→ 降って湧くもの 避けられぬもの
【人物】
イザヤ・ニルセン:ロマの魔術師。笛吹きを副業にしている。
キリアス・ロア:貴族の次男坊。騎士を志望して家出中。
※女装ネタあり。過度な期待は禁物です。
今にも泣き出しそうな暗い雲を見上げキリアスはげんなりと肩を落とした。昨日も降った雪で道はぬかるみ、泥を跳ね上げながら通る馬車を避けて道の端を歩く。
ついさっき行商人から山側の道は雪で大変危険な状態だと聞き、何とも気が重かった。平地側は通るには問題ないものの、各地で野党が出るという。恐らくその先の町の権力者と何か繋がりがあるのだろう。悪党から利益の一部を取り上げその行いを見逃し、正式な税のかからない別収入で利を得る。気分は悪いが町民から税を多くとるより外部から稼いだ方が反発も少ないためこういう話は割とよく耳に挟む。通る側も通る側で、一度町の中に入ってしまえば安い税で商売ができるため、初めから襲われた時に投げて渡す分の余分を持っていく。元から出ると分かっている損失だから、被害を被るのは何も知らずにそこを通った旅人くらいだ。
そして差し出すほどの財産を持っていないキリアスのような貧乏人は塞がった道が通れるようになるまで町に足止めを食らう。労働者が増えたことで町の人間は嫌な仕事を外部のものに押し付け、町は潤う。意外と上手く回るものなのだ、世の中と言うのは。
とはいえ何とも釈然としない話だ。せめて対抗するだけの戦力か、気をそらせるだけの餌があればと思うが生憎こちらは一人だ。旅をしていれば紛れる気も、これからの数カ月食いぶちを稼ぐためにただ働いて寝るばかりの日が続くのかと思えばため息もつきたくなる。湿気を吸って落ち着きなくふわつく髪を撫でつけたところで、ふと足を止めた。
道の反対側に何やら人だかりができている。笛と鈴の音に興味を引かれ、近くの縁石に飛び乗り野次馬の頭越しにその奥を覗いた。
(ああ、旅芸人が来てるのか)
黒い髪に日焼けした肌の女性が数人、独特の節をつけた歌を歌っている。彼女らが身体を動かす度にあちこちにつけたアクセサリーが跳ねた。鼓膜に触れる音色に耳を傾け輪の外から見物していると、歌う女性の後ろに半分隠れるようにして笛を吹いている少女に目が止まった。フードを被り顔を隠しているが、長い髪の間から覗く面と指は見物人の女性よりも更に白い。
おや、と不思議に思って見ているうちに演奏が終わり、歌い手は足元に放られたコインを集めにかかる。ひとり混じっていた白人の少女は笛を腰に差すとくるりと踵を返して離れていった。キリアスは小柄な背が人ごみに消えていくのを見送り、はっと我に返った。そうだ、明日の分のパンを買わなくては。
***
彼女に遭遇したのはその日一度ではなかった。二度目は市場帰りに近道にと通った路地でだ。狭い階段を下りて大通りに出ようとしたところで、下方にあのフードを見つけた。身なりのいい男とすれ違う刹那、躓いた彼女の手が男の上着のポケットから何かを抜き取った。さっと人ごみを外れ路地に消えていく少女を、キリアスは咄嗟に追いかけていた。
「おい!」
明らかにこちらを避けて駆けていく足音に向かってキリアスは吠えた。逃げる少女は随分と足が速い。入り組んだ道では追いかける方が決定的に不利だ。このままではらちが明かないと判断し、キリアスは覚えて間もない町の地図を頭に思い浮かべる。少女はどうやら民家の建ち並ぶ郊外ではなく、宿屋や酒場のある通りの方へ向かっていた。そこで一足先に通りへ出て待つことにした。
キリアスは人よりも若干頭が固いが、見ず知らずの相手に対して行われた盗みに目くじらを立てるほどおせっかいではない。ならば何故彼女を追いかけているのか、自分でもよく分からなかった。
(……きた!)
二軒先の路地から少女がひょこっと顔を出した。周りを窺うためにフードは下ろしている。キリアスの姿を彼女はまだ見ていないはずだ。顔が割れていないのを利用して通行人のふりで歩み寄り、目が合うやいなや巣穴に飛び込む野うさぎのように首をひっこめた彼女に一気に距離を詰め手首を捕える。人がぎりぎり二人並べるほどの路地に壁に手を着いて逃げ道をふさぐと、少女は頭半分低い目線から悔しそうに睨み上げてきた。間近で見ると意外と凛々しい、北方系の顔立ちの少女だった。巻いたまつ毛を蓄えた吊り気味の目が気丈そうな印象を与える。
「あんたからは何も盗っていない」
「知ってる」
不貞腐れた低い声で少女がぽつりと呟いた。ぐいぐいと引いて振り払おうとする手を離さずそのまま壁に押し付けてしまうと、観念したのか不審をあらわに訊ねてきた。
「なら何故追ってくる」
「あー…………何となく?」
よく分かっていないところをつっこまれ、視線が泳いだ。少女の眉間にしわが寄る。そりゃあそうだろう。自分に否があったとしても何となく、で追いかけ回されたのではたまらない。
切れ長の目がすうっと物騒に細まるのにキリアスは何故だか焦った。
「いや、君みたいな小さい女の子が盗みをしないといけないくらい困ってるんなら何か助けに……」
思いつきだがあながち口から出まかせでもない申し出を、キリアスは言い切れなかった。それまでだらりと下げられていた彼女の自由な方の手が拳を握り、強かに顎を殴りつけたからだ。がぢっと舌を噛んだ嫌な音と感触を味わうより早く、キリアスの意識は宙に浮いた。
***
「まああんた! どうしたのその格好!」
宿に帰ると女将が目を丸くしてキリアスを見た。あの少女に殴り倒されてから数分ののち、目を覚ましたキリアスの服は雪と泥とでひどい有様になっていた。せっかく買ったパンも駄目になってしまい、パン屋の店員に迷惑そうな目で睨まれながら明日の朝食を買い直し家路に着いた時にはもう日も暮れる時間だった。本当なら日雇いの仕事でも探しに行く予定だったのだが、収穫ゼロどころかマイナスである。加害者に腹を立てるより、意味不明な行動をした自分に頭が痛くなる。
冷え切っているじゃないのと母親のように叱る女将に着替えてくる、温かいものが飲みたいと告げて二階への階段を上った。
「なあに、じゃあその女の子にノックアウトされてパンを駄目にしたってこと? あはは! ばっかみたい、格好悪い!」
「言わないでくれ……」
夕食の混雑にはまだ早い時間の食堂に人気は少なかった。宿泊客が客のほとんどであるから、自然と従業員とも親しくなる。宿を経営する夫婦の一人娘に今日のことについて愚痴をこぼすと遠慮のない笑い声が返ってきた。いささかむっとしないではないが、やっぱり女性は笑顔の方がいい。あの美人だが暴力的なスリの娘のことは一晩寝て綺麗に忘れようと誓った。
「ところでキリアス、仕事しなくていいの?早くしないとどこも枠埋まっちゃうわよ」
「そうなんだよな……あんまりきつくても続けられないし……エメ、どこか妥当なところ知らないか?」
「うーん、この町はほら、こんなだから。旅の人に回す仕事っていうと大体重労働ばっかりなのよね」
「だよな」
はあ、と二人揃って溜め息を吐く。片手を頬に当て、考え込む仕草をしていたエメははっと顔を上げると「やだ、あたしったら釣られちゃったわ」と苦笑を浮かべた。
「まあとにかくね、動いてみるしかないわよ。まだ人も少ないしどうにかなるわ。あと、ママンのシチューは温かいうちに食べないと損よ」
「ああ」
軽いウインクを残して厨房へ戻って行ったエメの後ろ姿を眺め、キリアスは目の前の夕食に向かう。家で食べるのとは違う、具は少ないし上等のバターを使っているわけでもない素朴なシチューだが、今はすんなりと舌に馴染んだ。ほど良く形の残ったジャガイモをスプーンで崩し口に運ぶ。熱を持った芋が噛み傷の残る舌にしみて、キリアスはスプーンを握り締めて静かに悶絶した。
「大丈夫かい」
「う、何とか……いややっぱ痛い」
「しょうがないねえ、落ち着いて冷ましながら食べるんだよ」
「……はい」
他の客に料理を運びにきた女将に子供にするようにたしなめられて居心地が悪い。
「そうだ、キリアス」
「何?」
「あんた、育ちはいいんだろう?なら図書館で仕事がもらえるんじゃないかねえ」
「……図書館?」
「そうだよ。あたしたち庶民じゃあほんのちょっとの部分しか見れないけど、あんたは見た目も坊ちゃんだし身分証明ができるものがあれば信用は取れると思うよ」
確かに、キリアスの育ちはよかった。有力な言語や法律、思想や芸術についても勤勉な兄についてあちこちかじっている。要は文官の家の二男なのだ。お陰で家督を継ぐ必要もなく、狩りと接待ばかりの日々に飽きて軍人を目指した。武器を持って戦に出ると言って親と揉め、縁を切られてしまったからコネを当てにもできず家出同然で旅に出て二年目だ。意地と運と周囲の厚意で何とかやってきて、案外自分もタフなものだと思いはじめていた、そんな矢先に女将の発言だ。多少なりともキリアスは凹んだ。
「お坊ちゃんて、まだそんな風に見える?」
「見えるね」
「そう、か……」
「少なくとも昨日着いた子よりはね」
「……誰?」
いきなり話の方向が変わり、キリアスは女将を見上げる。
「昨日の晩に入ったお客でね、あんたより年下かねえ……図書館のこともその子から聞いたのさ。字が扱えるから下働きで仕事がないかと聞いたらはねつけられたって」
「……それで、同じく職に困ってる俺のところにその話を持ってきてくれたわけだ」
「そうさ。そのついでと言ったら何なんだけどね」
とんとんと階段を下りてくる足音がして女将は振り返った。一目で今の話の客だというのが分かる。黒い長髪を一つに括った、頑なな雰囲気の少年だった。青い目がついとキリアスを捉え、ひくりと表情を強張らせ、元々硬い雰囲気が更に尖る。
その面差しに既視感を覚え、彼の顔をまじまじと見つめる。ふと視線を下に落として、少年の握りしめた拳が赤く腫れているのに目を止めた。
「……?」
「…………」
「あら、あんたも怪我してるじゃないの」
「…………」
「あ……あああああ!!」
ガタン! と椅子を鳴らして立ち上がる。女将がびっくりした顔で見ている前で、キリアスは少年の目の前に指を突き付け叫んだのだった。
「お前あの時のス……!」
その続きは言葉にならなかった。猛然と伸びてきた手がキリアスの後頭部をむんずと掴みレンガを叩き割るがのごとくテーブルに叩きつけたからだ。おかげでキリアスは未だ冷めきらないシチューで危うく溺死しかけるという、何とも稀有な体験をしたのだった。
「……っていうことがあったよな」
「ああ。衝撃的な出会いだったな」
雪のちらつく窓の外を眺め、よく似た景色の日のなれそめを語るキリアスの傍らで、イザヤは欠伸混じりに頷きソファに身を沈めた。
がっかりでしたらすみません。BL度数としてはこんなもんです。耐性のない人から見たら、ちょっと怪しいかも、程度で。




