることが多くなった。
シュンくんは表面上親しくしてくれているように見えたけれど、それはあの年頃で身につけるには上手な処世術のようで本当に笑ってくれたことはない。気がつくと彼の幼馴染に電話をしていて、私ではダメなんだと思わされてばっかりで。
イオリくんとシュンくんのお互いはそれなりに仲良くなってきたようだが、対して私は。
「結局、なにもできてない……」
はぁ、とため息をついた自分を律するように、頬を何度か叩く。しっかりしなくちゃ。弱気になってどうすんの。私は刑事の娘、現場が命と言って靴底をすり減らした両親の娘だ。地道な作業だろうとなんだろうと、きっと頑張れば道は見えてくるはずなんだから。
言い聞かせるように繰り返しても心はちっとも晴れなかった。なんだか無性にお兄ちゃんに会いたいなぁと思った。会おうにも、もう二度と会えないだろうし会ってはならないんだろうけど。
曇りかけた気持ちを無理矢理吹き飛ばすように伸びをしたそのとき、こんこん、と控えめなノックが部屋の扉から聞こえてきて、私は慌てて「はぁーい?」と返事をした。
しばらくの静寂ののちドアが少しだけ開いて、
「ちょっと出かけてくるね~……」
ひょっこり顔をのぞかせたシュンくんはそれだけ言って、またパタンと扉を閉めた。
シュンくんはお出かけが割合好きらしい。それは二カ月の間に分かったことだ。もしかして私が一緒なのが嫌なのかもとか考えなかったと言えば嘘になってしまうけど、マイナスに考えるとマイナスな方向に物事は進んでしまうという。過度な考えすぎは良くない。
時計を見ると、午後二時。いつもの調子なら五時過ぎには帰ってくるだろう、そう思って書類仕事に戻った。
――――の、だけど。
その五時になっても、これだけはしてくれた帰宅のコールが無いのを妙に思って、私は部屋を出た。そろそろ夕飯の支度を始める頃で、シュンくんは必ずこの時間には帰ってくる。部屋を出た先のリビングはしんと静まり返っていた。
なんだかその静寂が薄気味悪くさえ思えて、私は足早にイオリくんの部屋へ向かった。何か知っているかもしれない、と思って。
だが「イオリくん、入るよ?」と声をかけて開けたドアの先には、誰もいなかった。
「……あれ?」
イオリくんがいない?
とりあえずお手洗いやお風呂場も見てみたけれどそこは全部もぬけの殻、他の空き部屋も確認してみたけれど、どこにも彼の姿は無い。
そんな馬鹿な。私の背筋を嫌な汗が伝った。イオリくんがこの家からいなくなって、シュンくんは定刻に帰ってこない。どうしてだろう、肌が粟立って最悪な想像ばかりが頭を巡る。どうしよう、どうしよう、混線状態の頭で、私は部屋をうろつきながら必死に考える。
書き置きはどこにもなかった。一応とシュンくんに持たせている携帯電話は部屋に無かったから持っているはずだが、電話を掛けても繋がらない。七月。そろそろ暑くなってくる時期だというに氷風呂に浸かっているように全身が冷えた。
そしてそんなとき突然降って湧いた思考回路はまるで天啓のようだった。あの二人はどこかに一緒に出かけて、何かの理由で帰ってこられていないんじゃないか。それだったら、あの二人はどうしているだろう。
……怖いだろう。寂しいだろう。辛いだろう、悲しいだろう。そして私はそんな二人をどうすると決めたのだっけ?
「……迷ってる場合じゃない!!」
私は支部局から飛び出した。
夕刻五時半、夕陽に街が照らされる時刻に、場所も人の視線も憚らずに私は叫びながら走り回った。商店街も路地裏もショッピングモールも公園も、思いつく彼らの行きそうな場所を全部駆けずりまわってその名前を呼んだ。サンダルをひっかけて全力疾走したのでくるぶしがひどく痛む。ぜぇ、はぁ、上がる息を必死に整えてまた走る。赤と夜の境界線が生まれていく中で、まるで街全体があの二人を奪う怪物のように思えて、私はその幻想を否定するように首を振りまた走る。
「イオリくん! シュンくん! どこーーーーーーっ!!」
それでも徐々に遅くなる自分の速度に嫌気がさした。こんなときに、私は何で限界なんてものを感じているんだろう。局長という立場にありながら、あの子たちの為になにひとつ果たせていない。それなのに身体は無理だと訴えてくる。諦めろと夕闇がそそのかす。なんでなの。なんで、私はなんにもできないんだ。
身体の発する諦めの命令を跳ね除けて走り続けて、叫び過ぎて喉がからからだった。そもそも体育会系ではない私に長距離走が順調にいくはずもなく、脚は棒のようでまともに命令を利かない。午後八時。既に世界は暗闇に覆われようとしていた。
「……っんで、いないの……どこっ……!」
どこかの倉庫街に辿り着いたところで、私はついに止まった足に苛立ちながら両膝に手をついた。いない。見当たらない。どうして。不意に両親の亡くなった日を思い出した。白い顔、動かないまぶた、冷たい手。いやだ、どうしよう、そんなことになってたらどうしよう、全部私のせいだ。
うっすら涙が滲んでくる瞳をごしごしと拳で拭い、私はまた走ろうと一歩踏み出した――――そのとき。
「っやめて!!」
そんな声が聞こえて。
私はほぼ脊髄反射並みの速度で、声のした方向を見た。そこには五つの人影があって、そのうち二つの影が誰のものか気付いた瞬間に、私はこれまでの労苦をまるで忘れたようにその場所へ駈け出していた。
二つの影は重なっていた。後ろに五、六歳の子ども。前には小学生か中学一年生くらいの少年。少年は子どもを庇うように両手を広げて立っていて、その少年ににじり寄るようにある三つの影はどれも私より背が高い男で。
その男の手が握り拳を形作っていることに気付いて、私は祈るような気持ちで、今日最高速のダッシュを試みた。嫌だ、ダメだ、絶対にそんなことさせない。そんなのダメだ。この子たちはもう十分痛みを受けてきた、苦しんできた、その子たちを守らなきゃいけないのは――――!
これまでとんと使い道がなかった自分の魔法の使い方を思い出したのは、彼らに拳が振り下ろされる直前、二つの影の元へと辿り着いた数コンマのこと。まるで私を後押しをしてくれるように閃いた思考のまま、私は二つの影の頭を撫でるように両手を置いた。二人の前に押し入ることはかなわない、だけど……これで、いい。
そして直後、一瞬だけ若草色の光が炸裂したかと思うと――――次の瞬間、二人の《後ろにいた》私は頬に強烈な打撃を受けて思わず小さな悲鳴を上げた。思っていた以上に、殴られると言うのは痛いんだと今日初めて知った。
そのまま倒れ込みそうになる疲弊しきった身体、だが私の意思はまだ生きている。ここで座り込んだら同じことだ。私はぐっとよろめきそうになる両脚を踏ん張って、正面から、自分より背の高い三人の男を睨みつけた。
「……シュンくんとイオリくんに、何してるんですか」
え。そんな声が《前》に立つ二人のどちらかから聞こえた気がした。良かった。二人に怪我はないようで、どうやら間に合ったらしい。声はまだちゃんと出る。そのことに安心しながら、私は更に語気を強めた。
「この子たちは、私の大事な家族です。もう絶対に手出しをしないで」
「あん? なんだぁ、このアマぁ!? さっきオレ、《この餓鬼を殴ったはず》なのに……!」
「そんなのどうだっていいでしょ! もう二度と二人に絡まないでって言っているんです、わかりますか? まだご文句がおありなら、」
すぃ、とシュンくんとイオリくんの前に出て、二人と男たちの間に割って入る。
それから、何度か兄が浮かべたのを見たことがある不敵な笑顔を思い出した。挑発するための笑顔。それを、にっこりと表情に浮かべてみせた。
「私が相手になります」
「……はぁ? こいつ頭大丈夫かぁ?」
さっきの閃光と不可思議な現象に驚いていたくせに、それをもう忘れたのか嘲るように男は言う。後ろの二人が息を呑んだのが分かったけれどそれは無視した。
「はい、大丈夫です。たぶん、あなたたちよりは正常だと思います」
「んだとォ!?」
「私を殴りたければ殴ってどうぞ。……あ、言い忘れていましたけど、私の両親って警察の人間なんです。さっき電話しておきました。あと三分もすれば警察が来ますよ」
「――――!? ず、ずらかるぞ!! こいつッ、覚えとけよッ!!」
たったそれだけの言葉に顔を青くした男たちは、一瞬互いに顔を見合わせると古典的な捨て台詞を吐いて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。その背中に、トドメとばかりに笑顔で、
「地面に投げ飛ばされたくなければ、もうこんなことしないでくださいねー。私これでも柔道有段者なんですよー」
振り返った男たちの顔が面白いくらいに引き攣っていた。一段とスピードを上げて走り去る彼らが街の地平線に消えるまで不敵な笑顔を浮かべ続けた私は、最後の一人の影も見えなくなったところでくるっと振り返り――――勢いよく、呆然とこちらを見上げていた二人に抱きついた。
ほとんど衝動的だった。
「あああああぁぁーーー良かった!! ケガない? 叩かれたりしてないよね? 痛いところとかない!?」
「……え、え、あ、」
「ごめんねっ見つけるの遅くなっちゃって!! 怖かったでしょ? 子ども相手に手を出すなんてフェアじゃないよ、男のすることじゃないわ、お兄ちゃんの言ってた通り! やるならお互い勝手にやってちょうだいって話!! はーっ、本当無事でよかったぁぁぁぁ」
「あの、ちょ、苦し、」
「え!? 苦しい!? やっぱりどこかやられたの!? どこ、言ってごらん診てあげるから! ごめんね、本当ごめんね、遅くなっちゃってごめん――――」
「ち、違うよっ、どこもやられてないから! おねいさんの腕、腕が苦しいんだって!」
へ?
はっと我に帰ってみると、私はシュンくんの首を左腕で囲うようにして抱きしめていたため、つまりシュンくんの呼吸が妨げられていたのである。慌てて腕を離してちょっと距離を取った。しまった、つい抱きついてしまった。いくら安心したとはいえ何をしているんだ私は。
けほ、と咳を漏らしたシュンくんがこちらを見る目には、ありありと疑問の色が浮かんでいた。ぱちくりぱちくり、瞬きを繰り返す。その隣でイオリくんも何が何だか分からないみたいな顔をしている。
その顔を見て、じわっと目頭が熱くなった。もしも、という想像が杞憂で終わったことへの安心感で涙腺が緩む。だけれどここで泣いては逆に不安を煽ってしまうだろうと思って、必死にそれを食い止めながら私は二人に笑いかけた。
「ごめんね、気付かなくって。ついこう、感動しちゃってっていうか、安心してっていうか」
「……おねいさん、あのさ、ちょっと聞いても良い?」
「うん、もちろん。なにかな?」
「なんで、ここ、分かったの。おねいさんからの電話もメールも返事してないし、これGPSもついてないのに」
なんで、と言われても。私は自分がしたことを思い出した。シンプル極まりない答えなんだけど、どうしてわざわざ聞くのかしらと思いつつ答える。
「あはは、実は公園とかショッピングモールとか、二人の行きそうなところ全部走って捜したのよ! なかなか見つからないからどうしようかなぁって思ったときに、たまたまイオリくんの声が聞こえたからさ。間に合ってよかったよ、ホントに!」
「……ま、街じゅう走り回ったってこと……? ここ、ショッピングモールから正反対の場所だけど……?」
「あれ? そうなの? ……気付かなかった」
言われて初めて周囲の風景を見れば、確かに向こうのビルが多い賑やかなエリアと反対側に位置する場所だったことをようやく思い出した。倉庫街は確かに、ショッピングモールの反対だ。じゃあ私、街を横断していたんだ、知らない間に。ちょっとびっくりする。通常ではここまで走れないだろうから、火事場の馬鹿力と同じようなものかもしれない。
私の答えを聞いたシュンくんの頬がひくり、と引き攣った。だがその妙なリアクションにこちらが何か言うより早く、シュンくんは更に質問を重ねる。
「おねいさんの親が警察っていうのは……? あと、柔道有段者って」
「え? あぁあれね。確かに私の両親警察だったけど、もういないから、あれはハッタリだね! で、柔道有段者っていうのはホント。……って言ってもまぁ、一番下の段なんだけど……あはは」
有段者って言うと、大体みんな上段者を思い浮かべるものだもの。一番下の段なのに、声高に有段者だと叫んでいる人はそういないはずだ。……だから言いながらちょっと恥ずかしかった。結果、勘違いをしてくれたので良しとするけども。
思い出したら本気で恥ずかしくなってきて両手で頬を挟んで悶えていると、正面でなにやら難しそうな顔をしたシュンくんが再び口を開いた。
「じゃあ、おねいさんはどこ行ったかも分かんないボクたちを捜して、街じゅう走り回ってたっていうの……?」
「うん、そうなるね」
「なんで、そこまで」
なんでって言われても。この子はやたら当たり前のことを聞く子だな、なんて新しい発見をしたのを少し嬉しく思いながら、微笑んで返す。
「そりゃもちろん、シュンくんもイオリくんも、私の家族同然だからだよ! 大事な二人だもん。私は何にもできないけど、私は局長だからね!! 局員の安全を守るのも私のお仕事なの!」
「……っ、!」
「?」
なんでそこで俯いてしまうんだ、シュンくん。私何か言った?
あれ、もしかして私ってばシュンくんに思っている以上に嫌われている!? そんな可能性に思い至って私はひどく狼狽した。嫌いな相手に家族同然とか言われたらショックすぎる。ていうか本気でそんな言葉いらないだろう。あう。ぐさりと悲しみの針が突き刺さった気分で目を伏せる。
しばらくして。
「……ぷっ、く、あっははははははははは!!」
「へぃ!?」
奇声を上げたのも仕方ないと思う。いきなりシュンくんが、これまで聞いたこともないくらいの大声を上げて笑い始めたのだから。
信じられない出来事に直面して硬直した私を尻目、シュンくんは依然として笑い声を上げる。
「なっ、なにそれっはははははははははは!! そんな理由でっ、街じゅう走り回る人初めて見たよっ!! ぶはっ、くふ、馬鹿だ、コハルの言うとおり馬鹿なお人好しだこの人ッははははっ」
「ばっ、ば。馬鹿ってえっ!?」
「っは、はははっ、しかも言ってる内容恥ずかし……っ! ま、真顔であんなこと言う!? 普通言う!? おねいさん、もう少し考えて喋ったほうがいいよっ絶対将来恥ずかしすぎて死ねるからあっははははははははは、おっかし、もうだめっははははは!!」
「ちょ、なによ笑わないでよシュンくん! だ、だってホントのことだし、ああもうなんか恥ずかしくなってきたじゃないホントに!! シュンくんってば!」
それでもシュンくんの笑い声は止まる様子がまるでなくて、私の顔にかあっと熱が集中するのを感じた。い……言われてみれば相当恥ずかしいこと言ってるけども、本心は本心だ。そこまで笑われる筋合いなどない。そんなに笑わなくたって。
むぅっと頬を膨らませていれば、ようやくひとしきり笑い終えたらしいシュンくんは笑いすぎで生じたらしい涙を目に浮かべ、それを指先で拭いながらぽすぽすとイオリくんの頭を優しく叩いた。イオリくんはうつむいてしまっていて顔が見えない。
「今日はこの子がさ、前に話し相手になってくれた木と話がしたいって言い出してさ。どこなのか分からなかったからこの子連れてきたら迷っちゃって」
「……そ、そうなの」
うん? シュンくんの話し方に微かな違和感。この二カ月ずっと、私と話すときにあった緊張感が抜けているような気がしたのだ。堅くない、自然な話し方である。そう、それはたとえば、あの日に電気あやとりだと彼女に答えたような。
そこで、先ほどのシュンくんの笑い方が違うことにも気付いた。心の底からおかしそうな笑顔なのだ。あの、悲しさを無理矢理ねじ伏せた不器用な笑顔じゃなくて、もっと明るい輝くような笑顔。
戸惑った私を置き去りに、シュンくんはぺらぺらと言葉を吐き出す。
「とはいっても、おねいさんからの電話とかメールに返事して捜しに来てもらうのもシャクだって意地張ったらあんなことになっちゃった。……心配かけて、ごめんね」
「……! そんなの!」
急に笑顔から落ち込んだような表情へ変化したシュンくんの言葉に、私は呼吸がつまりそうになった感覚を味わった。違うってば、ごめんねなんて、そんなのどうでもいいのに。
「いいんだよそんなの、子どもは心配かけたとか考えなくていいの! 私のお兄ちゃんだって十四でグレたし、私もしょっちゅうドジして心配されてたし! いやだからって節度は持ってもらわなきゃ困るけど、いやでもね、今回みたいなのはしょうがないから謝ることじゃないんだよ! 街を走り回るくらいの迷惑ならむしろかけて!」
「え、いや、でも」
「いいの!! これからは私、キミたちの家族なんだから! 家族には迷惑かけたっていいのよ!」
自分で言っててなんじゃこりゃと思うような暴論だけれど、そうあってほしいと思う。私には迷惑を思う存分かけてほしい。これまでずっと、我慢してきたのだろうから。
我慢なんかしないでほしいんだ。言いたいこと言ってほしい。わがままだって大歓迎なの。だから、笑っていてほしいんだよ。
言いたい言葉は胸の奥からたくさん出てきたけれど、それ以上を言うことは出来なかった。ふぇ、と湿った声がしたかと思うと、急に眼下にいたイオリくんが顔を覆ったからである。
どこか痛むのかと大慌てでしゃがみこんでみると、イオリくんはぽろぽろと泣いていた。透明な液体が公園の砂に溶けて消える。
「えっ!? なんで泣いてるのイオリくん!? 私なにか言った?」
「……が、う。う、れ、」
「うれ? なにか売るの?」
「ちがうの、う、うれしいの! そっ、そんなこといわれたこと、ないか、らっ……!」
二カ月、まともに口も利いてくれなかったイオリくんは、そんな可愛いことを言って、にっこりとあどけなく笑った。
その泣き笑いの表情が目に焼きつく。鼓動がひとつ高鳴った。ああ、もう、なんてことだろう。うれしいだって、うれしいだって! 目頭が再び熱くなって、今度はそれを堪えることもできずに頬に一筋涙が溢れた。ぎょっとしたのかシュンくんまでもがしゃがみこんで、私とイオリくんの間であわあわ口を開閉させている。
へにゃりと笑顔がこぼれる。うれしいのはこっちだ。笑ってくれた、それだけのことなのにすごく嬉しくて呼吸が止まりそうで死んじゃっても良いやと思うくらい幸せで最高で満たされる。私はイオリくんとシュンくん両方を遠慮なんか忘れて引き寄せて、ぎゅ、と抱きしめた。
「な、なにすんのおねいさ」
「おねいさん、じゃないよ。リンカって呼んで」
二人に埋めるように顔を伏せた私に、シュンくんとイオリくんは顔を見合わせた。直後、くすりと笑い声がしたかと思えば。
耳元で、初めて二人が私の名前を、
「リンカ!!」
呼んでくれて。
気がつけばシュンくんまで目を潤ませながら笑っていて、私たち三人は揃いも揃って泣きながら、幸せな笑い声を上げた。
時刻は夜八時二十七分。
不意に見上げた空はもう夜闇に飲まれていたけれど、倉庫街で本来見えるはずもない星々が、私たちを包んでくれているような気がした。
一瞬炸裂した若草の閃光と、二人の後ろにいた私に打撃が及んだ理由について二人が思い出して、尋ねてくるまであと数秒。




