5.魔石の商談……①
中央商業惑星トレーダーを発って2日目。
『シュヴァルベ』の艦橋は、軍艦だった頃の名残で無駄に広い。その広い艦橋の真ん中で、地味な男がひとり、だらしなく船長席に沈み込んでいた。
メイクを落としたミューラーである。
ナターシャが1時間かけて作った男前は、出航と同時に洗面台へ流れていった。商談のない航海中に顔を作るのは、メイク用品の無駄遣いだ。
『船長。レオナートの取引条件を再計算しました』
オペレーション席に座ったナターシャが言った。商談用のスーツは脱ぎ、今は船内用の船内服姿である。
白を基調とした船内服は身体の線に沿う細身の造りで、胸元から首筋にかけては黒いインナー素材に切り替わっている。腰や脇には濃紺の補強材が入り、その境目を走る青いラインが、活動維持装置や艦内システムとの回線接続状態を淡く表示していた。
船外活動用の重装備とは違い、艦内での作業性を優先した軽装型だ。耳には外部通信のヘッドセットを装着し、肩や腰には必要最低限のプロテクターと接続端子が設けられている程度で、動きを妨げるものはない。
胸の中央には、青く縁取られた逆三角形の標章がひとつ。『シュヴァルベ』の管制系に属する端末であることを示す識別章だ。指先の開いた黒い手袋は、端末を直接操作するためのもので、腰に提げた小型の接続ユニットからは、細いケーブルが背中の端子へと伸びている。
耳を覆うヘッドセットの外縁では、青い光の輪がゆっくりと明滅していた。船の中枢にある本体との通信状態を示す表示灯で、ナターシャが何かを演算するたびに、その光がわずかに速くなる。
淡い紫色の長い髪は、高い位置でひとつに束ね、深紅のリボンで留めてある。腰まで届く髪とそのリボンだけが、機能一辺倒な装いにはいささか不釣り合いだった。それでも港の作業員が二度見する程の美しい容姿は変わらない。変わらないから、船長のほうが余計に地味に見える。
そのミューラーは、船長席へだらしなく身体を預けていた。こちらも商談用の白いスーツなど、とっくに脱ぎ捨てている。
濃いグレーの船内ジャケットに、黒のクルーネックシャツ。ジャケットは軍用作業着を思わせる丈夫な造りで、胸元にはいくつかのファスナー付きポケットが並び、袖には『シュヴァルベ』の船章が縫いつけられている。下も同色のカーゴパンツという、洒落っ気より実用性を優先した格好だった。
肘掛けに頬杖をつき、片脚をだらしなく投げ出している。手元のマグカップにも、袖と同じ船章が刷られていた。中身は港で一番安い合成コーヒーで、とうに冷めている。淹れ直すのも面倒らしい。
宇宙港で商談するときには整えられている濃紺の髪も、今は前髪が無造作に垂れ、顎には薄く無精髭まで浮いている。商談の席では相手を射抜くように見開かれていた目も、今は半分しか開いておらず、眠たげに垂れ下がっている。目の下には、うっすらと隈まで浮いていた。
白いスーツに身を包んだ爽やかな自由商人ミューラーを知る者が見ても、同一人物とはすぐには気づかないだろう。とにかく地味で目立たない。作業帽でも被れば、すぐに人波の中に消えてしまうだろう。整備ドックで油にまみれている整備士の列に並ばせても、誰も船長だとは気づくまい。
もっとも、本人に言わせればこちらが普段の姿で、商談時の方が「ナターシャに作られた顔」というだろうが、世間的に認知されているのはその「作られた顔」の方だ。
「聞かせろ」
ナターシャが席を立ち、船長席の背もたれに片手を添えて、覗き込むように身を屈めた。報告の時、彼女はいつもこうする。並んだ2人は、どう見ても美しい女性士官と、その船の冴えない整備士だった。
淡い紫の髪が肩から滑り落ち、ミューラーの頬をかすめる。ほのかに纏わせた香水の甘い香りが鼻を擽る。普通の若い男なら顔を赤くするところだが、ミューラーは眉ひとつ動かさない。慣れている……というより、慣れたふりをしているだけだ。
『買付価格はトン当たり2万8000ユニー。積載予定量は400トン。トレーダー取引所の直近の相場はトン当たり4万6000ユニーです』
「差額は?」
『トン当たり1万8000ユニー。総額で720万ユニーです』
ミューラーは船長席から身を起こした。
「……もう1回言ってくれ……聞き間違えたかもしれない」
『720万ユニーです。ここから往復の燃料費、港湾使用料、荷役費、保険料、ヴァイス様への紹介料を差し引いて、純利益の予測は510万ユニー前後になります』
「510万……だと!?」
『前回の約26倍です』
ミューラーは勢いよく立ち上がり、天井に向かって拳を突き上げた。
「よっしゃー! ようやく、まともな商売だ」
『ただし……』
「水を差すな」
『差します。買付価格が、市場相場より約4割安い理由が不明です』
ミューラーは黙った。
それは彼自身、トレーダーを出たときから喉に引っかかっていた小骨だった。
旨い話には裏がある。ましてや、話を持ってきたのはあの爺さんだ。
「ヴァイス爺さんは何て言ってた?」
『「先日の摘発で、あの星の正規業者は在庫を抱えて困っとる。今なら買い手市場じゃ」とのことです』
聞き慣れた耳障りな嗄れ声と、澄んだ声が入り混じりミューラーは表情を顰めた。
「声真似はしなくていい」
『記録をそのまま再生しただけです』
「……筋は通ってるんだよな」
違法採掘の大規模な摘発があったのは、3ヶ月ほど前のニュースだ。
裏組織が鉱区を勝手に掘り返していたとかで、当局が押収した『レオナート』の量はかなりのものだったと聞く。
その摘発の余波で、港の検査が非常に厳しくなっていた。採掘の場所の証明や、成分分析などの手続きがより厳密化され、正規の取引業者でも荷を出しにくくなる。
出せない荷はだぶつき、だぶついた荷は、当然不良在庫となり、処分のため安くなる。
理屈としては、おかしくない。おかしくはないのだ……
――あの爺さんにしては筋が通り過ぎている……それが引っ掛かる
ヴァイスに何度も一杯食わされたミューラーは、否応なしに慎重になる。それでも、この取引は成功すれば莫大な稼ぎになる。ルーレットで一点勝負に出たようなものだ。
「いいか、ナターシャ」
『はい』
「安いのには理由がある。理由が分かるまでは、1キロも買わねぇ。書類は全部揃えさせる。揃わなけりゃ、手ぶらで帰る」
『燃料費が無駄になります』
「差し押さえ食らって船ごと持っていかれるよりマシだ」
『了解しました。必要書類の一覧を作成します』
「商談も秘書として同席しろ。怪しい点があればすぐに伝えろ」
「了解しました」
ミューラーは船長席に沈み直し、もう一度だけ天井を仰いだ。
「510万ユニー……」
我々の日本円に換算して約9億1千万円になる。
自由商人であるミューラーでも、一度たりとも経験したことのない巨額な数字の取引だ。その数字が、頭の中でいつまでも点滅していた。




