ヒガンバナ
【人物】
イザヤ・ニルセン:ロマの魔術師。笛吹きを副業にしている。
キリアス・ロア:貴族の次男坊。騎士を志望して家出中。
※僅かに女装ネタあり
買い出しの帰りに通った川べりが一面燃えるように赤く染まっていて、近づいて見るとそれは同じ花の群れだと知れた。真っ直ぐな茎から細く巻いた花弁が咲いている。茎の間を覗いても葉は見当たらず、混じり気のない赤色が鮮烈だった。毒々しいほどに鮮やかな生命の色にキリアスは無性に惹かれるものを感じ、中でも一際赤い一輪を手折った。
「気になる女でもできたか」
花を手に夕食の買い出しから戻ったキリアスを見て、友人はからかいを含めた問いを投げた。どこかの娘から譲り受けた卓上鏡(端の方にヒビが入って欠けている)を前に髪を梳いている。
癖のない真っ直ぐな濃灰の髪を横に垂らして櫛を入れる姿は一枚絵のように様になっている。見慣れた光景でありながら、未だにうっかり見惚れそうになるのは今の彼の恰好が女性的だからというだけでなく、こういう細かな所作があまりに自然だからだ。
膝下で絞ったパンツの上から長く幅広の布を巻いてスカートのように見せ、成人に近くなってきた骨格をストールと大ぶりのブレスレッドで華奢に見せている。実際同年代の少年の内でイザヤは特に小柄な部類なので、いつもは括っている髪を解いて緩く巻き、サイドを多めに残して結い上げれば旅の女楽士の出来上がりだ。薄く化粧も刷いて、あとは喋りさえしなければまず見破られることはない。何故笛を吹くのにわざわざ女性の振りなどするかと言えば、友人いわく「その方が実入りがいい」とのことだ。痩せた若い娘が秋空の下独り笛を吹く姿は、本性を知らなければ健気というか儚げというか、確かに多少奮発してもいいかという気にはなる。
見事に化けて見せた相棒を前に、キリアスはそうか、とひとりごちた。何気なく摘んできた花は彼の言うように通常好意を寄せる女性にでも送るものだが、自分がこの一輪を飾ってほしいと思ったのは他の誰でもなく、この友人にだった。
花を手に真っ先に男を思い浮かべるのもどうかと思うが、こうも妖しく鮮烈な花を飾るに相応しい人物はキリアスの思いつく限りイザヤだけだ。ただ美しい女性では花の存在感に負けてしまうだろうし、毒々しすぎる。夜の酒場で娼婦に手渡すには、いささか素っ気ない。
多少居心地が悪いながらも、手の中の赤をついと差し出す。
「女の装いにしちゃ質素だろ。今日はこれを挿していくといい」
「俺に?」
受け取った花をまじまじと見つめ、イザヤはリコリスか、と呟いた。その名前をキリアスは知っていたが、実家で妹が受け取っていた花束のそれとは随分様相が違う。固い茎を指先でくるくると回しながら、イザヤは苦笑を浮かべる。
「お前、貴族出身のくせにプレゼントに疎すぎやしないか?」
「社交界デビューして早々に勘当されちまったもんで。何、人に贈るにはマズイ花だったの」
「ん、まあそうだな。この種類のリコリスの別名は死人花という。根に強い毒があって、どこかの国じゃ獣が死体を荒らさないように墓の周りに植えると聞いたことがあるな」
「げっ」
顔を青くして固まっているキリアスを横に、イザヤはその花の他の名をつらつらと挙げてみせた。その思いもよらなかったイメージの悪さにキリアスの顔色はどんどん悪くなる。
「とは言え、今のは全て遠い東洋の国でのローカルな名前だ。この辺りで見るリコリスはもっと明るい印象のものだし、観賞用にも栽培されている。多分貿易商が持ちこんだものを由来や毒への知識のない輩が広めたんだろう。この辺りの野草としてはまず見ない花だからな。……どうした?」
「……別に」
知らなかったとはいえ随分縁起の悪いものを贈ってしまったと落ち込む半面、キリアスの無知をちくちくとつつくようなイザヤの口調に苛立ちを覚える。彼は時々こうしてキリアスをからかう、というか不愉快にさせて面白がる嫌いがある。他の誰にもこんな知識をひけらかすような真似はしないのに、キリアスにだけ妙に嫌味なことがあるのだ。
それが身分についてのイザヤの劣等感の現れだと分かっていても、つい挑発に乗ってしまうキリアスは、やはりまだまだ若い。
「花なんて高貴な女性が関心を持つものだから、とりあえず喜んでもらえるかなと勝手に期待して、がっかりしてるだけだ」
「悪いな。こちとら野草でも食わないとやってられねえ育ちなんで。店の棚にある花なら分からなかっただろうな」
今回もイザヤの目論見通り機嫌を損ねたキリアスは当てこするように「高貴な」と「女性」というところを強調する。眉根を寄せたイザヤの眉間を人差し指でぐりぐりと押して、してやったりと笑ってやる。警戒心の現れなのか何だか知らないが、相棒を一々挑発するからだ。ざまみろ。
「お前って時々ひがみっぽいよな」
「男にその辺の花を渡して喜ばれるなんて思っている脳内花畑野郎に言われたくない」
若いと言えばイザヤだって十分そうだ。この界隈に居ついて長いと言ってもからかいすぎれば臍を曲げるし相棒と他愛ない喧嘩だってする。互いに猫のように睨み合い、ふっと肩の力を抜いたのは二人同時だった。
「……まあ、たった一株からあっという間に広まるしぶとさとふてぶてしさなら、確かに俺にぴったりだろ」
「無理にフォローしてくれなくて結構」
「からかいすぎた。悪かったな」
「こっちこそ。まあ気にしないなら挿してみてくれないか? 意味や由来は置いといて、似合うと思ったのは本当なんだ」
時折卑屈になって突っかかってくることもあるが、所詮は友人同士のじゃれ合いの範疇だ。やりすぎたと詫びて笑いかければそれで解決する。優美な仮面の裏側で黒い手を回す上流階級に馴染めなかったキリアスには実に心地のいい関係だった。
耳にかけた髪にリコリスを飾り、イザヤはキリアスから一歩距離を取る。化粧をした女の顔にうっそりとした笑みまで乗せて、客に対するように商売道具の笛を片手に舞台女優を真似た礼をした。
「ムッシュー、一曲いかがでしょうか。貴方の心を震わす故郷の音色を奏でて差し上げましょう」
「あは、完璧。喋らなければ」
「うるさい。一言多い」
にかっと笑って茶々を入れるキリアスの額を小突き、イザヤは風よけの長い外套を羽織りテーブルの上の鏡を取って最後の確認をする。
落ちついたイザヤの色彩の中で、リコリスの赤が強く目を引く。なるほどこれはいい客引きになりそうだと鏡に映った自身の姿を見て、イザヤは妖艶に口元を引き上げた。
イザヤがポケットに銅貨を詰めて帰ってくる頃には外はすっかり暗くなり、キリアスは夕食に温かいスープを用意して待っていてくれるだろう。シチューを早く作れるようになってくれないだろうかと欲張りなことを考える。
摘んで帰ると火事になる、という迷信はこの際黙っておこう。




