3 地味な魔法でもできること?
3000アクセス突破いたしました! 本当にありがとうございます、嬉しい限りです!! ユニークもあと90ほどで大台の1000に乗ってしまうんですよ……。どういうことなのと大パニックですが、それだけ多くの人が読んでくれているということが励みにもなっています。本当にありがとうございます。
《藤堂蔦》様、《漣の空》様、ご感想ありがとうございました! なんだか、周囲では啓太先輩とリンカさんの支持率が高めなようです。いえ、周りと言いましてもごく少数なのですが……。他の面子も頑張って、ひとりは「こいつ好きだな」と言ってもらえる人物が描けるよう精進いたします!
またお気に入り登録や評価をしていただいた方々、もしくは一度でもこの作品に目を通してくれた方々、ありがとうございます。
それでは現在編です、どうぞ!!
ナノハナエリアに入ってすぐの、エスカレーターが隣接した広場の一角に置かれたベンチに、私たちは腰掛けていた。
私と美依ちゃんが隣合い、私の横にイオリくんがひっつくという形だ。基本的にイオリくんは私かお兄ちゃんから離れないので必然こういう形になったのである。ササちゃんは話など聞くつもりもないのか買い物へ行ってしまい(結局どんなお店なのか教えてはくれなかった)、諸星くんはキサちゃんに捕まる前にと言ってふらりどこかへ向かってしまったようで姿が見えない。
そのキサちゃんはといえば、私たちの座るベンチのすぐ後ろの壁にもたれながら携帯電話をいじっている。聞くつもりなのか違うのか曖昧な態度だ。そもそもここへは夕飯の買い出しと、キサちゃんの気晴らしで来たのに、これでその目的が果たせているんだか……。
ちゅう、とイオリくんがストローを吸う音が聞こえた。さっきキサちゃんが買ってきてくれたフルーツジュースだ。あまり今日は周囲に怯えていないので、魔法の制御の調子がいいのかもしれない。
「で……えっと、美依ちゃん? って呼んでいいの?」
「そっりゃそうなのですマイエンジェル!! どうぞどうぞお好きにお呼びくださいまし!」
にっこにっこと満面の笑顔を浮かべてはきはき受け答えする美依ちゃんは、さきほどの発言にさりげなく含まれていた『元ヒキコモリ』という経歴を持つようには全然見えなかった。むしろ、変わり者ではあろうけれど社交性は高そうで、コミュニケーション能力は上位な気すらする。
……というか。
「美依ちゃん。そのマイエンジェルって呼び方やめない?」
「え、ヤですよ!? エンジェルはエンジェルですもの!! そのことはちゃあんとしっかりしておきませんとっ!」
「そんなところしっかりしなくていいんだけどなぁ……」
呼び方の前にショッピングモールの出口でうっかり寝入ってしまう無防備なところをしっかりしてほしい。本人が言うにはそれなりの頻度でやらかしてしまうことらしく、本人は誇らしげに「僕はどこででも眠れるのです!!」と言っていたけれど大問題だ。この子は自分が女の子だという自覚があるのかしら。
「あ、それじゃマイエンジェルにあまり時間を取らせても申し訳ないですし、さっそくお話に移らせていただいてもよろしいですかっ!?」
またおせっかいにそんなことを考えたけれど、そこで美依ちゃんが元気いっぱいに話し始めたので「どうぞー」と答え、彼女の話に意識を傾ける事にした。
「僕、警察さんにお話があったんですけど、取りあってもらえなかったんです! かれこれ五回目の訴えになるはずなんですけど、付き合ってらんねーぜこの馬鹿めみたいなカオされて追い出されちゃって……仕方なくここに来て、ふらっと座って寝ちゃったんですよっ!!」
「……ふらっと座って寝ちゃうとか危ないから、気をつけようね……?」
「寝るのはこの場所だからですよー。他の場所じゃ寝たりしません。ここの警備員さんのひとり、実は高校時代の同級生で~! それにここって、なんか落ち着くんです。思い出とかいろいろあるから!」
なにか含みがありそうな言い方をしつつも、ほにゃあっと緊張感無く笑う美依ちゃんである。危機管理能力が著しく低いということはとりあえず分かった。この子、そのうち誘拐されそうだ。しかも誘拐されている自覚も無く。
キサちゃんが彼女に聞こえないようにぼそっと「飴で知らない人についていくタイプ……?」なんて漏らしたのをばっちり聞いてしまい、内心全力で同意して吹き出しそうになったのは秘密。
「うん、じゃあまぁ、その寝ちゃうってのはともかくとして……その、警察に用があったっていうのは? 話せるんだったら話してほしいな」
なんにせよ、警察に訴えに行くような事柄だ。人に話したくない事情ってものもあるだろう。話を聞くとは言ったものの、彼女が実際にそのことについて話してくれるとも限らないわけで、この時間はもしかしたら話の流れ次第では彼女の愚痴大会で終わるやもしれないのだ。
だけれども、彼女は一瞬きょとんとした後、一切のためらいもなく破顔した。
「え、別に話せますよ? ぐわぁぁぁぁぁってなっておおおおおぉぉぉ!? ってなって大混乱パニックタイムが到来するかもですが! 僕人と話すの苦手なんで!」
「あー、うん、そうだね、分かりやすくお願い」
いやだから、とてもそんな風には見えないのだけれども。という心の中のツッコミを知る由もない美依ちゃんは、何かを思い出すように目を細めて口を開いた。
「あれはえっと、先月末くらいのことです。なんか記憶が妙にボヤけててはっきりしないのですけど、僕、ずがががががぁぁぁぁんってカンジの大事件に遭遇した! ……気がするのです!!」
「……」
えっと。えっと。えっと?
リアクションに困る物言いだった。思わず沈黙。
「場所は覚えてるんですよ! でもどんなだったか全然思い出せなくって!? なんか、すごく僕にとって重要なモノを見たような気がするんです! それこそくわああぁっと心に迫ってくるっていうか、どうしようもなくなるっていうか、それを見たときにあぁやめときゃよかったって思ったはずなんですけどっ」
「な、何をやめとけばって?」
「昔ヒキコモったのを、です! そう、だから多分……。……あ、いやでもなんか、眩しかったんですよマイエンジェル」
不自然に空いた間を取りつくろうように、彼女はぴょこんとフロアの天井を仰いだ。その顔がこれまでのハイテンションより本当に少しだけ、翳った気がしたのは私の気のせいだったのだろうか。すぐにまた、考え込むような表情になる。
数分唸った後、彼女は突如顔をほころばせた。
「緑……黄緑? んにゃ、そうじゃないや、ええっと……あ! エセラルドグリーン! そうそう、エセラルドグリーンですですなのでありまする!! すごく綺麗なエセラルドグリーンの光が、こう、ぱぁぁぁぁぁっと!」
「……え、エメラルド、グリー、ンだ……と思うけ、ど」
自信満々にドヤ顔で言葉を見つけた美依ちゃんに、イオリくんの悪気なき容赦ゼロのツッコミが入った。ぶっとたまらず吹き出すキサちゃん。
エセラルドグリーン。偽物の翡翠色とな。
何とも言えない表情になっていたであろう私を見て、美依ちゃんがはっとした顔になり、
「な、なんだとぅっ!? そ、そんな馬鹿な!? しまった、僕もうダメかもしれない……死亡フラグしか立ってない……」
「言い間違えたくらいで!? み、美依ちゃん、気をしっかり持って! それくらいで死んじゃってたら世界は滅んでしまってるよ!!」
「ダメです、僕はもうきゃああああああああああの疾風怒濤的大展開によって地獄に堕ち、蜘蛛の糸もつかめなくなることが確定しましたのです……」
「時折入る謎の擬音にすっごくツッコミ入れたいんだけど……」
どうもキサちゃんも同じことを思っていたのか、珍しく呆れたような笑顔を浮かべて美依ちゃんを見やった。美依ちゃんはいちいち大袈裟な表現をする癖があるようだ。虚言癖と捉えられやしないか、少しひやひやする喋り方である。
ひとり頭を抱えてうーぎゃー言い出した美依ちゃんをそんな風に眺めながら、私は美依ちゃんの言葉にすごく心当たりがあって眉根を寄せた。先月末の大きな事件。エセラルドグリーン、改めエメラルドグリーンの光が眩しかった。……いやぁ、まさか。
ここに来る前に諸星くんが持って来た、記憶に関する話を思い出す。トキヒロくんのミスではない、私もササちゃんもそう断言した。けれども、この子、もしかして……。
思い浮かんだ可能性が、考えられる上でもかなりマズイ方向性であったことに気付き、その不安の芽を潰すような意味合いで私は彼女に尋ねた。
「……ねぇ、美依ちゃん。それ、場所、どこだった?」
「え? あ、場所ですか?」
私の後ろに立つキサちゃんが強硬手段に出たあの場所。そこで炸裂した、19号局局長〈突風〉の魔法。彼の魔法の持つ色は、翡翠、言いかえれば『エメラルドグリーン』。
もし違う場所であったなら、それはトキヒロくんのミスではないのだから問題ない。でももしもあの場所だったなら、それはトキヒロくんのミス。それも記憶隠蔽のミスだなんて相当にまずい事態だ。魔法使いは秘匿のもとに生きる組織、それが一般人の目に残ってしまったとなれば審問会はまず間違いない重罪クラスなわけで。
半ば祈るような気持ちで尋ねた私に、美依ちゃんは屈託ない笑みで、
「はい、東興星観タワーです!!」
―――――ああ、なんてこと。
思わず漏らしたはずのその言葉は、何故かまったく違うものに置き換えられていた。
「え、あのタワーでそんな事件なんてあったかしら?」
紛れもない私の声で、そんな言葉が紡がれる。自分の耳に届いたそれに私はかっと目を見開いて、戸惑いのまま美依ちゃんを見た。だが彼女は特にこちらに違和感も覚えていないのか、
「同じことを警察でも言われたんですよっマイエンジェル! 先月末どころか、あのタワーで事件なんか起きたことはない、夢でも見たんじゃないかって!! もう少しちゃんと考えてくれたっていいと思いませんッ!?」
そんなことを言う。それに更に、私の声が返った。
「うーん、でも覚えはないわ……私、いつも新聞読んでるんだけど、おかしいなぁ」
(ちょ、ちょっと待ってよ、私そんなこと言ってないのに!?)
私の喉からは絶対に声が出ていない、それは間違いない。自分の両手で喉を押さえてみたのに言葉はまるで止まらないからだ。そもそも私は、書類とどこか似通った文字の細かさがある新聞が苦手で全然読まない。新聞を読むのは主にササちゃんとかシュンくんとかで、私はもっぱらテレビ派なのだ。
私の声で誰かが話している。そのことに気付いて、動揺のまま周囲を見渡す。ふと、私の後ろにいたキサちゃんが視界に入った。
ちら、とキサちゃんがこちらに目を向けた。それからそっと、ぎこちない笑顔。それがいつもの完璧な笑顔ではないと気付いたところで、私は彼女の両目に本当に薄く、二重円の図形が輝くのを見た。そして、刹那散る橙の光。
(……キサちゃんの魔法? なんで……、っあ!!)
それだけのヒントをもらえば簡単なこと。キサちゃんは、『私に私の幻を被せた』のだ。
彼女の魔法が大活躍だったドール事件の印象が強すぎて失念していたけれど、彼女の魔法は彼女以外も対象になる。多分、私が美依ちゃんに訊いたことの意味を理解したキサちゃんが、諦めの表情を浮かべかけた私をフォローするために幻を被せ、しかも『喋らせる』という芸当までしてみせたのだ。
美依ちゃんは一般人。おぼろげにとはいえドール事件のことを覚えている。私が迂闊なことを言えば、あの場で魔法を使っていたキサちゃんはともかく私やイオリくん、更に見せ場をかっさらった諸星くんや銃弾を焼くという離れ業を披露しているササちゃんの正体を思い出す可能性があるのだ。それは、とっても困る。
短時間できちんとそのことを理解して、その上フォローに回ってくれたキサちゃんの適応力に思わず感嘆した。正直、かつて魔法同盟へ来たばかりだった私ではとても無理だったろう。この子はもしかしたら、いつもの愚鈍そうな行いに反してとても鋭い子なのかもしれない。そんなことを思う。
私はひとつ深呼吸をした。幻を被せた上に勝手に喋らせると言うのは、予想以上にしんどい芸当であるらしい。徐々に目を細めるキサちゃんに、これ以上負担をかけるわけにはいかない。そう思って、私はキサちゃんに「もう大丈夫」と伝えようとした。
が、そこで。
それまでつらつらと警察に対する愚痴を並べたてていた美依ちゃんが、突然予兆無くぴょこんっとツインテールを跳ねさせてキサちゃんを振り返った。一瞬顔を強張らせたキサちゃんに、美依ちゃんはしげしげと訝しげな視線を向ける。
「……え、と、どうしたの?」
私にかけていた魔法をひゅんっと解いて、すぐさまいつもの笑顔を見せるキサちゃん。それは私にもイオリくんにも、ましてや何も知らない美依ちゃんが分かるはずもないほど一瞬のこと。魔法を行使した証である二重円も橙の光も全然見えなかったから、多分それごと上掛けしたのだと思う。
だけれど、美依ちゃんは少しためらった後に、キサちゃんの目をしっかりと見て。
「いま……なにかした?」
場の空気が凍る音がしたような気がする。
ショッピングモールのそこかしこから聞こえていた喧騒が一気に遠のいた。身を竦ませる私とイオリくんとは対照的に、キサちゃんは更に笑みを深める。
「何の話? いや、私携帯してただけだけど……?」
「うみゅ……気のせいかなぁ。なんか、《また》ヘンなカンジがしたから……、う、あれ? なんか見える……?」
急なことだった。キサちゃんからは一向に視線を逸らさず、美依ちゃんは彼女を見ながらそう呟いた。私とイオリくんからは、その彼女の表情が見えない。キサちゃんはいつもと変わらないように見えるが、多分それはポーカーフェイスで、今彼女はかなり焦っているはずだ。
じぃ、と、美依ちゃんはキサちゃんから視線を移さない。私が美依ちゃんに「どうしたの?」と平静を装って声をかけても、彼女は私の声など耳に届いていないと言うように無視を決め込んだ。異様な様子で状況がおかしな方向に転がったことを再認識したらしいイオリくんも、「おねえさん……?」と微かながら事態を変えるべく声を出す。だが、それにも美依ちゃんは反応しない。
キサちゃんは空気に呑まれて目を逸らすこともできないようだった。ヤバい、これは非常にヤバい。トキヒロくんはバイトで夜六時まで帰ってこないし、そのあとに依頼も入っているのだ、記憶の隠蔽は随分後回しになってしまう。彼女をこのままにしておくわけにはいかないのだが、となれば彼女をどうするかの選択肢は絞られてくる。
そのどれもが、非常に物騒なものばかりだった。できればやりたくないけれど、局長としてはやるべきことで。
思考が私の中の局長というスイッチを押した。人としての倫理観と局長としての責任とがせめぐ。どうしよう、どうすべきか、天秤が滅茶苦茶に上がったり下がったり。今できる選択肢を考えて捨てて、出てきた最善策は、
「……ふぃ、」
美依ちゃんが、そう間抜けな声を上げて私の思考は中断された。正確にはその続きを聞いて。
「〈虚構(フィクション)〉……?」
「――――っ!?」
キサちゃんの魔法が一気に解けて、彼女の警戒心に満ちた驚愕の表情が露わとなった。私はといえば予想の遥か斜め上を行く言葉に慌てて目を見開く。虚構、それはまさしくキサちゃんの魔法の名前だ。だがなぜそれを、この彼女が知っている? 美依ちゃんは一般人のはずなのに、どうして?
気がつくと美依ちゃんのポンチョの裾を握って、私は懸命に問うていた。
「な、なんで美依ちゃんがそのことを知ってるの!? それを知ってるのは一部だけのはずなのに!!」
「へ? え? え、僕なんかマズイこと言いました……? 見えたことをそのまま言っただけなんですけど……」
「見えたってなに!? 美依ちゃん、どういうことかな、説明し、」
上げた視線が彼女の目を捉えて、そこで私の言葉が唐突に途切れた。
「し、知りませんよ僕だって! 事件があったって思い出したのつい一昨日のことですけど、な、なんかそれからヘンな感覚がするなぁっと思ってて、そしたら今きらぁぁぁぁんっていきなり文字が見えただけなんですからぁ!」
彼女の瞳は確かに、日本人特有の黒瞳だった。だが今は、そこから通常では決して有り得ない、だが私たちにとっては親しみ深い種類の光が淡く発せられている。
その光の色は紫色。
そして、瞳の上でくるくると、まるで小動物のように忙しなく回る読めない文字列と、二つに重なり合って左右の一部が欠けた円。
――――《精神系》魔法使い特有の図形が、どくんと脈打った。
『それは、多分〈警鐘(アラート)〉だと思うわ』
そう電話口で答えたのは、リボンを凶器とする上司のひとり、璃名コハルであった。
買い出しをふらりと出てしまっていた諸星くんに頼み込んで、ササちゃんを呼び戻して大慌てで支部局へ帰ってきた私は言い方は悪いが美依ちゃんを監視すべく、キサちゃんとササちゃんとイオリくんとをリビングに残し、ひとり自室で電話を掛けていた。
なぜ監視する必要があるかといえば、予期せぬ事態ではあったが、美依ちゃん――――染井美依と名乗った彼女が、魔法使いであったからだ。
どうやら本人には一切自覚がないようだが、彼女は《悪夢の七日間》と呼ばれる魔法制御不能期間に突入したての、いわば魔法使い・ひよっこだったのだ。妙な感覚、と称したそれが始まったのは二日前とのことなので、あと五日、彼女は魔法を制御できないのである。
その魔法は目の図形から判断するに《精神系》。本来は人に害を為さない、自己完結の魔法だ。だが精神系でありながら他者への影響を及ぼせるキサという存在を知る今となっては、精神系であろうとも気は抜けない。彼女の魔法がどんなものか分かるまで、安心はできないのである。
というわけで。
何が起きても大丈夫なように、監視ということでキサちゃんたちをリビングに置いてきたのだった。
「〈警鐘〉?」
コハルさんの言葉を反芻して聞き返した。アラート。警鐘、警報。
『多分ね。話だけ聞くとそうなるわ。そうだとするなら、別に危なくないから問題ないわ』
きっぱり言い切った彼女の言葉に安堵のため息をついた。系統こそ違うが、私はこの支部局に新メンバーを迎えるたびに彼ら彼女らの魔法の危険さに悩まされてきたのである。それがどんなものだったのかは省くにせよ、危険ではないというその言葉には大いに助けられた。
コハルさんの声が電話口から更に響く。
『もっかい確認するけど……きぃちゃんやさーちゃんが魔法を使うと、それに反応する。魔法行使者の目を見たら、その魔法の名前が脳裏に《見えて》、効果も分かる……オーケイ?』
「はい、オーケイです。その通りです。光の色は紫ですね」
『……うん、多分そうね。資料にもそうあるし。はー、新人サンじゃない。最近豊作ねぇー、なんてこんな言い方するのは気が引けるけどさ』
そんなことを言って、コハルさんはふぅ、とため息をついた。
かつて初めて会ったそのときよりも刺々しさがなく、随分見た目には丸くなったものだ。サトリさんもカギナさんもそうだが、三人とも、初対面の物々しい空気が徐々に薄れているのだ。だが、見た目が丸くなったから中身もそうかと言えばそういうわけではない。
ただ、必要最低限以上の殺気を振りまくことは失敗だと、三人の上司が学んだ結果である。実力はかつてよりもっとずっと鋭く尖っているはずで、それは未だ魔法同盟のトップを譲っていない現状からも簡単に分かることなのだ。
「で、〈警鐘〉っていうのはどういう魔法なんですか?」
『読んで字のごとく、……ってこれ全部一緒か。要は、周りで魔法を使ったという痕跡が分かるってこと。誰かの魔法に気付ける、《魔法を見破れる魔法》ね』
「魔法を見破れる魔法……ああ、そういうことですか!」
私は納得の声を上げた。そう言われれば合点がいくというものだ。
キサちゃんが私に幻を被せたそのとき、美依ちゃんは反応した。あれは魔法が制御できていなかったからこその反応で、本来誰も気付けないようなその切り替えに、彼女は気付くことができるのだ。だがその《魔法を見破る》という感覚が確立できていなかったから、妙な感覚と言うことしかできなかった。そもそも魔法の存在さえ知らなかったのだ、無警戒に口にしてしまうのもしょうがない。
魔法を見破る魔法。これまた面倒なものが現われたものだ。
『魔法の範囲は分かんないから試してみるしかないけど、まぁ悪くはない魔法だわ。探査魔法に引っ掛かんなかったのは、魔法を使ったことをなんとなく感じ取る程度の行使しかしていなかったから。魔法の種類を見破るそのときが、〈警鐘〉の本発動だと思っていいでしょ』
「なるほど……」
ドール事件のことを少し思い出したその日に魔法を獲得したということは、多分、ドール事件そのものが彼女の魔法習得の引き金を引いたということなのだろう。そう思うと少し申し訳ない気持ちになった。魔法使いのほとんどは、その魔法の特殊さゆえに危ない環境に身を置くこととなる。何も知らないままでいられるならそうあるべきなのだ。だけれども、魔法使いであると分かった美依ちゃんを放り出すことは魔法の守秘義務に反するし、そもそも魔法を得た彼女がいつも通りの生活を送れるとは限らない。
その瞳に宿った図形や光が、時には心を深々と抉るナイフのきっかけになり得るのだ。
そうなって、居場所を失った子を、私は何人も知っている。
『とりあえず、その〈警鐘〉については近いうちに……そうね、多分サトリが行くと思うわ。だから要らない紙屑たくさん用意しておいてよ? じゃなきゃテストにならないわ』
「は、はい、了解です」
『その子の待遇はそれから。他支部に行くかもしれないし、そこにそのままいるかもしれない。どちらにせよ、それまではアンタの責任なんだから、ちゃんと新人の面倒を見なさいよね』
「了解してます!」
それじゃ。そっけない言葉と一緒に、通話が一方的に切られた。
サトリさんが来るまでは、通常通りなら一週間後だろう。その間に彼女の《悪夢の七日間》、魔法制御不能期間は終わる。となれば、サトリさんのテストのとき確実に使えるよう、ある程度の練習をしてもらわなければなるまい。
その計画の算段を立て始めてから気付く。
まだ、美依ちゃんに何の事情も説明していなかったことを。
リビングに戻った私は、ソファで居心地悪そうに背中を丸めるキサちゃんと、買ったばかりのハーフフィンガーグローブを検分するササちゃんに挟まれて困り顔をする美依ちゃんという光景にくすりと笑い声を漏らした。イオリくんはまた物と人に酔ってしまったらしく、部屋に戻ったようだ。
それに気付いたキサちゃんが、
「……なぁに笑ってるんですかリンカさん」
「え? あ、うん、ちょっとね。なんだか不思議な光景に見えちゃって。キサちゃんがそんなむくれたような顔してるの、初めて見たなぁと」
「! ちっ、違うんですってば! この子私が使うたびに『妙な感覚が』って言って、使ってるのバレちゃうんですもん!!」
だから居心地悪くもなりますよ、とはっきり言葉にしないあたり、キサちゃんは優しいのだろう。ふいと視線を逸らして携帯電話をいじり始めてしまう。それに事情の分からない美依ちゃんが更に困惑の色を深めた。
私はそんな美依ちゃんの正面のソファに座って、穏やかに微笑んだ。
「ごめんね、美依ちゃん、いきなりここに連れてきちゃって。ちょっとあなたのことで話があるの」
「僕のこと……? マイエンジェル、どういうことでしょう? 僕はいたってフツーの、元ヒキコモリ二十一歳なのですが」
「……うん?」
今なんか年齢詐称が聞こえた気がする。思わず問い返した。
ぽかんとした顔になった私に、美依ちゃんは首を傾げて、
「え、なんです?」
「美依ちゃん、あなた今なんて?」
「僕はいたってフツーの、元ヒキコモリスーパー美少女二十一歳と言いました」
「年齢詐称と台詞詐称はやめようね」
「ごめんなさい美少女は言い過ぎましたですです!! いやでも年齢詐称はしてないですよマイエンジェルっ!?」
何を言うのか、とササちゃんも訝しみの目を向けた。二十一歳。それは二十歳という、たばこと酒の解禁される成人を一年超えた年齢である。この支部の最高年齢は十九歳、私の兄だ。その更にふたつ年上だと彼女は言うのだろうか。
まじまじと彼女の顔を見つめた。卵型の顔の輪郭にぱっちりした瞳、顔立ちは実に幼い童顔だ。身長は百六十前半くらいだろうけれど、ぱっと見高校生くらいに見える。しかも髪型がツインテールなせいでより子どもっぽい印象を与えた。
上から下まで失礼を承知で眺めて、私はもう一度穏やかに微笑んだ。
「うん、美依ちゃん。算数をやり直そう。今からなら間に合わないけど年くらい数えられなきゃ困るよ?」
「今僕が絶賛困ってます!? しかも間に合わないとか絶望的なことをさらっと! いやそもそもちゃんと年くらい数えられるわ! えええええええなんで信じてくれないのマイエンジェル! 女神! おお、僕は神に見放されたのか!?」
「あ、そっか、美依ちゃんまだ寝ぼけてるんだね。しっかりして美依ちゃん。あなたは二十一歳じゃないよ、まず間違っても有り得ないよ」
「まず間違ってないし有り得ているのです!? ほら見てくださいマイエンジェルっ、僕の学生証! 百茎大学教育学部、三回生、染井美依、二十一歳!! ちゃんと書いてあるじゃないですかっ!!」
ポンチョの中からおもむろに取り出した学生証をテーブルに叩きつけるように置いた美依ちゃんは、憤慨したように鼻息を荒くしてみせた。私とササちゃん、それにいつの間にかキサちゃんまで混ざって、学生証を眺める。
そこには確かに『二十一歳』との表記があって、私たちは揃って顔を見合わせた。そして同時に美依ちゃんを見やる。また学生証に目を戻す。
何度かそれを繰り返した後、私たちは知らず知らずに同じタイミングで声を上げていた。
「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「嘘じゃないですけどっ!? うう、ひどいのですマイエンジェル……女神だと思ったのに……!! はっ、それとも私の信心が足りないだけなのですか!? おお、神よ!」
真剣な顔で何もない天井に手を合わせて拝み出した美依ちゃんは、どうあれ年上には見えなかった。というか常識人にも見えなかった。年下の変人にしか見えない。……だが、事実としてこの学生証が偽造でもない限りは彼女は二十一歳なのだ。純粋に年上なのだ、私よりもみっつも。
見えない。全然見えない。
魔法に関する説明をするはずだったのに、いきなり判明したあまりに衝撃的な事実に、私たち三人が揃って言葉を失ったところで、突然家のチャイムが鳴り響いた。
ぴんぽーん。今朝も聞いたその軽快な音に、私は我に帰った。
ソファを降りてインターホンの受話器に歩いて画面を確認すると、そこはかとなく不機嫌そうな仏頂面の諸星くんが立っていて、画面越しに私を睨みつけていた。ああそうだった、キサちゃんがかなり無理を言って買い出しを彼に頼んだのだ。そりゃあ不機嫌にもなるよねぇ、と苦笑いしながら受話器を取る。
「ごめんね諸星くん、買い出しなんかさせちゃって! こっちがちょっと緊急事態起きちゃって……ありがと、助かったよ!」
む。声とも唸り声とも似つかないそれを上げた諸星くんである。
玄関のドアを開けると、彼は両手に大きめのビニール袋をぶら下げていた。今日の買い出しは結構な量だったせいだろう、中々重そうだ。ビニールから突き出たネギの香りが少し鼻腔をくすぐった。
「……買ってきたぞ」
「うん、ありがとう! ちゃんとお金払うからちょっと待ってね、あ、片方持つよ!」
「いい。こんくらい重くもなんともねーよ、馬鹿にすんな」
伸ばした手をひょいと避けるように、諸星くんは素早く靴を脱いで私の横をすり抜けた。そのまますたすたと台所へ向かってしまう。買ってきた食材を冷蔵庫に入れるべく台所へ入ろうとすれば、諸星くんはこちらを振り返りもせずに「適当に入れるぞ」なんて言うので、思わず頷いてしまった。そのぶっきらぼうさに少し寂しいものは感じたけれど、女の子に荷物を持たせまいとする気遣いの結果だと考える事にして、私はリビングに戻る。
時刻は午後五時。既にこの季節は空が暗い色になり始める時間で、そろそろ夕飯の仕込みも始めなくてはならないが、それより今は美依ちゃんへの事情説明が優先事項だ。
再びソファに座り直せば、ササちゃんもキサちゃんも既に自分を取り戻したようだった。キサちゃんはひょいとソファから立ち上がって台所の入り口から顔を出し、いつものテンションで声を掛け始める。
「おっ疲れさまです啓太先輩!! もー、ひどいじゃないですか、気晴らしのために先輩を連れてったのにすぐどっか行っちゃうなんて、どこ行ってたんですかぁ!? キサちゃんもう暇で暇で暇で仕方なくて、仕方ないから先輩の名前をエゴサーチしてたんですよ!?」
「意味わかんねぇよ! オレでエゴサーチなんかしたって何にも出てこないだろうが! てめぇ暇人になると意味不明なことやりだす癖やめろよ、もう少し有意義に時間を使え!」
「有意義に……? それはつまりいかにして先輩をいじり抜くか研究しろと、そういう意味ですねっ!? 分かりました分かりました、この期橋紀沙、稀代の詐欺師の異名にかけまして啓太先輩を騙しまくる算段を立てて見せましょうぞ!! ふふふふふ、お楽しみに!」
「んなもん立てんなぁっ!!」
仲いいなぁ。本日何度目かになる言葉を心の中で呟いた。
今日一日見ていて思ったけれど、諸星くんの私たちに対する対応と、キサちゃんに対する対応とは結構違うところが多い。一例をあげるならば、私たち相手に話すときは平坦で冷めた声音であることがほとんどだけれども、キサちゃんと話すそのときはもっと感情的で起伏に富んでいる、みたいなことだ。それは一年間の彼らの付き合いが生み出した差なのか、まだあるかもしれないこちらへの警戒心ゆえなのかは分からない。
ただ、ちょっとだけキサちゃんが羨ましいなぁ、とも思うのだ。
ずっと一緒にいたのに、兄の頑なな心をほぐせないまま生き別れ、気がつけば時間が全部押し流してしまって何もできなかった私にとって、どうあれ不器用な人間の心をほぐせる彼女に少しだけ羨望を覚えた。そんなことを言っても仕方ないのはわかっている。でも、誰よりお人好しだのおせっかいだの言われる癖に、一番身近にいた兄をどうにもできなかった自分の無力は悔いても悔い切れない。
私がもっとしっかりしていれば、兄はあんな悪夢にさいなまれることもなかったんじゃないかって、そう思ってしまって。
「……リンカ、どうしたの」
ササちゃんの少し心配そうな声に、私は知らない内にキサちゃんたちへ向けていた視線を前に戻した。ダメダメ、今はそんなの考えてる場合じゃない。私は自分の仕事をしなくちゃ。
「ごめん、何でもないよ。それじゃ美依ちゃん、ちょっと大切なお話をするから、心して聞いてね。……あなたの一生を左右するお話だから」
二十一歳。
それは彼女のタイムリミットまでの時間が、残り四年しかないことを示す数字でもあった。
その頃、同時刻。
本日の依頼は街の廃工場を根城とする非行集団を《黙らせること》。要は全員を薙ぎ倒して、警察に身柄を引き渡すということだ。非行集団は暴力、恐喝、詐欺や窃盗、数々の犯罪を行ってきていて、組織があまりに大きくなりすぎて警察だけでは人手が足りないという。最近の世の中は物騒なもので、警察は非行組織の検挙に人員を割く余裕などないそうだ。
そう聞いたのは確か、昨日の夜。
「……っと、うぜェな!」
吐き捨てるように呟いて、彼の側頭部を狙った蹴りを身体を後ろに逸らすことで避ける。
かと思えば次はがら空きになりかけた胴体めがけてボディブローが飛んできて、彼はまた舌打ちを漏らしそれを払う。その勢いのまま前に跳んで攻撃を仕掛けてきたうちの一人の腹に重く強烈なパンチを一発、続いて流れるようにその隣の男に足掛け払いを放った。
乱立する建物によって光の遮られた路地裏。総勢七名、全員何らかの理由で道を踏み外したのか、犯罪者じみた匂いを振りまく男たちに彼は囲まれていた。それでもなお、彼は鬱陶しそうに眉をひそめるのみで危機感は見受けられない。
まぁ、傍から見れば、異様に悪い目つきに目の下の濃い隈、ぶら下げた貴金属とガタイのよい体つき、加えて派手な服装である彼も十分彼らと近しい。もしこれで彼が傷だらけであったなら、仲間割れや族抜けの制裁のように見えるかもしれない。だが彼は持ち前の身体能力で、周りの七人のあらゆる攻撃を潜りぬけて無傷のままだった。
戦闘開始から既に五分。彼はかすり傷ひとつ負っていない。
いや、そもそも彼は絶対に傷を負うわけにはいかないのだ。ここを根城とする不良集団の撃退が依頼であることとか、午後六時になれば合流するはずのバイト帰りの同僚を待たなかったから、怪我をすればこっぴどく叱られるだろうとか、そういうわけではなく。
彼は、もう自身に残された唯一の血縁者である妹を守るために怪我をするわけにはいかないのである。
今朝家を出るときに、彼の身の安全を案じたのかひっついてきた小学生。そいつを何とかなだめようと言葉を探したそのとき、どさくさまぎれに彼の頭に妹の手が乗ったのを覚えていない彼ではない。撫でもせず掻き回しもしない華奢な細い手だったけれど、その《頭に手を置く》というそれだけの動作が、彼の妹に限っては《だけ》ではないことを彼はよく知っている。
その動作が、彼女の魔法の開始合図であることを、彼はよく知っている。
ゆえに、怪我をすることは許されなかった。妹はきっと魔法をかけたことに気付かれていないと思っているだろうけれど、そんなに上手いこと騙されてやるほど甘くない。
だから。妹の笑顔を思い出して、彼の口角は自然に上がった。彼の笑顔を見た人間はかなり少ないが、その中では比較的目撃者が多いであろう種類の笑顔。
獲物を前にした、狩人の凶暴な笑顔を彼は浮かべた。妹の穏やかなそれとはまるで正反対。優雅さとは程遠い野蛮な微笑みに、一歩周りの七人が後じさる。
だが、彼の闘争心は既に呼び起こされていた。今更逃げようとなんだろうと手遅れだ。彼ら七人はただの下っ端でしかなく、奥にはもっと大人数が隠れていることは分かっているが、敵前逃亡など彼の過去が許さない。彼の矜持が許さない。彼のプライドが許さない。
「……来いよ。ブッ潰してやる」
昨夜の徹夜による眠気も跡形も無く吹っ飛んで、そのときだけは、まるで嵐のごとく荒れ狂ったかつてのように、彼は血を滾らせるのだ。
「……それすっごく地味な魔法じゃないですかマイエンジェルっ!?」
魔法について一通りの説明を終えたところでの美依ちゃんの感想は、信じられないという意思表示でもなければすごいねという肯定でもなく、そんな心底残念そうなものだった。
またしても予想外の反応に驚きつつも、私はわたわた両手を振り回しながら、
「あー、いやでもほら、とっても使い勝手はいいよ? 最近何かと組織の中でも物騒だから、魔法の性質が分かるっていうのは便利って言うか、重宝されると思うなぁ」
「でも地味じゃないですか! 魔法って言えばどぉぉぉぉんってカンジじゃないんですかっ!? 爆発したり水が降り注いだりずっぎゃあああああんって地震が起きたりするんじゃないですか!?」
「……そういう派手なのもあるけど、基本的に、魔法は地味」
「そういうササちゃんのは派手な部類の魔法だけどねー……《攻撃系》と《防御系》、後は《単独系》とかは派手なの多いんだけどさ、美依ちゃんのは《精神系》だから、……地味と言ってしまえば地味かも?」
「あう……そんなぁ……」
魔法を得る理由についてはまだ説明していなかったからだろう、彼女は自分の魔法の性質に不満がある様子だった。爆発したり水が降り注いだり地震が起きるような魔法の持ち主は、それだけ壮絶な体験をしているということ、つまりより精神的に死にかけているということだから、魔法を得る理由を知っているならばこんな言葉は絶対に出てこない。ササちゃんは複雑そうに目を細めた。
私はがっくり肩を落とした彼女に訊いてみた。
「そういう派手な魔法の方が良かった?」
「……いえ、そういうわけじゃないんですけど……要は、役にさえ立つなら。僕にとって有益なら、別になんだっていいんです! 地味でも使えるならいいですよっ!!」
「そ、そう?」
「ただし地味だと使い道が分かりづらいってのはありますよねマイエンジェル! どこで使おうかなって困りますよ。魔法に気付けるって言ったって、それこそすっごい限られた場面でしか使えないじゃないですか。……そんな組織さんに入っても、僕に何ができるかなぁとは思いますけどねっ!!」
その気持ちは、多分キサちゃんやササちゃんには分からないだろうけど、私にはよく覚えのあるものだった。かつての私がそうだ。どうやってこの使えない魔法を使ってやろうか、そればかりに時間を潰した日々が確かにあった。その使い方を形として確立する手掛かりは、まず間違いなく三年前の初夏の夕暮れであろう。あの日あそこで、私は初めてちゃんと魔法を使えたのだ。
使えない魔法をどう使うか。その方法は誰がどう言ったって、魔法はその人だけのものなのだから、その人本人が見つけるしかないのだ。
だけれど、使い道がわからなくて、何もできないと落ち込んで無駄にマイナス思考に陥ることはきっとたくさんあるだろう。それは俗にぱっとしないと言われてしまう魔法を得た私たちの悩みで、試行錯誤するべき試練には付き物のことだ。
それを少しだけ軽減する方法を幸い私は知っていたから、美依ちゃんに向かって笑いかけた。
「大丈夫、私も実は美依ちゃんと一緒だから。私のってすっごく使えない魔法なんだよ」
「え、そうなんですか!? マイエンジェル、局長さんなのに!? うわああああなんかすっごい親近感湧いてきたぁッ! やっぱりこの人は女神だったぁ!! で、どんなのなんですか!?」
同じ悩みを持つ仲間がいるというのは、心の負担を軽減してくれる方法のひとつなのだ。かつての私が、そんな人がいてくれればと願ったことがある。だからこそ、私は彼女にとってそんな人になれればな、なんて思いながら口を開いた。
「うん。私のは、〈庇護(ガーディアン)〉」
キサちゃんが携帯端末から目を離した。何だかんだで、彼女は私の魔法の名前しか知らないのだ。今の私の台詞に続きがあることを察したのか聞く気満々だ。対してササちゃんは、いいのかと言いたげに私を見た。この際だからいいよ、という意味で頭を縦に振って、私はある種の誇らしさすら抱いて言葉を続けた。
「〈庇護(ガーディアン)〉は、《頭に手を置いた人物が一日に受けるあらゆる物理ダメージを私に跳ね返らせる》っていう魔法なんだ」
「……跳ね、返す?」
「そう。簡単に言えば、美依ちゃんに魔法をかけた日に美依ちゃんが肩を脱臼したら、《美依ちゃんは一切痛みを感じない代わりに私がその痛みを経験する》ってことかな」
究極の自己犠牲魔法、と誰かに言われたことがあった気がする。
そんな風に言われるような大層な魔法ではない。魔法をかけた対象にも私にも、怪我の後は微塵も残らない。けれども対象者の受けるはずだった痛みを私が引き受けるということは、対象は自分のしている無茶に気付きにくくなってしまうので結果的にはもっと大きい怪我をしてくる。そしてあまり大きい怪我をしてくれば、脆弱な私ではダメージを負い切れない可能性があるのだ。
もっと極論を述べるなら、対象者が死ぬほどのダメージはすべて私に与えられて、対象者が死ぬのではなく術者の私が死んでしまう。
使いどころを誤り、もしくは使い過ぎれば術者の私も対象も危険な状況に追い込まれてしまう。いいところなんてあまりに少ない馬鹿みたいな魔法だ。
「……だから、庇うって書くんですね、リンカさん。ガーディアンというなら守るじゃないかと思ってたんです。なるほど、そんな魔法……悪趣味ですねぇ」
「ね。でもまぁ、お陰様でお兄ちゃんとかトキヒロくんとか優しいから、私に怪我させたくないって言って無茶はしないようになったんだ。たまに魔法をかけること自体から逃げられるけど、今日はお兄ちゃんにもトキヒロくんにもかけられたから大成功! かな~」
のほほん、と今朝の情景を思い出して頬を緩めれば、美依ちゃんがやや表情を硬くして、
「え、で……でもそれってハイリスク、ローリターンすぎません? マイエンジェルが損をする可能性の方が、圧倒的に高いじゃないですか!」
「あら、いいのよ。それが私が見つけた使い方だから! でも美依ちゃんのはそんな危ないのじゃないから、きっともっと有意義な使い方が見つかるは、」
ず。そう言いかけた私の言葉は、突然右腕に熱さを伴って感じた痛みによって遮られた。
反射的に時計を見上げる。現在時刻、午後六時二分。トキヒロくんはバイトから出てすぐのはずで、画材の買い物に赴いたアキちゃんや本部の仕事に向かったシュンくんにはそもそも魔法をかけていない。
時間、状況的に、この右腕の痛みを受けるはずだったのは――――、
「……お兄ちゃん?」
いつも怪我など絶対にしてこない兄の負傷を察知して、私は嫌な予感が突き動かすままソファを立つ。
こんなときばかり有益になる魔法に、感謝しているのか恨みがましく思っているのかは判然としなかった。




