2.儲かったはずだろ?……②
ナターシャの説明は完璧だった。
それ故にミューラーは何とか言い返そうと躍起になっていた。完璧なAGIに対する人間の意地だ。
「……それでもまだ20万以上あるだろ?」
『はい。ここまでは直接費です』
「ここまでは?」
『ここから間接費を算入します』
ミューラーの足が、また止まった。
「何だよ、間接費って?」
『本船を運航するだけで発生する費用です』
「今回は俺の船で拾ったんだぞ?」
『ですから発生しています』
「……言ってみろ」
『主機稼働時間に応じた整備費。冷却材、反応炉消耗部品、姿勢制御スラスターの推進剤、生命維持系の消耗品。港湾滞在中の電力および水……』
「待て待て待て!」
『まだ途中ですが?』
「水まで、金取るのか!?」
『是……当然です。水は無料ではありません』
「宇宙って世知辛ぇな!」
『さらに、本船の減価償却費』
「はっ? げんか……何だって?」
ナターシャが黙った。そして、ゆっくりミューラーを見る。彼女が生身の女性なら、溜息の一つも吐くような質問だった。
『減価償却費です』
「んなもん、知ってるし!」
『では説明は不要ですね』
「……ま、まぁ……一応……聞いてやる」
わかった振りをするのは、今に始まったことではない。
頭の回転が速い分、早合点することも多い。他人の話を最後まで聞かなかったことなど、数知れなかった。
『本船の取得および改装に要した費用は、一度に全額を経費として計上するものではありません。想定される使用期間に応じて配分し、その期間ごとに費用として計上します』
「は? 買った時に金は払っただろ?」
『支出と費用は別です』
「…………」
『本船は現在も船長の資産として存在しています』
「そりゃ、あるだろ……今もそこに……」
ミューラーは貨物デッキの向こうに鎮座する『シュヴァルベ』を指差した。
『どんな物でも安く仕入れ、安全に、そして誰よりも早く高く売りさばく』
それを看板にしている以上、船には金を惜しまない。
問題は、その船が金食い虫であることだった。
タラップの先に鎮座する『シュヴァルベ』は、そこらの貨物船とは生まれが違う。
港に並ぶ商船の中で、ひときわ大きく、流麗な船体を持つ。しかしどこか武骨さを感じさせる。灰色の装甲板には、軍艦時代の識別番号「0703017」を削り落とした跡が、今もうっすらと残っている。
元は銀河軍第7艦隊所属のグナイゼウ級重巡航艦『シャルンホルスト』。
高速性能と分厚い装甲を誇った軍艦の払い下げを受け、不要な軍用区画を潰して貨物区画を増設した。機関にも手を入れ、民間船としては少々……いや、かなり非常識な高速性能を持たせてある。
海賊に襲われたところで、戦う必要などない。
一目散に逃げればいい。
追いつかれなければ、ミサイルを撃つ必要もない。
それこそが、ミューラーの考えるもっとも経済的な防御だった。
それでも迫ってくる奴に、初めて一発喰らわせ、二度と刃向かえなくする……それがミューラーの流儀だ。
『ですから、取得時に支払った金額の全てが、その時点で費用になった訳ではありません』
「……ったく面倒臭ぇな、会計って」
『とても商人の発言とは思えません』
「うるせぇよ」
『そして、減価償却費とは別に、将来の定期整備および大規模修繕に備えた整備引当も必要です』
「おいおい、まだ壊れてねぇだろ」
『壊れてから考えるのですか?』
「…………」
『本船の主機交換には、現在価格で最低480万ユニー必要です』
「480万!?」
『是……本船の機器は、どれも市販品ではありません』
「だったら……壊れないように使えばいいだろ」
『機械には寿命があります』
「丁寧に使えば延びる」
『寿命はなくなりません』
追い打ちをかけるナターシャに、今にも膝から崩れ落ちそうになっているミューラーが、恨めしそうな眼差しを彼女に向けた。
「ナターシャ……」
『はい』
「お前、さっきから俺の夢を一個ずつ潰してないか?」
『私は会計上の事実を申し上げています』
「…………」
『壊れてから考えるのですか?』
「二回言うな」
『重要ですので』
ミューラーは額を押さえた。
「つまり……だ……」
『はい』
「俺は80万で売った」
『はい』
「海賊をぶっ飛ばすのに4万使った」
『はい』
「だから76万儲かったと思った」
『はい』
「でも実際には、海賊を追いかけて、荷物を拾って、ここまで運んで、港に入れて、検査して、登録して、荷役して、その間『シュヴァルベ』を動かした分まで全部引くと……」
『19万4200ユニーです』
「…………」
『なお』
「まだ何かあるのかよ!?」
『これは、高級酒30本を交際費として計上した場合の数字です』
「……!?……」
『うち25本は、船長がご自分でお飲みになっています。私的消費ですので、交際費ではなく事業主貸に振り替えるべきです』
「あれは必要経費だ!」
『振り替えれば、今回の利益は30万ユニーを超えます』
「5本は接待に使った!」
『はい。その5本は交際費として認められます。残りの25本、83.3パーセントは船長の消費です』
「割合で言うな! 俺がすげぇ駄目な奴みたいだろ!」
『会計記録上の事実です』
ミューラーはがっくり項垂れた。
19万4200ユニー。
海賊船を追いかけ、砲撃を受け、主砲までぶっ放して手に入れた稼ぎが、それだけ。
80万ユニーの荷物を手に入れた瞬間には、76万ユニー儲かったと思っていた。
それを売る所までは考えた。
そこに至るまで、幾ら掛かるのかを考えていなかった。
「……また湿気た稼ぎにしかならなかったな」
『正確には、利益は出ています』
「ナターシャ……利益ってのはな、次の仕事まで船を動かして、飯を食って、整備して、それでも財布に残って初めて利益っていうんだ」
『今申し上げたのが、それです』
「…………」
『19万4200ユニー残りました』
「…………」
『おめでとうございます、船長』
「テメェ……喧嘩売ってんのか?」
『いいえ』
ナターシャは真顔だった。だから余計に腹が立つ。
「そもそも、お前だって金食い虫だろうが」
『否……それは否定します』
「即答すんな!」
『この身体の維持費は年間18万ユニー程度です』
「18万だと!?」
『本船の年間維持費と比較すれば誤差です』
「そういう比較をするから金銭感覚がおかしくなるんだよ!」
『告……この身体の購入を決定されたのは船長です』
「…………」
『加えて、最高級の人工皮膚、感覚素子、表情筋アクチュエータをオプション指定されたのも船長です』
「商談用だ。秘書が安っぽかったら舐められるだろうが」
『感覚素子は、商談に必要ありません』
「……いや、それはだな……」
『触覚の感度は、最高値で指定されています』
「客と握手するからだ!」
『握手に必要な感度の、約40倍です』
「……うん! 誤差だ」
『なお、女性型生体模倣ユニットも船長指定の追加オプションです』
「待て。それは今言わなくていいんだぞ、ナターシャ君」
『標準仕様には含まれていません。商談には不要な機能です』
「だから言うな!」
『追加費用は……』
「金額も言うな!」
『胸部に至っては、さらにカスタマイズを……』
「だぁ! それ以上喋るな!」
周囲の荷役作業員たちの視線が、ちくちくと背中に刺さる。
『ご安心ください、船長』
「……何がだ」
『該当機能は、購入以来、一度も使用されていません』
「だから、言うなっつってんだろ!!」
買ったのはいい。オプションも全部つけた。
問題は、それを使う度胸が、この男には一度も湧いてこなかったことだ。いざその時になると、相手が管制AGIだとわかっていても、目を合わせることすらできないのである。
顔を真っ赤に染めたミューラーは、大股で歩き出した。
背後から、ナターシャが何事もなかったようについてくる。
「ったく……船も女も、維持費ばっかりかかりやがる」
『否……私は女性ではありません。管制AGIです』
「その身体で言うか?」
『はい。この身体を女性として扱えなかったのは、船長です』
「…………」
きっぱりと言い放つスーツ姿のナターシャを見て、ミューラーは、がっくりと肩を落とした。
彼の名はマンフレート・ミューラー……31歳、独身、男。恋人いない歴、31年。銀河を股にかける自由商人だ。
ビジネスの場では、整った顔立ちに、自信に満ちた笑みを浮かべることができる。
商談の席で彼の向かいに座った者は、たいていこの顔に一杯食わされる。
もっとも、この顔は今朝ナターシャが1時間かけて作ったものだ。メイクを落とせば、誰の記憶にも残らない極めて冴えない男が一人残るだけである。




